三日月宗近の話
障子を開くとなぜか淀んだ空が見えた。廊下のガラス戸をあけるとむわっとした熱気が浮かび上がって菊池の顔を覆った。獣のような何かが顔を避けるようにすり抜けていく。尻尾や爪が顔にぶつかって「わっぷ、!」と変な声が漏れた。 チリン、と音がする。鈴の音はあの見習いのことを思い出させた。 「ぁ、るじ……」 「たすけて……」 「くる、しい……」 「お前も、一緒に」 「ああああああああ!!!」 「るっさいんだけど」 跳ね起きたところにうまい具合に拳が鳩尾に入れられた。ゴスッという布団に体がめりこんだ音がして痛みに体が悶絶する。目をゆっくりと開けると世話係に任命されていた蛍丸がこちらをじっと見つめていた。その後ろをそっと覗き込むように山姥切国広が膝立ちで立っていた。布をキャストオフした彼の姿はまるで絵本の王子だったがそれは口にせず 「ど、どうしたんすか?」 とたずねるだけにした。 「俺たち、今日は飯当番だから一緒につれていけって#名前2#さんが」 「あ、はい。分かりました」 「……」 山姥切は何も言わずに朝食のメニューを渡してスタスタと部屋を出ていってしまった。何か悪いことでもしたのだろうか、と恐る恐る蛍丸を見ると「さっさと準備してよ」とせっつかれた。慣れない彼らとの1日がまた始まる。 菊池はこの本丸では刀剣男士ではないもののそれに似た立場のように扱われていた。さすがに戦場には行かないが、#名前2#たちについていって戦場の調査だったり、刀剣男士たちと共に刀の使い方を覚えたり。 #名前2#にはこの本丸での審神者はあくまで世祖なので彼女の承諾なしに協力は出来ないと言われていた。それが暗に助けられないと言っていると気づいたのは何週間も経ってからだった。気づいた後は人間としての生き方をどんどん忘れていきこのまま刀剣男士モドキとしてこの本丸に居着くのぐらい許してもらえないかなんて時々考えるようになった。自分はなんで審神者になったんだったか。………。思い出せない。 刀の指導には同じ新人として物吉や明石がいたので気が紛れはしたが体にはどんどんストレスがたまっていき比例して悪夢もかなりよく見るようになった。悪夢はいつも同じで誰もいないような本丸に菊池が1人だけいる。外は淀んで風のない空間が広がっていて、ゲートから出ていっても戦場や政府には着かない。何かの獣がいるらしく、時たま襲われる。でも、殺すつもりは無いらしく体にちょっとしたスリキズができる程度だ。それぐらいならば悪夢じゃないだろうという人もいるだろうが奇妙なのはここからである。 誰かの声がするのだ。それも幾人も。聞き覚えがあるようでない不思議な声だ。主、と呼んでいるが菊池はそんな得体の知れないものの主になった覚えはない。 あつい、たすけて。という声も聞こえてきた。だが見回っても火事になってるとかお湯が沸かされているということもなく、いたって普通な本丸だった。 「ちょっと、起きなよ」 「うばぁ!」 「いだっ!」 肩をつかまれたのをそのままひねり上げて布団に押し倒してしまった。寝ぼけたままだと肩関節を外してしまう! すぐに飛び退いたら、教育係が今日もまた起こしに来てくれたのだとようやく気づいた。昨日、そういえば朝から道場の掃除をすると言われていたのをすっかり忘れていた。 「蛍丸、さん」 「ねえ、謝罪は?」 「すいません…! あの、俺、寝ぼけてて…!」 「起こすの手伝ってよ」 歪に固められた肩をなんとか外して手を差し出すと「ちょっと#名前2#さんと世祖呼んできて。肩がなんか変だ」と言われた。 「あああ、すすすすいません! 俺のせいで、」 「うっさいなあ! とりあえず行ってきてよ!」 蛍丸の声に菊池は畳にこすりつけていた頭を飛び起こして廊下を駆け抜けていく。三日月宗近によく似た姿のくせに中身は正反対といっても過言ではないくらいに違う。いや、うちの吐血する三日月だって他の本丸と比べても変種ではあるけれど。 それよりも問題は菊池だ。本丸に来たばかりの頃とは違う、不穏な何かがこの部屋にある。