三日月宗近の話

 菊池は目の前の光景に目を疑っていた。この人たち…いや、この刀剣男士たち何やってるの……?と。井戸水で胃酸の味がする口をすすぎながら、目の前で汗を垂れ流すこの光景を見ていると道場だけ異世界に思えてきた。  戦場でこんなに筋肉使うのか?というほどに筋トレしていた。ビリーズブートキャンプ並なんじゃない?と言いたいくらいだ。 「大丈夫? 菊池さん」 「あ、ああ…。ありがとう、トレーニングに戻ってくれていいよ」 「そう? それじゃあお先に!」  水を汲んできてくれた浦島がまた半裸になってその光景の中に飛び込んだ。ビッチョリと濡れた汗に床がなんであんなにキレイにされるのかが分かった。こんなに汗だくの人間がいたら反動でとても綺麗にしたくなる。  汗をはふはふと息で吹き飛ばながらなんだってここに来てしまったのか自分でもアホな決断をしたと思う。手合わせは顕現されたばかりの物吉と明石だったので今日は同じ脇差の浦島と太刀の鴬丸が彼らに手を貸した。ついでとばかりに最近検非違使から取り出された髭切と膝丸も交えての手合わせである。鴬丸のことだからのんびりやらせるのかと思いきや、いつもの姿で道場の走り込みから始まった。先頭のペースメーカーが鴬丸で最後尾で声出しをするのが浦島である。何となくだがいい選びだと菊池も思った。 「お、やってるなー」 「! 同田貫さん。御手杵さん」 「んだよ、菊池さんじゃねーか。お前も今は刀剣男士なんだろ? 筋トレやるぞ」 「え? え?」 「あはは、そりゃあいいなあ。面白そうだ」  そうか、こうなったのは全て同田貫のせいだった。腕を引っ張られて道場を20週。木材を重ねての階段トレーニングに、ランジと片足スクワット。菊池にはバランス感覚が悪すぎて片足スクワットは簡単に倒れてしまった。周り、特に同田貫と鴬丸が大笑いしていて本当に恥ずかしかった。そこに蛍丸が合流して菊池のことをモヤシみたいだね、と言うようになった。ムカついたが、筋トレ用にTシャツになった蛍丸は確かに腹筋がちゃんとついていて、ただ胸板が薄いだけなんだと分かった。あの大太刀を軽々と振り回す腕にだってしっかり筋肉がついている。自分の振袖状態の二の腕に菊池はまた涙しそうになった。  その後はタッチトゥズが片足10回、プランクはサイド、ノーマルそれぞれ1分の10秒休憩で5セット。いつもはそれに加えてバービー15回3セットあるらしいのだが、菊池はもはやウォームアップの時点でバテていた。明石、物吉も同じらしくぜーはーと言ってペットボトルに入れられたミネラルウォーターを少しずつ飲んでいた。がぶ飲みは良くない、と蛍丸に止められてストローを口に加えさせられているのだ。さすがに朝食を嘔吐したのは菊池だけだったが。  その後はストレッチをしてケガをしないようにほぐした十二分にほぐしてから手合わせの本番となった。ぐったりした頭で物吉と明石が向き合うのを見つめる。審判は鴬丸がやるらしい。内番はやる気がなさそうなのに筋トレはヘトヘトになりながらもこなしていた。それでも少し休憩すればまだ動ける人だ。 「ほい、タオル」 「ありがとうございます…」 「いいって、敬語なんて。菊池さんはこーゆー筋トレ初めてなのか?」 「……あは、」 「へー。そんな筋肉ない体でよく生き残れたなー」 「そ、そうですか……?」 「コイツの本丸は平和ボケしてたんじゃない?」 「あー、そうかもな」  蛍丸、同田貫が毒のついた言葉で混ざってきた。御手杵は悪気なく「そうなのか?」と聞いてくるが菊池からすればこの本丸の方がおかしいのだ。普通は審神者に守護なんてつかないし、名前呼びもさせないし、刀剣男士にこんな筋トレさせないし、……あげればキリがない。 「菊池さんさ、こんな筋トレ意味無いって思ってるだろ」 「えっ…!?」 「はあ? そんなこと思ってたの?」 「可哀相だなあ」 「いや、そんなことは……」 「でも、筋トレなんかしても強くなれないって。思っただろ?」  ぐっと口を噛み締めた。何もしてこなかった肌色なだけの手を握りしめる。御手杵のマメだらけの手や、同田貫の傷だらけの手や、蛍丸の分厚く皮が固くなった手と違う、やわらかくて丸くて爪ばかりがのびた手だ。 「1本! そこまで!!」  