06
雨生龍之介は殺人鬼である。鬼である。デーモンである。人ではない。なので、人を殺しても同属殺しではない。 「いやいや、沖野さん。それはないでしょ……」 沖野の少年への自論に#名前2#はさすがにツッコミを入れた。あまりにも極論的であって、まるで他者を鑑みていないではないか。さすがに人殺しを助長させるのはまずい。 「なんでだい、いいじゃないか。殺したいんなら殺せば」 「ここは2200年代じゃないんすから。ほら、もう行きますよ」 殺人現場を目撃したというのに#名前2#も沖野も気にせず去ろうとする。殺人者の龍之介すらもビックリするほどに淡白な対応で一瞬この男たち(目撃者たち)を殺すことを龍之介は忘れていた。 「ちょっと、待ってよぉー」 そんな対応されたら殺さないわけにいかないじゃんねえ。 獲物のナイフを掴んだ瞬間、龍之介は自分の体が硬直して動かなくなるのを感じた。ぐぎぎぎぎと指があらぬ方向に動かされてナイフが落っこちる。若い方の男が龍之介の方を振り向き、「よし、戻れ」と言う言葉と同時に手が一気に反動で戻ってきた。衝撃で爪が吹き飛び中にある小さな爪と薄ピンクの肉が見えている。ひゅう、自分の中の肉だ。痛みよりも先にこんなにも綺麗に剥がされることに驚きだった。爪に肉がこびりついている風でもない。きっちり爪のみが表面に出ている分だけ剥がされている。 ぱあっと輝いた龍之介に気付いたのか若い男は「おい、お前、今考えてる事口に出したらぶっ殺されるぞ」と言う。 ぶっ殺す? それは彼が? それとも老齢の男が? どうやって? さっきみたいにするなら、自分は今まで見たことないくらいに綺麗に華麗に優雅に、最大の賛美を送られるほどの死体を作り上げてくれるのではないか? そんなことが頭の中を一瞬にして駆け巡りますます笑みが深まる。 「あんたが殺してくれるの!?」 「……………………は?」 喜んだ風にしか見えない龍之介に#名前2#は盛大に間抜けな顔を晒した。 とりあえず、殺した女の家に入ろうと#名前2#が言うと沖野は「僕はこれで」と厄介事から逃げるように立ち去った。なんてこった、全ての責任は#名前2#にとらせるつもりらしい。まあ、この道を通ろうと誘ったのは#名前2#であるため、仕方ない。未だにキラキラとした目で#名前2#を見つめる龍之介に何かのデジャヴをおぼえる。………少し考えてみたが分からなかった。 「お前、名前は?」 「ねえねえ、殺してくれるの?? 俺、どうやって殺されるの? 美術館に飾るならこの風立市はやだな。もっと綺麗なところがいいよ。現代美術館なんてどう? あそこなら最近改築したばっかりだし、フェアも多いから楽しそうだね!」 「お前、名前は?」 龍之介のマシンガントークをものともせず、#名前2#はもう1度聞く。すると、龍之介は落ち着いたように「俺、雨生龍之介。雨に生きるでうりゅうだよ。好きに呼んで」と言う。 「アンタの名前は? さぞクールなんだろうね?」 「沖野#名前2#だ」 「アハハ、変な名前! アンタさ、coolって分かるかい?」 「涼しいとかカッコイイとかそんなんだろ」 「あっまいなあッ! そうじゃない、そうじゃないんだよ! 人の死こそがcoolなのさ! スプラッタ映画やホラー映画、アクション映画みたいな嘘の死じゃなくて! 刺して殺す、殴って殺す、燃やして殺す、落として殺す、その他いろいろ! それらはとても美しく人々が賞賛すべきことなんだよ! 人は死から逃れられない! その死の魅力を最大限に引き出すこと、それがcoolということ! ドゥーユーアンダスタンッ!?」 「………ノー」 「ノー!? なんで!? アンタ、俺の爪はがした、」 あれ? 痛みが消えている。ふと手を見ると両方の手にきちんと爪が生えていた。おかしい。さっき、ちゃんと爪が剥がれたのに。首をかしげる龍之介に#名前2#がぽつりと言う。 「爪は戻しておいたぞ」 「どうやって?」 さっきまであんなに素晴らしく見えていた世界から途端に色が消え失せてしまった。龍之介はもはや悲しさなど通り越して虚無感に襲われた。人を殺す時よりも膨大なあの悦びが得られなくなったのだ。それも一瞬にして。沖野という男はどうやらそんなにも人を馬鹿にしたいのだろうか。