あいつは禽獣

 その日は随分と前から休暇申請をしていた。それだけは潰さないでくれと何度も司書や館長、ネコに願い出た。だが、突然の仕事にその休暇は呆気なく潰れたのだった。突然、有碍書が運ばれてきたのだ。慌ただしい文豪たちとパートの皆に合わせて#名前2#も忙しなく働いた。休みのことは彼自身すっかり忘れていてカレンダーを見てからようやく思い出した。ぐるぐると黒く丸が書き込まれたその日は忘れてはならないと戒めのために付けていたのだが、忙殺された体は日付感覚を失い一日分自分の感覚とズレていた、 「……ああ、すみません。目を合わせれば挨拶が済んだかと。川端康成です」  新しく来た文豪は同じ新感覚派だという横光が相手をしていた。文豪たちは転生してから死に別れた自分の親友と会えることになる。それは少し羨ましく少し怖かった。 「#名前1#」 「菊池、どうした」 「ああ、いや、休暇潰しちまったって聞いたからよ……。川端は栞で転生させてやれなかったから今回の雪国を浄化する任務は忙しなくてな。いつもよりハイペースだったんだ。それで……」 「……別に構わない。こんな仕事だ、休暇なんてそんな上手くいかない」 「おい、そんな言い方…」 「なんだ?」 「……。あんま自分を卑下すんなよ」 「おい、お前に言われたくない」  芥川や久米と離れて菊池一人だけ京都にいたことは知っている。それに転生前の見目が悪く、今この姿になったことで転生前へのコンプレックスが生まれたことも司書から聞いていた。菊池は目を見開き「はは」と乾いた声で笑った。結局こんなやり取りには意味が無い。芥川が近づいてくるのが見えて立ち去ることにした。休暇は1ヶ月後の同じ日にまた申請した。  家に帰るとアカとアオが先に帰っていた。なぜか今日は豪勢な食事である。どうしたんだ、と聞くと「残念だったなと思ったので」とアオが口を開いた。アカはそのまま泣き出してしまった。頭を撫でるとなんでアンタは泣かないんだよと言われた。そんな事言われてもなあと俺は笑う。 「あの日に俺はもう随分と泣いたから。もう壺は空っぽなんだよ」  その日は3人で布団を揃えて寝ることになった。アオとアカは二段ベッドが用意されているのに客用のベッドを持ち出して3人で寝ることになった。2人の涙の痕は次の日の図書館で大騒ぎになったが彼らは何も言わなかった。俺の方から言ってもよかったのだが自分から説明するのは変な話のような気がした。島崎藤村の視線だけはこちらに突き刺さっていた。  洗濯機を5台、いっせいに回して先程回収した洗濯物を干す。文豪たちの服も使われたタオルも趣味のユニフォームだとかジャージだとかも全てここで干さなければならない。平干し用の板を広げ、ハンガーにかけられるものは手早くかけていく。シワにならないようにできるだけ伸ばして叩くが重さですぐに形が崩れた。 「ねえ#名前1#くん」 「なんだよ」 「アカとアオはどうして泣いたの?」 「さあな」 「君は関係してない?」 「男が泣くのは何かが生まれた時と何かが死んだ時と自分が生まれた時だけらしいぞ」 「誰の言葉?」 「この前読んだ雑誌」 「ふうん……。でもあれ、嬉し泣きじゃないよね。擦って腫れた目だったもの」 「よく見てるな」  こんな会話をしているが島崎は俺の手伝いはしていない。して欲しいと頼まないがこの光景はなかなかシュールである。服を粗方終えたところで鬼門のバスタオルである。文豪たちによって高級なタイプだとか安売りのものだとか色々とあるので干し方も色々あるのだ。タグを見ながら仕分けていくと島崎もしゃがみこんだ。 「ねえ、それ何してるの?」  突然の話題転換に俺の頭は一瞬ついていかなかった。手に持ったバスタオルを見て「仕分けてる」と一言答える。 「タオルにも仕分けがあるの?」 「干し方が変わるからなあ。