気づいた時には物吉が明石の首に刀を当てていた。小さくてまだ細い体でよく勝てたものだ、と思ったら蛍丸が隣で大声を出した。走り込みの時にする掛け声よりも何倍も大きい声で「国行、腑抜けたこと続けてたら野球ノックさせるからね!!」と叫んだ。  菊池は明石は野球ノックなんて分かんないんじゃないか?と思ったが口には出さずに2人の対戦を見守ることにした。御手杵がこっそりと教えてくれたのは、#名前2#さんが時たま思いつきで遊ぶ日を決めて野球やサッカーやとにかく大人数で遊ぶことをするらしい。山の中に色んなフィールドが用意されてて(その用意は山伏ほか数名+#名前2#さんで行われたんだとか。)いつでも準備出来てるらしい。 「野球はちゃんとしたバット使うんだけど、ノックはお仕置きでボール打ちに使うんだ」 「へー…」 「あれ、痛いんだよなあ。何気に」  しかも本人は顕現されたまま木に結び付けられて見せられているので精神的ダメージもひどいらしい。 「あれ? でもそれって打刀くらいしか出来ないですよね?」 「おう。だから卓球にしたりホッケーにしたり、俺の槍なんかは綱引きの綱代わりとか」  槍引きとはまた不思議なことをするなあ、と頭に思いうかべてみた。相当に滑稽な様子が浮かんできて吹き出しそうになる。 「そんなんイヤやぁあぁぁあぁああ!!」 「あはは、がんばれー」  叫びながらもう一本を狙いにいく明石にヒラヒラと手を振りながら浦島が爽やかに言うのが何となく怖かった。 「それで、こんのすけは何で呼び出されたんですか?」 「ああ、そのことか。こんのすけで僕の声を通信出来るようにまた内蔵マイクを仕込んだんだ」 「えっ!? あれってデフォじゃないんすか」 「まさか。他の担当たちだってマンツーマンでやるものもいれば放任するやつもいる。マイクは自分で取り付けるように、というのが規則さ。さあ、もう話は終わったろう」 「あ、これ今週の世祖の体調まとめたファイルでこっちが出陣履歴と刀剣男士たちのデータっす」 「ああ、はいはい」 「それじゃあ失礼します」  ぴっと頭を下げて世祖とこんのすけ、三日月を引っ張って部屋を出ていく。応接室の扉はまたホログラム仕様になってただのコンクリート壁に変わってしまった。相変わらずの金をかけない感じに#名前2#は舌を巻きながら受付の元に返ってくる。 「おねーさん」 「はい」 「審神者名の菊池って男について調べたいんだけど」 「通報ですか?」 「ああ、いや。トラブルっちゃトラブルだけど黒本とかじゃない。盗まれてもないし、バトったりもしてない」 「それでしたらお教えできません。示談交渉でもしたらいかがですか?」 「ですよね。ありがとうございます」 「またのお越しをお待ちしております」  先ほどとは違う受付の女性は愛想のない嫌味な人だった。世祖は何も気にしていなかったが陸奥や三日月はカタカタと刀を揺らして何とか我慢しているようだった。  ゲートに到着するとこんのすけが開口一番に「三日月さま! 陸奥守さま! 刀を揺らして脅すのはおやめ下さい!」と叫んだ。 「はは、すまんすまん。つい、な」 「陸奥にはまた俺からよく言っとくよ」 「そう言いながら止めさせないのは#名前2#さまでしょう!!」  当たりー、と#名前2#が笑って陸奥の鞘を撫でた。ただ訂正しておきたいのは陸奥が刀を揺らしたのは脅しではなく#名前2#を宥めるためである。#名前2#はキレると何を仕出かすか分からない嫌な意外性があるのだ。 「よっし、戻るかあ」  こんのすけのお小言を適当に聞き流して#名前2#はゲートを通り抜けていく。目の前に現れたのはバケツリレーをする遠征部隊たちだった。 「どうしたんだ、お前たち」 「あ、#名前2#さん。うん、ちょっとね」  加州が目を向けた先にはふんどし姿で水をかぶった同田貫と菊池の姿があった。プールに浸した体は氷水でガタガタと震えているが2人は紫に変わった唇のまま 「やるじゃねえか」 「そちらも……」  と謎の気力で持ちこたえていた。 「いや、何やってんのお前ら!!?」  #名前2#の叫び声に喜び勇んだ世祖がそのプールに飛び込むまであと10秒。  ガシガシとタオルで世祖の頭を拭いて、ドライヤーをつける。話が聞き取れるようにターボではなくセットにした#名前2#はハンドタオルを世祖の頭に乗せて小刻みにカシャカシャと動かした。 