小指とトレモロ
【敬語】 敬語を使わなくていいぞ、と言ったらジャミルは恥ずかしそうに俺のことを「#名前2#」と名前で呼んだ。海外ってこんな簡単に名前を呼ぶから不思議な気持ちになる。だがアジーム家の数の多さを考えると#名前2#と名前で呼ばれる方がいいのかもしれない。 「ジャミル。折角だからマンカラでもやらないか」 「…別にいいですけど」 「敬語」 「…んっ。あ、あーー……。いいぞ。わかった。取ってくる」 「うん、頼んだ」 ジャミルは恥ずかしそうに戸棚にしまわれたマンカラを取りに行った。あとあと、ジャミルの両親から敬語も使わないなんて!と怒っているところを見たのだが俺の話も聞かずに叱るのはなんなのだろう。従者というものはよく分からない。俺の方から言って聞いてもらえるのか分からなかったので俺と、父からそれぞれジャミルは好きにさせてほしいと頼んだ。ジャミルはなんというか……自分の介護職の記憶があるせいかうまく距離感がつかめなかった。敬語を外させたのはもう少し考えてみようという行動なのだが。……意外にも、距離感はあんまり変わらなかった。不思議だ。 【食事】 これまでジャミルが食事を作っていたけれど、最近それがやけに厳しくなった。外で食べるものはいつも買い取った動物で念入りに確認してから食べたのだが、ジャミルはそれすらも禁止した。いわく、どこで何の危険があるか分からないから、と。それ、俺が食べたいと思ったやつは全部ジャミルに任せるしかなくなるのか?と言うと不遜な顔で頷かれた。 「#名前2#、お前は俺の飯しか食うなよ」 その言葉は命令のはずなのになぜか俺には懇願する声に聞こえてしまった。昔の認知症の人に「○○しないでください」ってお願いする自分と重なって気分が悪くなる。断れなかった。折角新しい味に出会う機会を取られているのに、やりたいことを制限されているのに、自分が利用者たちのように人を困らせる存在だと言われているようで悲しくなった。いや、そんな表現は良くないのだけれど。ああもう、#名前2#と俺との感覚がごちゃ混ぜになってしまって吐き気がしそうだ。 「わかった。その代わりに、お前もカゼとかひくなよ」 「勿論」 その3日後、ジャミルは風邪をひき俺は自分で料理をした。そこまで下手じゃないだろうと思ったがこの体は料理になれていない。あとこのキッチンがよく分からない。鍋で米を炊くのもよく分からず、試行錯誤したがなんとか作れた。 ジャミルに食べさせてみたら不満そうな顔で「これ、誰かに食べさせたりしたのか」と聞いてくる。 「まさか。俺の初めての手作り料理なんて誰も食べないよ。まずいし」 「……まずいってわかって俺に食わせたのか」 「あははは」 「笑い事じゃないぞ」 「でも、ジャミルは食べたいかなと思ったんだよ」 ジャミルは風邪をひいたとき、#名前2#に申し訳なく思っていた。どうしよう、あいつが誰かの料理を食べたらどうしよう。折角手に入れた大切な権利をすぐさま、しかも自分から手放してしまうなんて。情けなくてよく分からない涙だって出てくる。それでも……。 ――ジャミル、飯持ってきたよ。 #名前2#の手作りが食べられたことにだけは、少しだけ感謝しなければならないかもしれない。 【迷子】 #名前2#は目を離すとすぐどこかに行ってしまう。本人曰く、冒険らしいがそんなのは2歳児の時に十分にやったはずだろう! 困らせていたのを俺は聞いているからな!! でも#名前2#はその話を聞いても「そうか、その時には迷惑をかけたんだろうな」と他人ごとのように頷いてまたどこかへ歩いていってしまう。 お前も! 今現在! 迷惑をかけているんだぞ!!と、言えたらどんなによかっただろう。口で文句を言いながらも、心のどこかではあの#名前2#と2人きりになって遊んでいるのが少し嬉しい。そんなことを言うと#名前2#に怒られるから言わないが。 だが、その日は市井に#名前2#は降りて誘拐されてしまった。俺が目を離したからだ。助けに行った時には#名前2#は自分で脱出していた。泣きもしなかったけれど、笑いもしなかった。 「生きて帰れたか、よかった」 それだけ言って部屋に戻った。俺のことを、見もしなかった。悔しかった。俺のことを怒ればいいのに。叱ってくれればいいのに。部屋で自己嫌悪と#名前2#へのモヤモヤを発散させるため、ストレッチをしていたら従者の1人に#名前2#の夜食を持っていくよう言われた。#名前2#のために作ったサンドイッチはもうしなしなになっていた。それでいいとは思えなかったが、従者から「#名前2#様はそれが欲しいとお申し付けに」と言うので仕方なく持っていくことにした。 #名前2#の部屋に行くとベッドに座り音楽を聴いている#名前2#がいた。 「#名前2#、持ってきたぞ」 「ありがとう」 #名前2#はそれ以上、何も言わなかった。俺はやはり自分が蔑ろにされているように感じた。 「……だから、言っただろう。俺の目が届くところにいろ、と。そうじゃなかったら、こんなことには」 「ジャミル」 「ッ……」 「ごめん、ありがとう」 部屋に戻れという合図だった。部屋に戻って呆然とベッドに戻る。サンドイッチは手元になかったからちゃんと置いてこれたと思う。鼻の奥がツンと痛くなった。ぼたぼたと落ちる涙で枕を濡らした。ちがう、本当はあんなことが言いたいんじゃなかった。ただ、口から出てしまったのだ。邪悪だ。自分の性根がこの時はとても憎かった。 翌朝、#名前2#を迎える準備をしなければと部屋にいたらごんごん、と壁を叩く音がした。扉を開くと#名前2#が準備もして立っていた。 「#名前2#……?」 「ジャミル、準備できてるか」 「い、いや」 できてる。出来てはいるのだが#名前2#の真意が分からず嘘をついた。 「じゃあ部屋の中で待ってる」 「あ、ああ」 #名前2#はそう言いながらジャミルの部屋に入ってくる。いやいや、待ってるってここでか!!? #名前2#は「綺麗にしてるなぁ」と感心したように呟いて絨毯に座ってしまった。 「目の届く範囲とか、俺はよくわからんから」 「……」 「いっそのこと、手でも繋いだ方が早いんじゃないかと思ってな! 迎えに来た!」 どうしたらそんな思考に至るのか、1度頭の中を覗いてみたい。でも、自分の言葉で#名前2#が考えを改めてくれるのも……手を、繋ぐのも少しだけ嬉しかったりする。髪の毛を結び直し、念の為ウェットティッシュで手をふいた。 「ほ、ほら」 ジャミルが差し出した手を#名前2#は絵本の中の王子のように恭しく手に取った。 「じゃあ、朝食でも食べるか」 「……ああ」 子どもっぽくて恥ずかしいとか、断る理由はいくらでもあるはずなのにジャミルは何も言えなかった。#名前2#と繋いで手から感じられる体温に自分は心底安心していた。 ここから学校の話 【寮長になった】 寮長。めんどくさい。やりたくない。アルアジーム家の人間だからだろうか。父がこの学校に寄付なんかしたからだろうか。スカラビア寮と決まって寮全体を改装させたからだろうか。 副寮長はジャミルがやってくれることになった。前の寮長たち、イウナンは「大丈夫。そんなに大変じゃない」と言っていたが全然そんなことはなかった。寮ごとに戦うだとか、寮生たちの面倒を見ろだとか。勉学にいたっては俺も不安なところがあるのに。自分の部屋で必死に寮生たちの顔と名前を一致させるように覚えていたらジャミルがチャイを入れて持ってきてくれた。甘すぎて俺はあまり好きじゃないのだが、この体はそれにも慣れていて不思議な感覚になる。 「#名前2#、そんなに不安そうな顔をするな」 「ジャミル……」 「俺が支える。安心して頼ってくれ」 ジャミルはそう言うが俺はつまり寮の代表となっていろんなことを矢面に立って行わなければならなくなったのだ。いわば、王様ってやつである。俺はそんなのになるためにここに来たわけじゃないのに。 「俺に……王はつとまらないさ」 「……。そんなこと、ないだろう」 もし。ジャミルが寮長だったらスカラビア寮の精神がしっかりと引き継がれているだろうなと思ったのに。そんなこと言っても意味はないのだが。 「ジャミル。もし俺がいらなくなったらマンカラで勝負しよう」 「え?」 「学園長立ち合いのもと。寮長の座をかけて勝負しよう。それぐらい許されるだろ」 俺が笑うとジャミルは疲れたように微笑んだ。「ああ、わかった」と。そういってくれたので、俺は安心して寮長の仕事を頑張ることにした。後続が決まったのなら、もう俺はいつ死んでもいいだろう。アルアジーム家の長男にスペアがいるように、スカラビア寮の寮長にもスペアは必要だ。 ・ ・ ・ 「俺は、#名前2#が、俺だけのものになればいいと。そう、思ったんだ」 遠くで誰かが泣いている声が聞こえる。ジャミル、お前なんだろうか。おかしい、なんであいつが泣くんだろう。俺は、お前に寮長の座をゆずって。それで、それで……。おかしい。体が軽い。寮が水で包まれてる。なんで俺のユニーク魔法が…? ああ…いや、これが暴走状態ってやつか。 「そうか。ジャミル、お前、俺に与えられたからいけなかったのか」 なら。どうしようか。そしたら。 「なあジャミル。オーバーブロットの俺を倒せたら寮長の座を奪い取ったとか、そういう考えを持てばいいだろ」 俺は笑っているはずなのにジャミルは泣いていた。おかしな話だと思った。