06

 ベオウルフにとっては#名前2#はいてもいなくてもそんなに変わらない存在だ。飯を作るということしか価値がなかったのだから。今はあの面白い料理がないことこそ不満だが、だからといってあの王様たちに「連れてきてくれ」と頼むほどでもなかった。  では、目の前にいる男はどうだろうか。飯は時たま食べるような存在。どちらかといえばこいつと#名前2#とは仲はよくなかったように思う。だというのにこいつは#名前2#の居場所を聞いてきた。ベオウルフが守る監獄にわざわざやってきて、だ。#名前2#は基本的に誰にも会わせないようになっているが、ベオウルフの目を盗んで会いに来た時には気にしないようにしている。クーフーリンオルタもメイヴも確認しないのだからバレることもない。  だからといって、与えられた仕事として話しかけた相手に関しては「おう、会っていいぜ」とすんなり通すわけにはいかなかった。建前と本音の関係は暗黙のルールなので、それをわざわざ説明するのも無粋に思えた。 「………知ってどうすんだ、お前さん」  ベオウルフの問いかけにアルジュナは少し考え込んで「分かりません」と言った。やけに正直に答えるのでこちらも正直に「ならなんで来たんだ」と聞いてみた。 「会えば分かると思ったからです」 「何をだよ」 「この胸のどよめきを。あの男は言っていました。神との対話は自分と彼とで行うのだ、と。神の物語である歴史を改変することに意味は無いのだとも言っていました」 「his storyね」  彼、神の物語こそ歴史(history)であるという考え方をアルジュナが受け入れるとは思わなかった。英霊の中にも神はいるだろうが、神話として上げられた人間とているだろう。ベオウルフはアルジュナが後者の類だと思っていた。 「私は彼に会わねばなりません。会って話を聞くのです。胸の中には今、壁が生まれ、広がっています。この壁の正体を彼に聞くのです」  アルジュナは胸に手を当ててドクドクと一定の音を鳴らす鼓動を感じた。いつもよりも早くなっている。英霊に死という概念はなく、あるのは座に還るという行為のみだ。もし死が存在しているならば、それは座の消滅を意味している。  人間に定められた鼓動の数が座の消滅までのカウントダウンとしたらアルジュナは死期が早まっているように思えた。ベオウルフはアルジュナを見つめたまま「俺はこれから見回りに行かなきゃならん」と呟いた。 「これから砂嵐が来そうだ。もしかしたら俺は砂嵐に視界を消されて立ち往生するかもしれん。そうしたら帰ってこれるのは10分ほどかかるかもなあ」  自分の獲物を担いでベオウルフは歩き出した。アルジュナがこの言葉の意味を分からなければ仕方ない。ベオウルフにはこれ以上何かしてやるという考えはなかった。チャンスの女神には前髪しかないのだ。数メートル歩いてそっと後ろを見やるとアルジュナは既にいなくなっていた。中に入ったのだろうか、王たちの元に帰ったのか。とにかく10分は出歩いてやろうとベオウルフはまた歩き出す。  アルジュナはじめっとした中を進んだ。雨が降ったあとのようなべたつきが肌にまとわりついて不快さが増す。#名前2#の気配はやけに奥の方にあった。歩くたびに足音が響き、虫の音に驚いてしまう。生理的に嫌がる気持ちを押さえつけて何とか進むと堅牢な扉にぶつかった。みっちりと壁に打ち付けられたそれは膨張するかのようにアルジュナを圧倒した。  壁がある。扉を前にしてアルジュナはそんなことを思った。心の中にある壁がここにある。アルジュナはふと壁に手を当てた。冷たい扉は特に言うこともない普遍的な金属だった。無言でそれを押してみると音がやけに響く。耳奥がキイキイと鳴るのも我慢して扉を押し続けると片側が半分ほど開いた。そこまでしか開かないらしい。体をすべらせて中に入ると#名前2#が座っていた。  #名前2#だと思うがどこか違和感があった。手錠と首輪のせいかもしれない。目が縫い付けられているせいかもしれない。