与えるのも奪うのも一瞬だなんて。ふつふつと湧き上がってきた怒りが、この男達をどうして殺していないのかと囁く。さっきの男は地の果てまで追いかけて殺してやる。目の前にいる沖野は最も辛く苦しい方法で殺してやる。何かの枷が外れたようにぐちゅぐちゅと自分の指を噛み始めた龍之介を目にして#名前2#は龍之介が今剣に似ていると気付いた。自分の気持ちが制御できず、怒りにも飲まれ楽しさにも飲み込まれやすい性質なのだ。ふむ、脳を探る限りこれは彼の中ではあまり姿を見せないような代物であるが……。考えられることは、これもまた聖杯によるバグ、もしくは沖野による何かしらの作用だ。なるほど扱いにくい。 「俺のことは」 「あぁ?」 「沖野と呼ばないでくれ。俺は養父を沖野さんと呼んでいるからな。#名前2#と呼んでくれ」 「……それがどうしたんだよ? 」 「龍之介、君は今殺されたいか?」 しゅるん、と怒りが収まった。初めての感覚に戸惑いながらも龍之介はうん、と答える。俺、#名前2#に殺されたい。七夕で短冊に願いを書くように、クリスマスにサンタさんに頼むように、誕生日にプレゼントをねだるように簡単なお願いのごとく頼んできた。 「……………」 「ね、いいでしょ?」 「君を殺したら俺は殺人犯となるんだが」 「そうだね」 「警察に捕まるんだが」 「coolなアンタならそうはならないでしょ。俺だってメチャクチャ殺してるけど捕まってないじゃん」 「いつかは捕まる」 「そうかもね。でも、それは今じゃないよ」 「………俺は、警察には厄介になれない立場にいる。かといって、分かったお主を殺してしんぜようっつって殺して警察から逃げるように生活するのは苦しい」 「本音は?」 「めんどくせえ」 「……じゃあ、俺のことを殺すのは嫌じゃないんだね?」 うっそりと笑った龍之介に#名前2#もニヤリと笑う。お前を殺すのに躊躇はないな、と本音を漏らした。 龍之介は沖野と同じなのだ。赤の他人なら殺したいような話でも、身内にいたらそれはきっと許してしまう。沖野と龍之介のやってることは、#名前2#にとってそう変わりはない。 「いいか、俺にはまだやる事がある」 「それって家族を作るとかバカみたいな話?」 「いや、聖杯戦争というバカみたいな話だ」 「知らないや」 「知らなくていい。俺はそれが終われば殺される予定にある」 「そうなの?」 「だからその時なら龍之介、お前を殺せる」 「本当に!!?」 「ああ。お前を殺したあと、警察に厄介になる前に俺は殺される。悪い話じゃないだろ?」 「あんたを殺す人は捕まらないの?」 「この時代の人じゃないからな。嘘八百並び立てて俺はどこかの世界に吹き飛ばされてるよ」 「よく分からないや」 「分からなくていいさ」 こうして会話してみると益々今剣に似ている気がしてきた。本当に聖杯戦争あとになるかは不明であるが、世祖がいなくなれば#名前2#は沖野に殺されることは随分と前から決まっている事だ。ならば、そのまえに龍之介を殺してやればいい。 「龍之介、お前家族は?」 「みんな殺した!」 「保護者は?」 「いないいない」 「なら裁判沙汰起こしそうなやつは?」 「ああ、心配なら俺が殺しとくよ。自分が死ぬ前の整理整頓ってやつ?」 そんな整理整頓聞いたことない。だが龍之介の方からしてくれると言うのだからそれは頼むとして……。 「龍之介、お前家は?」 「とりあえずは殺したやつの家を転々としながらビジネスホテルだよ」 「…………実家は?」 「冬木市にあるんだー」 「なら良かった。俺もこれから冬木に戻る」 「あ、そーなの? お揃いだねー」 何がお揃いなのかサッパリ分からない。ニコニコしながら#名前2#の横に立って手をつなごうとする龍之介は本当に今剣によく似ていた。ただし、刀剣男士はこんなに血みどろ臭くないが。 「龍之介、お前さ……」 「んー?」 「俺と一緒に暮らしてみるか?」 ついつい出た言葉は#名前2#が兄として時臣の面倒を見てきた時期があるせいか、それとも刀剣男士にかぶる龍之介へ愛着がわいたのだろうか。やべ、と手を塞いだ時には既に遅く龍之介は「うんうん、行くよ! 連れてって!」と飛びついてきたのだった。 夫、切嗣のパソコンを見る目つきが変わったのを見てアイリスフィールはようやく彼の探していた人を見つけたのかと悟った。