服は形が崩れやすいものは平干しするけどタオルは高級なやつは平干しとか陰干しとか設定されてるからその仕分け」 「ふうん」  泉鏡花のように「貴方に任せるくらいなら自分でやりますので」というタイプならいいのだが白樺派のように「任せるけどしっかりやれよ!」勢はめんどくさいのだ。慣れたものでタグのマークは一瞬確認すればすぐに分かる。白の悪夢が終わると柄付きだったりキャラクターがデザインされていたりするのでわかりやすい。俺の作業に島崎はキラキラした目で見ていたがまた突然話題が変わった。 「君のこの前の休みはどこに行くつもりだったの?」 「実家」 「それはどこ?」 「S県」 「ここから近い? 僕ら、この図書館がどこにあるのかも分かってないんだけど」 「この場所は守秘義務がある」  だからこそ俺達は出入りを厳重に管理されているし、監視の目もついている。 「ふうん。ならさ、僕は君の次の休みに同行することは可能?」  僕は? 同行? 嫌な単語が聞こえてきた。だが文豪たちの意思はできる限り尊重されるものであって俺なんかが否定できる言葉ではない。俺は渋々「館長に聞いてくれ」と逃れた。後日、島崎藤村に遠出用の外出許可が与えられた。外出理由の欄を事務員としての権限で見せてもらったが、#名前1##名前2#への取材と細い字で書かれていた。普通に嫌な気分になった。  休暇まであと2週間といった頃。横光利一が庭に顔を出した。俺はちょうど外から窓拭きをしているところだった。文豪達には前もって知らしてあるのでほとんどはカーテンだったり障子で中が見えないようになっていた。放置されていたのは酒を飲んで倒れていた中原とわざと俺を待っていたという森くらいだった。  横光がこちらに来たのは見えていたが俺に用事があるとは思わなかった。用を告げるための腰紐がくい、と弱い力で下に引っ張られる。見ると横光がそこにいた。ハシゴをおりてくるとじっと固まっていた体はびくりと震えた。怖がられることは一切してないつもりだったのだが。 「#名前1#くん」 「横光、どうかしたか」 「……手前は君に謝らなければならない」 「え?」 「君の大切な日を手前の勝手な願いで潰してしまった。ほんとうに申し訳ない」 「あー、あれか。いや、別にそっちが気にすることじゃない」 「だが……」 「ここに着いている以上、そういうことが起きるのは仕方ないことだ」  横光は微妙な表情だったが俺はそのまま図書館に押し戻した。ここに辛気臭い顔で居られても迷惑なだけだ。窓を拭き終えた頃にはその日は2時間ほど過ぎていて俺は急いで食堂に食器洗いをしに走った。  件の休暇がやってきた。島崎を連れていくため今回は場所の特定が出来ないように車で連れ回した先の駅から行くことになった。帰りもまた同様である。これだけのために俺は自腹を切ってレンタカーを借り、朝は5時に集合するのだからここの図書館のひどさはよく分かるだろう。司書に見送りをしてもらい図書館の外に出る。島崎は視界が遮断されたサングラスをかけていた。駅に着くまではこのままである。手を取り車まで歩いた。初めて見る車にあたふたとしながら乗り込ませ、俺も運転席に座った。一応シートベルトは付けているが島崎は色んなことに興味を出しているのでシートベルトは自分で取ってしまった。これで怪我でもされた方が面倒だ。後ろを振り向き、触るぞと声をかけてからシートベルトをもう一度つける。島崎は無言のまま待っていたのに「触らなかったね」なんて最後に言った。俺も無言でエンジンをかけた。  電車に乗るのを島崎は楽しんでいた。自然主義は紀行文もよく書いたと聞いている。旅は好きな類なのだろう。乗り継いだ電車は三本。新幹線は早いがチケットが高いので往復は諦めた。ようやく実家に着いたのはお昼過ぎだった。  駅を下りてからバスに乗り、10分ほど揺られた先に実家がある。チャイムを鳴らすととたとたと小さな体が歩く音が聞こえてきた。 