「んで何してたんだよ、お前らは」 「菊池があまりにも軟弱だからよぉ、」 「何かやれることはないのか、と言われて寒さには強いという話をしたんです」 「はあー。……それにしても、お前達ほんっとアホみたいなことしてくれたな!!」  見ろこの有様を!と指さした先には寒さの我慢比べに早々にリタイアした明石と物吉が倒れている。この2人は完璧に被害者なので#名前2#もさすがに何か言えなかったのだ。  蛍丸はそんな明石に堕弱だね、と言いながらその横べった腰に座って菊池を睨みつけた。きっと結ばれた口からは何の言葉も出てきていないがその雰囲気は菊池を敵視した殺気にも似た何かだった。さすがの#名前2#もこれは、と思い菊池と蛍丸の間に体を割り込ませた。 「まあ、いいじゃねえか。菊池がすげーやつって分かったろ」 「そうかあ? ってお前、敬称つけろよ」 「あ、いえ。俺の方から呼び捨てでいいって言ったんです」 「そうなのか? なら、いいけどよ」  世祖を加州の膝に乗せて#名前2#はもう1度同田貫と菊池の体に異変がないかを確かめた。暖かいお粥をめいっぱい口にしたせいで舌が少し火傷していたが大丈夫そうだ。ただし、同田貫にはきちんと爪を切ろよと注意しておいた。最近戦場に出ていない彼には爪垢がたまっていた。和気あいあいと菊池を取り囲む#名前2#たちから蛍丸はフンッと鼻息荒く目をそらした。あんな堕弱が、と出た言葉は椅子になった明石のみが知ることである。  菊池はまた寝れなかった。 「寝れんがか?」 「陸奥守、さん」 「陸奥でええき。わしゃあこの本丸では#名前2#の佩刀じゃけん。そうそう前には出てこん」  言われてみれば、陸奥守吉行という刀を見てもその付喪神の姿はまるで見なかった。#名前2#がさしていたのは無銘ではなくて坂本竜馬の愛刀だったのだ。 「ここ、ええか?」 「どうぞ」 「すまんのう」  月を見ながらペットボトルで水を飲む。未成年の菊池はまだ酒を飲ではいけないという規則を破る気すら起きずミネラルウォーターを大事にちびちびと飲んでいた。#名前2#が山伏に頼んで汲んできてくれた山の源泉は少しだけ土臭くてそれでいて変にとりつく美味しさがある。陸奥は菊池を見て「いい水じゃのう」と酔っ払いのような赤ら顔になった。一瞬だけ見えた顔は消え失せてまたいつもの表情に変わる。きゅぽん、と木の蓋をとって酒瓶をあおる。 「わしがなんで#名前2#の佩刀でいるかわかるか?」 「……。さあ」 「なんじゃ、気のない返事じゃのう」 「すいません……」 「わしはな、刀じゃけんど刀じゃなか」 「でも、わしは刀の付喪神になってもうた。もうここから逃げられん」 「じゃから、#名前2#に腰にしがみついて自分を殺すんじゃ」  え、と菊池ののどから声が漏れた。陸奥守といえばいつも騒いでて、でも頭もキレて、新撰組といざこざはあるけどいいやつで。なのに、付喪神である自分を殺そうというのか? 菊池にはよくわからなかった。 「嫌なんじゃ、もう無駄な戦いは。同田貫や御手杵は戦場がいいというがの。わしはもう主を龍馬と#名前2#と決めたけん。戦っても終わりの見えないこの戦は嫌いじゃ。 でも」 「いちばん嫌いなのは、刀として振るわれることを望む自分じゃけえ」 「刀なんだから、当たり前じゃないですか。そんなに悩まなくても、」  菊池の言葉に陸奥は哀しげに笑って「そうじゃの」と口を動かしてうなずく。 「当たり前。そうじゃの、刀じゃけんのう。……でも」  戦いを自分から願ってる気がして自己嫌悪するんじゃ……。  ハッと気づくと菊池は部屋にいた。三日月の着物は折り畳まれて枕の上方に置かれている。着流しのまま布団の中に入ってしまったらしい。昨日の夜、何があったのか思い出せない。何となく苦しくて辛くて嫌なことについて考えていたと思う。でもそれがなんだったのか思い出せない。辺りはシンとしていてこの本丸に誰もいないんじゃないかというほどの静けさだった。 「……?」  とにかく着替えて歯磨きをしよう。顔を洗って薄く出てくるヒゲを剃る。それから朝ごはんを食べてもう1度歯磨きをしよう。布団から起き上がった菊池は朝なのに家畜の鳴き声もしないことを不審に思わなかった。