今後一生したくないデジャヴを感じて蛍丸は後で菊池を絶対殴ってやると心の中で決めた。 道場に転げ込むように入ると敵認定されるので、入る前にはまず扉を足蹴する。菊池の気配が刀剣男士とも人間ともつかないどっちつかずであったため、合図として決めたのが足蹴であった。これなら誰かが菊池のフリをして入ってきても分かりやすいと#名前2#が提案したものだった。非常事態なのだからそんなことしなくとも叫びながら入ればいいものをここで止まって深呼吸をするから彼は蛍丸に叱られる。世祖は扉の前にいる菊池の気配を感じ取りお腹が減り出した。朝食の前に掃除なんてするもんじゃない。かと言って朝食のあとすぐに掃除もするもんじゃない。食べ物を吐くくらいならまだ空腹を我慢して雑巾がけの方がいい。だが菊池の様子からするとこの掃除が終わっても朝食は#名前2#の気分次第で遠のくだろう。ぐぅと鳴る腹を世祖は静かにさすった。 「#名前2#さん! 世祖さん! 蛍丸の肩がなんか変だって!」 「落ち着いて蛍丸に何が起きたのかもいっぺん」 #名前2#は菊池の言葉をばっさり切ってまた竹刀の様子を見始めた。ボロボロになった竹刀はそろそろ買い時かなあとつぶやく声が聞こえる。菊池は深呼吸をして 「俺が寝ぼけたまま護身術かけちゃって、肩関節が具合悪いそうです!」と大声で叫んだ。 「ん、わかった。おい、一期! ここ、頼んだ!」 「承知しました」 #名前2#は立ち上がると頭にかぶっていた手ぬぐいをとって世祖の手もとった。世祖はお腹がすいた!と市船で菊池に訴えかける。普段の食事の時間は世祖のスケジュールに合わせて厳守さへているのだが時たまこうやって#名前2#の言うことを聞いて我慢して働く。ただ、彼女は自分が想定していた以上の時間働くのは嫌いである。菊池には世祖が「はやく終わらせてご飯をぉ…」と言っているように思えた。 菊池の部屋が前にも見覚えのある、いわゆるデジャヴな部屋になっていた。部屋の外で肩を抑えながら待っていた蛍丸に駆け寄ると「国俊とおんなじだ」と昔に消え去った怯えた表情になった。まただ。またあの時のことが蘇ってやがる。愛染国俊に起きたあの事件がいまだに蛍丸にはトラウマらしく口がわなわなと震え始めた。触ってみた感じ関節はおかしくなってないが、脳が恐怖のあまり幻痛を起こしているのかもしれない。世祖に頷くと世祖は蛍丸の肩をさすり「だーじょーよ」とわかりづらい言葉で励ました。今のは大丈夫と言いたかったのだ。 「あ、の」 「菊池、お前最近変な夢見てないか?」 「え、えっと」 「イエスかノーか!」 「い、いえす!」 「やっぱりなあ。………」 まだオロオロとする菊池に、お腹が空いてイライラしている世祖に情緒不安定になり始めている蛍丸。この状況を打開するには、と#名前2#は柏手を打った。 「飯を食べよう」 話はそれからだな。 食事の席というのは基本的に決まりがない。世祖と#名前2#はいつも上座のお誕生日席に座るが他のメンツはいたってバラバラだ。みんなそれぞれの付き合いがあるし、刀種刀派関係なしに仲良くやれよという#名前2#の考えからそんな形をとってきた。もちろん好き好んでいつも同じ場所に座る奴もいるが。(長谷部が遠征でいない時以外に世祖のそばに着席しなかった日はない。) 今日は何時もなら多くの刀と和気藹々としながらご飯をかっくらう愛染は珍しく静かに蛍丸の横に座って食事をしていた。もそもそと箸をのばしてきゅうりの佃煮をごっそりとご飯茶碗の上に乗せて口いっぱいにつめこむ。まるで今は話せませんというのをしゃべる代わりに体で無理矢理表しているようだった。明石も空気を読んで今日は同じ保護者として名を連ねる一期や江雪のもとに腰をおろしていた。 「蛍、ほら」 「……うん、ありがと」 蛍丸のしょげたような姿に菊池はおろおろと#名前2#を見たり蛍丸に視線を送ったりと忙しかったが「早く食べないと勉強会できなくなるぞ」と言われて急いで口に詰め込み始めた。 風呂上りの世祖の髪の毛にドライヤーをかけてベッドに連れていく。