「はい、お疲れ様」 「こんにちは、孝江さん。この人が電車で言ってた島崎さん」 「あらそうー、こんにちはぁ」 「こんにちは」 「先月はごめん。大丈夫だった?」 「ええ、法生寺のおっしょさんは優しい方だからね。ちゃぁんとやってもらった。大丈夫よ、#名前2#くん」 「……よかった。じゃあ荷物置いてちょっと行ってくる」 「豚ひき肉安くてね。ロールキャベツ作っといたから。#名前2#くん、好きでしょう?」 「ありがとう孝江さん」  荷物を下ろし島崎も連れて道を歩いた。島崎は家から少し離れたところで「あの人は母親じゃないよね」と聞いてきた。 「まあな」 「どこに向かってるの?」 「花買って行く先なんか1つだろ」  駅で買った花を見せると島崎はそうだねと落ち着いた声で言った。法生寺と書かれた木の看板が見える。今日は月命日の墓参りに来たのだ。  少し前に飾られたであろう花は1部分が枯れていたが他は生きていた。枯れた部分を切り取り、ぬめった茎を挟みできる。水を入れ替え、墓石を拭き、雑草をとる。ロウソクに火をつけて線香を供えた。 「先月の休みはこの人の何かあったの?」 「三周忌だった」 「そう……」  島崎は墓の横にある遺骨の入った名前を見ていた。孝江さんの旦那さんの名前の横に「市原陽奈子」と文字が彫られている。 「いい名前だろ」  俺の言葉に島崎は頷くのみだった。  家に戻り、仏壇にまた手を合わせる。写真の中の妻は微笑んでいた。彼女は今成仏するために頑張っている真っ最中だろうか。俺は彼女のもとに行く頃にはヨボヨボの爺さんになっているだろうと思うとなんだか笑えた。ロールキャベツをタッパーに包み島崎とまたバスに揺られて最寄り駅に戻った。電車に揺られながら対面席に座る島崎を見た。彼は窓の向こうを見ていた。そこには来た時の新鮮さはない。つまらない光景ばかりが広がっている。なのに目は離さなかった。 「結婚してたんだね」 「意外か?」 「少しね。でも、言われてみればしっくりくるよ」 「……。籍は入れてない。入れる前に陽奈子は死んだ」 「図書館で働く条件として天涯孤独であること、家族がいないことってあるはずだよね」 「……」  島崎はふふっと笑った。薄気味悪い笑みだった。別にこれで図書館から切り捨てられても構わないが島崎はそんなことをする人間ではないだろうと勝手に思っていた。 「君にとって陽奈子は本当に妻だった?」 「もちろん」  即答だったが島崎はそれすらも分かっていたように「自己告白っていう概念は君にはないのかな」と畳み掛けた。相手をするだけ無駄だと分かっていたがその視線はひどくイラついた。今までの自分たちを否定されたような気分だった。 「僕、君に興味が湧いたよ」  爽やかな笑顔を浮かべているはずが胡散臭さを持ち合わせた雰囲気だった。勝手にしろと#名前2#は答えた。  図書館に戻って島崎は司書のもとに急いだ。陽奈子さんってどんな人なのとインタビューするつもりだった。司書の言葉を聞くまでは。 「#名前2#さんに奥さん? いませんよね?」 「え? でも籍はまだ入れてないけどって……」 「……。もしかして、陽奈子さんのことですか?」 「うん。その人。てっきり奥さんなのかと」 「#名前2#さんは天涯孤独ですけど、ここで働く前はまだ家族がいたんですよ。同じ施設で育った血の繋がった妹が」  島崎はその言葉を聞くや否や部屋を駆け出した。門番達は島崎に許可証が与えられていないと気づくと即座にその体を止めた。引っ張っても揺すっても体は前に動いてくれない。彼は、彼は…! 自分を騙していた! わざと騙した! なぜ、なぜ!!! 「#名前2#を連れてこい! 早く、早く!!!」  叫び続けた彼に麻酔薬が打ち込まれる。司書が緊急事態用に持っている薬のひとつだった。明日の朝、島崎と#名前1#を会わせることが決定した。