切嗣の戦場における神だと言わしめたその人はとても強くそれでいて優しく、まるで人間ではないようだった、と。 「彼だ。彼が、聖杯戦争に出る」 恐怖とも高揚ともつかない声で切嗣は呟いた。間桐の令呪を奪った、と書かれている魔術師はネットの中では薄く微笑んでいる。監視カメラに気づいているようにニッコリと。ひどく陰鬱な微笑み方だった。 アイリスフィールは今まで城の近くから外に行ったことがない。そんな彼女は当たり前であるがその人を見たことがなく、夫たちに聞いた話なので実際がどうだっかは知らないが沖野#名前2#は切嗣の脆い性格と舞弥の何も持たずに成長した姿を見ぬき、極東のマキャベリストに彼らを一週間だけ同行させることを願ったそうだ。マキャベリストはそれを許さず、#名前2#という息子を放り他国へ渡っていく。#名前2#はひとり、切嗣と舞弥を連れて出会いの場となったその国を旅した。そこでいろんな話をする。強さの話、助けることの難しさの話、革命の話、内乱の話。そして探し者の話。 特に切嗣はよく『第二の誕生を果たした』時だと帝国主義的ノスタルジーの話をアイリスフィールにした。 十を助けるために九を切り捨てるような生き方をしてきた切嗣に対して#名前2#は「お前の自己満足によって殺されてきた人たちは可哀想になあ」と言ったそうだ。 「たった二、三回の方程式の当たりに気を取られてそれを世界に通用できると思ってるんだな? 可哀想になあ。そんなことのために殺されたんじゃ世知辛い生き方する子どもたちが増えるのも分かるもんだ」 「アンタに、アンタに何がわかる!! 父親のせいで島が焼かれた! あのままナタリアを着陸させたらこの世はグールたちにやられていた! 悪人は殺す! 天秤の軽い方は殺す! それが世界の真理だ!」 「……世界の真理なんて、見たこともねえくせによく言えたもんだな。お前、人間が脳を何割使ってるか知ってるか?」 「……はあ?」 「普段は3割だとよ。そのでっけえ頭は半分以上使われてねえ荷物だってこと。それが解放された時、人は力を持つ。分かるか? 人間には力がありすぎるんだ。そしてそれをセーブして今を生きてる。力の過剰は身を滅ぼすし、力の使い方を誤っても身を滅ぼす。俺はそれが真理だと思うね。人間はいつか進化しすぎて自滅するんだろうなあ」 言い終わるや否や、切嗣は#名前2#に頭を押さえつけられて地面に突っ伏していた。舞弥が#名前2#の後頭部に銃を向けても笑いながら「助けるべき人間と殺すべき人間が同じ数でも殺そうとするのがお前達の欠点だな」と切嗣の頭をさらに強く押し込めた。 「お前達が殺した人の血がこの土地に染み込んでる。お前達を恨んでるだろうな。なんにもしてないのに。悪いことといやあ、嘘をついたり人との約束をやぶったり、そんなもんのはずなのに。殺されなきゃいけねえんだもんなあ。だけど殺した本人達は自分はいいことをしたと信じてやがる。そりゃあ助けたんだからいいことだろうよ。だが、俺からすりゃあお前らは人殺しだ。人を殺して人を救いましたなんてほざく罪人と変わらない。免罪するために動きもしねえお前らは今ここで裁かれて当然だね。ああ、あと俺を殺して沖野さんがどうするかは分かんねぇよ? 考えるとあの人は恐らくこの世界を壊すために魔術師なんてもんやってるからな。俺の死を言い訳に地球上の人類すべて殺してしまえ、なんてありうる話だ」 魔術師殺しなんだから、それぐらいのことは考えうるよな? それは明確な脅しなのに切嗣は自分を否定された悲しみで何を言い返せばいいのか分からなかった。一言、科学的根拠のない話を信じる所以はないと返せばよかった。嘘だ、と言うだけでもよかった。だが切嗣は何も言えなかった。地面から恨み辛みの声が舞弥と切嗣のもとに響いてきたのだ。まだ自分から喋るという考えを持たなかった舞弥でさえもそれにはうめき声を漏らした。その声は小さな子どもたちの声から始まった。 助けて、誰か助けて。お母さん、どこに行ったの? お父さん、待って。お父さんを殺さないで。死にたい。こんな姿で死にたくない。いつか、助けてもらえると思ったのに。お姉ちゃんが守ってあげるからね。大丈夫、絶対大丈夫だから。