番外編3

【イリヤと鶴野】  イリヤスフィール……。ああ、慎二からそういやそんな子どものこと聞いたな。  ビャクヤはそう言いながらイリヤに烏龍茶を渡した。烏龍茶は後味が苦くて嫌いだった。ビャクヤは「うちにはこれ以外ないんだ。俺がアル中だから」とよく分からないことを言うので仕方なく飲むことにした。烏龍茶と水道水だったら烏龍茶の方がいい。  シンジのお父さんがビャクヤだった。顔が似ている。髪の毛もそっくりだ。雑な性格もそっくり。心の中ではあっかんべーとバカにした。 「それで、うちに来て何したいの?」 「はぁうっ!?」 「何したいの?」  ビャクヤはデリカシーもないらしい。この家に来たのもひどい話だった。イリヤを迷子と勘違いし、交番に連れていき、そこでビャクヤがシンジの父親だと知った。交番にいた警察官さんに言われてこの家に連れてきたが、ビャクヤは最初から「めんどくせえ」と言っていた。そんな言葉を言われたのは初めてだった。  イリヤはビャクヤをしたから睨めつけた。ビャクヤはカリヤよりも身長が高いのに猫背な分視線が下に落ちていた。じろりとビャクヤの目玉がイリヤに合わさる。 「………」 「なんだよその目は」 「……」  恨めしかった。なぜか分からないがそんな感情が心の中にむくむくと湧き上がって壁を作った。大きくて分厚そうな硬い壁。ストレスのたまった体が作り出した外界との隔たりを持たせる壁だった。  イリヤは何も言わずにコップをいじる。烏龍茶の上の方には茶渋が残る白いマグカップ。本当はお茶を入れるべきじゃないものに彼は容れたらしい。 「めんどくせえなあ」  また、めんどくせえと言う。こっちだって好きでここに来たわけじゃない。今日はシンジがいない。リュウもキャスターもいない。ビャクヤしか、いない。 「何よぉ!! 私だって…きで、ここに、来たんじゃないの!!」 「はぁ?」 「ドイツにいればよかったの!! キリツグもアイリもドイツに、いれば…!」 「お前、何に怒ってんの」 「怒ってない!」 「……」  ビャクヤは3度目の「めんどくせえ」を言いながら部屋を出ていった。怒ることは力を使う。はぁ、と椅子に座り込み烏龍茶を飲んだ。まずいと思っていたそれは我慢できなくもない味だった。怒りで顔に血が集まっている。暑かった。火照った顔をなんとか冷まそうと手でぺたぺたと叩いた。少しだけ楽になった気がしたが暑いままだった。  ビャクヤの出ていった方向を見てもなんの気配もなかった。まさかイリヤを置いて出ていったのだろうか。いや、そんなはずない。そう考えて本当に?とイリヤの中の誰かが問いかけた。ビャクヤはイリヤを置いていかないという確証なんてどこにあるのかな?  バンッと机を叩いた。声が消えた。烏龍茶は少しだけマグカップの中で揺れたけど零れなかった。イリヤは知らず知らずに歯を食いしばっていた。 「……」 「おい、イリアンスー」 「イリヤスフィール!」 「そんな怒るなよ……。少し間違えただけじゃねえか」 「ほとんど間違ってたもん!!」 「……はあ。お前の迎え、来てるぞ」  ビャクヤが後ろを指さすとそこには士郎と小夜が手を繋いで立っていた。なぜかそれを見るとイライラしてしまう。2人ともイリヤのことを探しに来たんじゃないの? そう考えてしまうのだ。 「……。帰りたくない」 「ふざけんな」  ワガママを言った瞬間、ビャクヤのげんこつがイリヤの頭のてっぺんを襲った。ごつん、といい音がした。上を見るとビャクヤも手をひらひらさせている。痛かったらしい。 「お前のことずっと探してたんだぞ、こいつら。お前が心配かけたんだ。分かるか?」 「………イリヤわるくない」 「心配させるのは悪いことだ」 「心配したのは向こうじゃない!! イリヤ知らないもん! してって頼んでない!!」  ぺちん、と今度は頬を叩かれた。さっきよりも痛みはなかったはずなのに涙が出てきた。どうしてイリヤが怒られてるのか分からなかった。イリヤは、悪くないはずなのに。 「そんなこと言っていいのはな、本当に生きるのが辛くなった人間だけだぞ」 「……」 「そろそろ衛宮んとこの奴らも来るぞ」  それでもイリヤは嫌だった。帰りたくなかった。アイリスフィールが迎えに来て手を差し出された途端。むんずっと小夜の手を掴むと「お泊まりさせて!!」