こんのすけもそれについていき、枕のところに2人で丸くなった。 「おやすみ。世祖」 「……ぅん」 世祖はそのまま寝るのを我慢してこんのすけを自分の腕の中に囲い込むとようやく安心したような顔で眠りについた。寝息が静かな部屋に染み入り、結界が張られていく。ふよふよとした謎の結界が完成したところで#名前2#は離れを出て自室に戻ってきた。 「#名前2#さん」 「よし、集まってるな」 #名前2#の物が散乱した部屋には菊池、鯰尾、和泉守の3名が座っていた。3人の中央にはトランプがたまっている。 「何してたんだ?」 「ダウトですよー」 「んだぁ、ダウトかよ。長いだろ、はやく終わらせろよ」 「そんな言い方ねーじゃねーか。アンタが来るのが遅かったんだから」 「ああ?」 和泉守にひと睨みしてヒクリと部屋が震えた。#名前2#は敬意を持たないタメ口を許さない。和泉守さん、速く謝ってくれ…!と鯰尾は心の中で唸った。その祈りが通じたのか#名前2#はすぐさま怒りの顔を消して「問題は蛍丸だ」とホッチキスで留められた書類を菊池に差し出した。 「やっぱり、蛍丸変ですよね…?」 「ああ。前にもなったことがあるんだが、その時に克服したもんだと思ってたが」 「まだ癒えてなかったってことだろ」 「みたいですね。菊池さんについたのと明石さんが来たのとで安定してた感じはありましたけど」 3人の声をBGMに菊池は渡された書類を確認してみた。一番上には英語の筆記体でよく分からなかった。菊池の世代は筆記体の練習などしていないから、見かける時に無理矢理読む程度だ。ホ…t……m…蛍丸、っぽい。線があって、もう一つは…これが確かeだからRYE-ライ-…来派だからか。 紙をめくると刀帳に出ていたような蛍丸の絵と能力値がパラメーター化されて出ていた。備考のところに『愛染国俊への執着あり。サイコパス診断グレー。精神汚染持ち』と文字が強調されて出ていた。 「執着……?」 そんなのあっただろうか? とにかく続きを読むことにした。 『某月某日。蛍丸、発見される。 某月某日。蛍丸、愛染国俊に強い執着。愛染国俊、鬱病の気配あり。 某月某日。愛染国俊、戦場を休む。暫くは遠征にて療養。 某月某日。愛染国俊、幻覚を見る。 某月某日。愛染国俊、自傷行為。 某月某日。愛染国俊、蛍丸、明石の両名を否定する。 某月某日。愛染国俊、目が見えなくなる』 ゴクリと唾を飲み込んだ。恐ろしい記録だった。蛍丸の精神汚染は狂気に引きずり込むのではなく、刀としての領分を失わせるためのものらしい。目が見えなくなった後、彼はどんどんと体が壊れていき終いには壊血病まで発症してしまった。世祖も#名前2#さんもまさか蛍丸が原因だとは思っていなかったらしく、対処が遅れたのだとか。現在、セキュリティ毛布だと偽って愛染国俊には霊力補給のための抱き枕が支給されているという言葉でこのページは締めくくられていた。恐る恐る次のページを開くと蛍丸と愛染についての推定論文が小さな字で長々と書かれていた。さすがの菊池もこれを読み終わる頃には寝落ちしている自信がある。 「あ、もうそこまで読み終えたんですね。その推定のところめちゃくちゃ長いんですよねー」と鯰尾はケラケラ笑って要約をしゃべりだした。 「うちの愛染、山姥切さんが教育係してたせいで他のところの愛染より結構ネガティブ思考なんですよねー。だから、レア刀って称号がある明石さんと蛍丸にコンプレックス抱いちゃって。蛍丸来た頃は全く仲良くなかったんですよね。それで、蛍丸の教育係は和泉守さんがやることになったんですよ。ねー?」 「ああ。その頃には俺はもう練度が上限に行ってたから、一つずつ丁寧に教えてやれって#名前2#さんに言われてな。時間が経つにつれて2人とも距離を縮め始めたから大丈夫と思ってたら、蛍丸が異様に愛染を気にしてな。こっちが止めようにも手負いの獣みたいに手がつけられなくてよ。対処できるの#名前2#さんしかいなかったんだ。 その後愛染の体調はどんどん悪化していった。だが目が見えなくなったのも足が動かなくなったのも全部愛染のストレスのせいだって結論しか出なくてな。