なんで、僕らがころされるの。悪いのはおとななんじゃないの。痛いよお、誰か僕の頭を返してよぉ。 やめて、お腹にはまだ赤ちゃんがいるのに。うちの娘に何するんだ。金ならある、だから俺を助けてくれ。僕を誰だと思っている、この国の参謀長官なんだぞ。悪魔が、悪魔が来たんだわ。あいつは人殺しだ。逃げて、あなただけでも。私が何したっていうのよ。私は、何も悪くないわ。お前さえここに来なければ俺達は。 神よ、どうしてわれらを助けてくれないのですか? ハッと気づいた時には切嗣と舞弥は2人きりのまま横たえられていた。コトコトとポーションが煮られている。声はもう聞こえなくなっていた。起き上がった切嗣にポーションを入れたマグカップが差し出される。舞弥はまだ起きなかった。 「俺は今何割かの脳が解放されてる状態にある。さっきの声はそれがやらせてくれた事だ」 「……」 「人間は、あまりにも力を持ちすぎると自分の捨てたものを懐古する傾向がある。帝国主義的ノスタルジーと呼ばれるそれはまさに切嗣がやってることだ。お前は、守りたいっていう言葉に隠れてただ自分が守れなかった故郷の島を守れなかった自分をたすけようとしてるだけだ。だけど、それだと何も変わらねえんだよなあ。過去は、俺たちに何も影響しないんだ。勝手に俺達が受け取ってるだけで。 ……ヒーローってさ、派手に動いたら無駄に被害出すし動かなければ被害者が増えるだけでさ。難しいけど、脳を解放した確かな力があれば俺はそいつは正義の味方になれるんじゃないかって思ったんだ」 僕はそうじゃない、と言い返したかった。自分は正義の味方に、ヒーローとは言えないけれど平和を目指そうとしていただけなのだ、と言いたかった。だが今の自分は本当に正義の味方なのだろうか。あの声の中で自分はたしかに歩く災厄だった。助けるためあまりにも戦場に出たことが逆説的に自分を悪と貶めていたのだろうか。 脳の解放だなんて呆れたことをいう男がまるで自分よりも底辺を生きているような感覚がした。感覚とはまるで不思議なもので生きる環境ではなく、生きていく上での自分の心境でコロコロと変わる。切嗣よりもまっさらな地獄を生きてきたであろう#名前2#は切嗣よりも底辺の世界を引きずって歩いているようだ。 「俺はお前がここまで落ちてこないことを願うよ。俺は、お前は本物のヒーローになれると思ってる。まあ、今のこんなこと辞めればだけどな」 「…だけど、どうやって戦争を止めればいいのか。それじゃあ分からない」 切嗣の言葉に#名前2#ににんまりと笑って「そのために俺がお前に力を貸してやる」と指を鳴らした。いつの間に書かれていたのか#名前2#の背後の召喚陣が淡く光った。こぉんと音がしてひとりの男が現れる。 「こいつは元原蛇色。暗殺者だ。上手く使えば内戦や反乱を起こさせている個人を殺すことが出来るし、悪人と呼ばれる奴らも手懐けやすい。お前の力次第だがな」 「……」 そうは言っても、彼は死んでるじゃないかと切嗣は口には出さないものの口を尖らせて抗議した。どてっぱらに大きく穴が空いている。これでは生きていると言われた方が信じ難い。 「んで、こいつは殺された。まあ力を持ってても殺されることはよくあるから仕方ない。だから、お前にはジャイロの死体とそれを動かす機械をくれてやる」 「機械……?」 機械というには余りにも小型のそれに切嗣は不審な目をよじる。#名前2#はケラケラと笑いながら、機械を二つの部品に分けてジャイロの耳に一つを埋め込み、一つをを切嗣の腕に入れた。血管の中を異物が走る感覚がして顔をしかめたが苦しいものではなかった。 「これで自分の司令が相手にきちんと届くようになる。ジャイロの体は死んでるけどネクロマンサーが動かしてたからまだ微粒な電気を与え続ければ動くはずだ。まあ、いつか止まるけど」 「……いいんですか」 「いいよ」 切嗣の言葉に#名前2#は軽く返した。ジャイロの体をこんな形で扱っていいのか。これで自分は本当に戦争を今までとは違うやり方で止められるのか。分からない。けれど、#名前2#は軽く「いいよ」と返した。自信などから来るような言葉ではない。それは切嗣を信頼してるからこその軽さだった。 「……ありがとうございます」 切嗣が頭を下げると、#名前2#はわしわしと両手を舞弥と切嗣に乗せてかきまわした。