とお願いしたのだった。 【イリヤスフィールと指貫世祖】  結局、イリヤはお泊まりすることになった。ただし士郎も一緒である。最初、イリヤも士郎も嫌がっていたが#名前2#からの条件だったので仕方ない。2人はボストンバッグに荷物を詰めて#名前2#の家に向かった。舞弥が車で送ってくれたので行くときは全く会話がなかった。  ただ、家に着いてから士郎はピリピリとし始めた。イリヤをじろりとにらんできたのだ。 「おいイリヤ。ちゃんと荷物持てよ」 「なんで? 小夜が持ってくれるもん」 「小夜はお前の召使じゃねえんだぞ!?」 「知ってるもん! でもイリヤは持たないの!!」  荷物が持つのは従者がやることだ。そう言った瞬間士郎は傷ついたような目をした。ああそうかよ、という捨て台詞にイリヤはええそうよと自信満々に答えた。小夜は何も言わずに荷物を持っていた。 「お前らケンカすんなよなあ」  #名前2#が声をかけると二人はふんっと息をならして顔をそらした。イリヤスフィールのことを見つめていた小夜は小声でそっと彼女にささやいた。 「あとで#名前2#さんと話そう」  内緒話をするかのようなそれに、イリヤは少しだけ嬉しくなった。頭の中にはシロウとリンが内緒で遊んでいる姿があった。 【今際の際のかんがえ】  死んだ時#名前2#は「あ、死ぬな」と思ったくらいで他になんの思いも持っていなかった。それをそのまま伝えるとアルトリアは顔を顰めた。 「人間はみな、そういうものなのですか?」  まるで自分は人間ではないという口ぶりだ。だがアーサー王というのは不老不死でイギリスのピンチに蘇る、という伝説だ。彼女は既に伝説の中で人間ではなくなっている。英霊としての彼女は人間であると言えるかもしれないが、それはまた別の話だ。 「そんなことないわよ」  同じく人間ではないアイリスフィールが笑った。彼女が言っても全く根拠の無い言葉に思えた。  アルトリアは#名前2#をじっと見つめる。男は居心地悪そうにして、お茶を持ってきた乱を自分のそばに落ち着けた。 「なあ、乱は折れる時どんなことを思う?」  刀剣男士にとっては折れることは死ではなく本霊に還ることを意味する。そんなことを知らなくとも#名前2#が逃げたと分かる発言にアイリはあらあらと苦笑した。乱はきょとんとした顔で僕らを折るの?と聞いてくる。 「まさか、もしもの話だ。というか、折るとかやめろ。極にしてまで折るとかどんなサドだって話だから」 「えへ、#名前2#さんってば真面目に話を振ってくるから考えちゃったんだもん! そうだなあ、僕だったら世祖と#名前2#さんのこと考えるかな。置いてけぼりにしてごめんねって」 「置いてけぼりなのですか?」  アルトリアの声に乱はそうだよと頷く。笑顔であることが逆におかしく感じた。 「僕らは戦争してるんでしょ? なのに、僕一人だけ休むことになっちゃうから」  だからごめんなさいなの。乱の言葉に#名前2#は頭をかいて「お前、真面目なのな」とつぶやいた。 「#名前2#さんはどうせ何も考えてないんでしょ」 「よく分かったな」  乱は一瞬動揺した表情を見せたがすぐに隠した。笑いながら「#名前2#さんのことだったら、すぐ分かるよ!」と抱きつく。 「いい子ねぇ」 「本当になー」  お菓子をやろうーと差し出されたそれを受け取って部屋を出ていく。それを見ていたアルトリアは直感で言葉にはできない何かを感じていた。  別の日にアルトリアは一人で#名前2#たちの家に来た。切嗣に言うと反対されると思ったのでアイリスフィールにだけ告げてある。イリヤも来たがっていたが日本語の勉強をしなければいけないと家に縛られてしまった。 「#名前2#、こんにちわ」 「セイバーじゃーん、よっ」 「うぉっ!」  #名前2#と世祖は庭の簡易畑に水をやっているところだった。きちんとした畑はアルトリアの知らぬところにあるらしい。彼らの作る野菜はとても美味しいのでいつも有難く頂戴している。  世祖は土に生えた小さな雑草をひとつひとつ自分の手で抜いていた。今日は二人だけなのですか?と聞くと後から背中を叩かれた。 「!?」 「あはは、こんにちわー」  アルトリアには初めて見る顔だった。#名前2#は「驚かしてやるなよ、ナマズオ」と呼ぶ。変な名前だと思った。 「俺の名前は鯰尾藤四郎。