アルジュナが近づくと#名前2#は「珍しいなぁ」と声をかけた。 「ここに来るの、初めてだろ」 「……」 「あれ? アルジュナじゃなかったか?」  #名前2#の心配そうな声は今まで通りの彼だった。ホッとしながら「そうですよ」と優しく声をかけた。アルジュナが来てやったのだから#名前2#はもてなす側だがこの状態ならば仕方ない。何も言わずにしゃがみこみ、#名前2#の頬を撫ぜた。ザラザラした感触がする。  #名前2#は「やめろよ。風呂入れてねーんだから」と体を揺らした。ガチャガチャと音がした。手錠と首輪につけられた鎖が音を作るのだとようやく気づいた。壁に繋がれたそれは古びていて今にでも壊せそうだった。 「逃げませんか」  つい口から出たのはそんな言葉だった。先程まで胸に疼いて出そうか出すまいかと迷っていた言葉はどこかに消えた。#名前2#は驚いたようにアルジュナを見つめている。 「逃げましょう、ここから」 「むりだろ」  まるで子供に対して言うように#名前2#は笑った。この首輪を見ろ。この鎖を見ろ。俺はここから逃げられないんだぞ。そんな言葉を言い募る#名前2#はいつもの彼とは違っていた。極度の疲労と扱いのひどさに頭がイカれはじめている。いや、イカれているのはもとからだ。あの狂王と女王に従わなければいけないと考えが染まっているのだ。 「#名前2#、私を見なさい」 「あ、……」 「私はあなたを支配しに来たわけではありません。私を見なさい」 「う、ううっ、ううああああ」 「#名前2#、あなたは人を探しているのです」 「……俺、は」 「サシズキセイソ。少女をあなたは探している! 今、逃がします。だから、逃げなさい!!」  授かりの英雄というものはその幸運をどの状況にだって発揮する。アルジュナの握った鎖がぱきり、と割れた。鎖のついた壁の横にじんわりとルーン文字が浮かび上がる。アルジュナには読めなかったが、横にいた#名前2#はそれをまっすぐに見つめた。その眼に光が宿っているのを見てアルジュナはほっとする。だが、そのあと突然に自分の手首にかみつくとは思わなかった。驚くアルジュナの横で#名前2#はだらだらと流れる血をルーン文字に近づける。何が反応したのかバチリと鋭い音がした。 「おいおいマジかよ」 「#名前2#……?」 「すまんな、アルジュナ。今、わかった」 「何をですか…」 「あのルーン文字、知ってるんだ」 「はあ?」 「あれは人を惑わすためのものだ」 「……」  でしょうね、と思う。#名前2#をあんな風にするのはなかなかに大変だっただろう。洗脳すらも食い破りそうな男だったということをアルジュナはすっかり忘れていた。  #名前2#はハアーッと息をついてから自分の首輪を外した。首輪の下には鮮やかな赤色の傷がある。まるで傷の首輪だ。 「……まじか。こんなことまであるのかよ」  めんどくせえなあと言いながら#名前2#は立ち上がった。どうするのですか、とアルジュナが問いかける。このまま戻ったら自分も彼も狂王に殺されるだけだ。 「俺は俺で少し出かけるよ。ちょっとメイヴたちのところには戻れない」 「……」 「アルジュナ、お前も来るか?」  #名前2#が手を差し出した。その真っ黒に汚れた手をどうしようか考える。逡巡した結果、取ることはやめた。あの王たちを止めなければならないと思ったのである。そうか、と#名前2#は残念そうな声を出したがすぐに表情が切り替わった。笑顔を浮かべてアルジュナの手を握る。 「ありがとう、アルジュナ!!」  #名前2#はどこからか出したのか刀をもって天井を切り捨てた。隅のところだけだがガレキが落ちたとたんにものすごい埃やらが舞ってくる。部屋を出て入り口のもとに行くとベオウルフが立っていた。 「なんでえ、出しちまったのか」 「ええ」 「王様は怒るぞ」 「承知の上です」  リスクの上で#名前2#を助けた。この選択を間違ったとは思わない。 「……そうかよ」 「そうです」