んで、壊血病になって世祖が最終手段で愛染の頭の中を探ったんだ」 「そんで世祖が蛍丸が原因だって突き止めてから蛍丸はカウンセリング受けるようになってたって訳。愛染は結構滅入ってたからうちの本丸でも周りが見えてポジティブ精神の強い鯰尾が復活するまで面倒見させてた。精神汚染は蛍丸の戦場で拾いとった穢れのせいだって分かってたから全部落ちきった今は平気だと思ったんだがなあ。ごめんな、菊池。今回ばかしは俺の失態だった」 「あ、いや。そんな……頭上げてください、#名前2#さん。俺、蛍丸さんのこと全く知らなくて……本当に、すんません」 「あー、こっちも説明してやれなくて悪かったな。それで、お前の見る悪夢について聞かせて欲しいんだが」 #名前2#はモバイルをタップしてボイスレコーダーのアプリを表示させた。マイクが動くのを見て菊池は口を開いた。 「えっと、夢ではどこかの本丸に俺がいます。あの、ここじゃないんす。空気よどんでるし、庭は汚いし。部屋の中はまだ少し綺麗っす。……えーっと、俺以外に誰も、いないと思いま、す。あ、でも獣?みたいな何かが俺の顔をかすめたりとか…そーゆーのは、あります。あと、声が…」 「声?」 「うす。声がこう、ぐわああっとする感じで聞こえてきます」 夢の説明としてはこんなものだろうと一息ついた菊池に#名前2#はさらに突っ込んだ質問をしてきた。 本当に知らない本丸なのか。声に聞き覚えはないか。獣は鳥類か他か。ネズミは? 馬は? 人が住んでそうな気配はなかったのか。他に思い出せそうなことは無いのか。 質問をされる度に菊池はなんとかうろ覚えでところどころ消えている夢の欠片をかき集めて答えていく。 多分知らない本丸。声は聞き覚えがあるようなないような。獣はたぶん毛の生えたそんなに小さくないやつ。ニワトリや馬ではない。毛の生え尻尾があった。人はずっと住んでなさそう。ホコリもたまっていた。たまに起きるとキズが出来ていることしか思い出せない。 「キズ? キズが出来たのか?」 「キズっていってもちょっとしたスリキズとか蚊に刺されとかそんなもんすよ?」 「………」 むむうーと鯰尾、和泉守、#名前2#の顔が暗くなっていく。何となくだが今めちゃくちゃヤバい状況に菊池がいる気がする。蛍丸の精神汚染が菊池の見習いのところに飛んでいってその弊害がこっちにしっぺ返しのように来てるのかもしれない。……笑えない冗談だ。 「菊池、その本丸に何か特徴的なものはなかったか?」 「特徴……」 そういえば。そこの本丸では廊下との仕切りが障子ではなくガラス戸だった。 「それ、書けるか?」 「え、あ、はい」 確か……と菊池は自分の思い出したガラス戸を書いていく。磨りガラスがはめこまれた戸だった。一昔のオールドファニチャーブームで見かけたものと似ていたはずだ。木枠は少し広くとられてて……。完成したものを見て#名前2#はまたも「ううん」と顔を暗くした。 「な、何かあるんすか…?」 「いやな、こーゆー仕切りを変えるのって審神者の霊力で変えるかもしくは自分で買い換えるかなんだよ。世祖みたいに霊力がかなり多いやつは沢山の刀剣男士を保護するよりも本丸に結界はったりするんだ。検非違使が入ってきたりもするからな。実際うちの本丸も起きたし」 あん時のゴコは大変な目にあったよなあと#名前2#は少しだけ回想してすぐに菊池に向き直った。 「んだけど、ここまで古い戸ってのはカタログの中でもまあまあ高い。買う人は多くはないけど程々にいる。だから、この本丸がどこのやつか特定するのが難しい。菊池、お前今度夢を見る時はちょっと本丸の中を観察してこい」 「わ、わかりました!」 「和泉守は堀川と菊池の部屋んとこいって夜を守ってやってくれ。鯰尾は愛染んとこいって調子見てやってくれ。俺よりお前の方が安心するだろうから」 「ああ、わかった」 「了解です!」 「それじゃあ菊池、ちょっとこれから面倒なことになりそうだがまたよろしく頼む」 「はい!」 その翌日、刀剣男士モドキの菊池は本丸から消えてしまった。