はじめまして! よろしくです!」 「セイバー、アルトリア・ペンドラゴンです。こちらこそ」  刀剣男士ということもあり、はじめに顔を向けるのはアルトリアの顔ではなく持っているエクスカリバーだった。勿論今は持っていない。鯰尾はきょろきょろと探して「今は持ってないんですね」と残念そうに言った。 「鯰尾、ちょっと部屋戻って同田貫にセイバーが来たって伝えてくれ」 「ええ、また往復するんですかぁー?」 「あと世祖も連れてってやって」 「ひぇー」  鯰尾が世祖を連れて足音をたてずに走っていくのを見てセイバーはニコニコと顔をほころばせる。最初見た時は驚いていたが今ではもう慣れてしまったらしい。あの驚きの表情が結構好きだったのだが。  縁側のところに座り待っていたら同田貫がやってきた。内番用のジャージを着ている。今日は何も頼んでいないのできっとトレーニングだ。汗を拭いただけでまだ汗臭さがあった。 「おー、用事ってなんだよ?」 「いやー、アルトリアからの質問があったんだけどお前の答えが1番いいかなって」 「はあ?」 「折れた時、何を思った?」  アルトリアの瞳に血が降りかかった。#名前2#の腕が生々しい音で切られていた。アルトリアを守るために出した腕が切られたのだ。 「なんで庇う? こいつ、何聞いてるのか分かってねえんだぞ!」 「彼女は聞きたいだけだ」 「分かってねえよ!! 死が分からない? それを人に聞くか、普通!!?」 「あはは、まあまあ」  溢れる血を止めるように#名前2#はシャツを脱いで腕を結んだ。流れるのを止めるように肩を上に持ち上げる。アルトリアが謝ろうとすると切られていない腕で止められた。 「で、同田貫。どう思った?」 「……。使えるのに刀を折る奴らはクソ喰らえだ。みんな殺してやるって思ったね」 「アルトリア、お前も剣持つやつだしさ、分かるだろ? 死ぬ時に死にたくないなんて思わないんだよ、人間じゃないやつらは。俺も頭おかしいからね、死にたくないとか思う暇もなかった。 お前は死んだらアヴァロンに行くんだよな、確か。他の人がそうなるわけじゃない。死を受け入れることは大変だ。そのズレを考えないとな」 「ズレてますか、私は」 「俺が言うのもなんだけどかなりね。切嗣たちもちょっとおかしいからなあ。一番は雁夜とかかな? あいつ、性格突っ走ることあるけど一番人間っぽいと思う」 「雁夜……間桐の人間ですね」 「そうそう。魔術師はみんな頭おかしいから真似するのはやめとけよ」  アルトリアは謝る代わりに一礼をして家を出ていった。同田貫はべーっと舌を出して#名前2#の方に向き直った。 「すまねえな、腕」 「いいよいいよ、世祖が治せるし」  廊下の角から覗いていた世祖を手招きするととてとてと近づいてきた。光を浴びると腕が元通りになる。 「相変わらずすげーな」 「ほんとにな」 「いや、世祖じゃなくて。アンタが」 「俺?」  じゃれてくる世祖を膝上に乗せて#名前2#は頭を撫でる。むにゅむにゅとほっぺをつつくと「うふふふ」と笑った。機嫌は悪くない。 「たったあれだけのことで自分の腕使うか?」 「あはは、お前が切りかかるだろうなーって予測はしてたけど。まあ、アルトリアは変に生真面目だからなあ」 「ふーん?」 「言葉でいうと分かんないんだって。アーサー王伝説の本、読んだんだけどさトリスタンってやつが『王は人の心が分からない』って言ったんだよ。アルトリアは多分、王になるのが早すぎて色々と取りこぼしたと思うんだよね。そのままサーヴァントとして現界されて、切嗣だって子どものまま大人になった感じだしさ。仲悪いだろうねえ、あそこ」 「子どものまま、か」 「親が教えるべきことってあるじゃん、いろいろ。常識とかじゃなくてさ、感じるべき愛情とかそういうのさ。知識じゃなくて心とか体が知るべきこと。魔術師には元から足りてないのに、足りてないサーヴァントかけ合わさったらまあひどいよね」 「……」  その言葉で言ったら世祖もきっとそうなのだろう。まだまだ足りてないままサーヴァントになった。マスターが#名前2#だったから良かったもの、他の男だったらすぐにマスター殺しという悪事を働きそうだった。 「また今度アルトリアに会ったらお話しないとなあー」 「カウンセラーかよ」 「同田貫がそんな言葉知ってるとか驚きだわ」