誰かにそんな風にしてもらうのは、ケリィと呼ばれていた以来だった。 「信じるからな、お前らを」 それ以降、切嗣も舞弥も他の手下たちも#名前2#という男には会えなかった。 ラップトップの画面には、#名前2#が令呪を奪ったあと間桐の家を占拠していると書かれている。そして、半分血の繋がった弟である遠坂時臣とは決別したとも。その決別の理由は、#名前2#が聖杯戦争での願いを聖杯の破壊にしたからだと書かれていた。 「聖杯の、破壊」 それは切嗣の妻のアイリスフィールを殺すという意味だろうか。いや、#名前2#のことだからそれはないだろう。彼は女子どもに対して無闇矢鱈と殺すことを考えるような男ではない。 「切嗣、私は……殺されてしまうのかしら」 アイリスフィールの不安げな言葉に切嗣は優しく返した。そんなことないよ、と。そうであったとしても、#名前2#だけは早めに潰さなければならない。彼が残れば残るほどおそらく情が強くなってしまう。 「彼は、僕が屠る」 その瞳には#名前2#を殺したあとの自分の姿は写っていなかった。アイリスフィールは自分が死んでしまうのかもしれない恐怖と共に、#名前2#という男を切嗣が殺した時にどうやっても聖杯戦争中には立ち直れなくなるんじゃないかと不安になった。白い手が血色が薄くなってさらに白くなる。今まではそんなことなかったのに、指先ばかりが冷たかった。 時臣の魔術工房では彼もまた他のマスターたちの情報を集めていた。魔術によるそのいかがわしいやり方には綺礼は何も言えなかった。#名前2#がいたらFAXの方がよっぽど楽だと言うだろうし、それよりも漸進的なネットというものを喜んで使うかもしれない。そして時臣に窘められる。FAXはファクシミリと呼ぶべきだし、そんな電子機器に頼るようなことは魔術師として可笑しいと。 現在、#名前2#はこの屋敷にはいない。#名前2#が出たいと言ったからではない。というよりも、時臣と#名前2#が喧嘩したという方が正しい。まさか綺礼も彼が弟の時臣と喧嘩するとは思わなかった。綺礼と時臣のような情報操作による嘘でも演技でもなく本当に口論したのだ。今でもあの日のことは思い出せる。久々に顔を出した#名前2#が急に間桐の家に身を寄せると言い出したのだ。そして、この聖杯戦争はもしかしたら停戦を余儀なくされるかもしれない、とも。 「一体どういうことですか、兄様!!」 「……あはは、いやぁ」 時臣の吠えに#名前2#は目をそらして深い理由があるんだよ、これでもとゴニョゴニョ言い募る。いつもの彼らしくない口だった。普段なれば彼はバッサリとあっさりした正論をぶつけてくるのに。 「どうして雁夜の家なんかに……! 居るのなら沖野家を使えば良いのではないのですか?」 「あの家は元から聖杯戦争終わったら売り払う予定だったからなぁ。それに、間桐の方がバーサーカーと相性がいい」 「……。なら、聖杯戦争の停戦とは? 60年経ってようやく掴んだチャンスなのですよ……!?」 「それは……まあ、追追お前達にも話は伝わるだろう。とにかく! 俺は間桐の家にいるからな。使い魔寄越されても多分蟲が食っちまうから送るなよ」 「……。兄様、あなたは。本当に沖野の血に染まったのですか」 願いを叶える万能器。それを手にする見込みがないなら万能器を壊せば誰にも手にされることがなくていい。 沖野の考えによるところの魔術師の普通の考えはこれとは違う。手にする見込みがないならばいっその事持てる力を以て全力で全てを壊してしまえばよい。 #名前2#はそんな考えなど持っていなかったが面倒くささから「ああ、うん、そんなもんだ」と軽い口調で返して背を向ける。時臣はそんな#名前2#を親の敵でも見るかのように睨みつけた。彼は怒りの感情を表情にくっきりと映し出して#名前2#に静かに問うた。 「それは、協定の破棄と同義ですか」 「……」 「私は」 貴方を幸せに導きたかった、と言おうとした。だが、その言葉が口に出されるよりも前にカタリと音がして使い魔が時臣の後ろの窓をつついた。透析魔術が解かれて毒々しい黄色のカナリヤが現れる。沖野の手の者だった。 「ん」 #名前2#が手を伸ばすとすらりと侵入してくる。時臣の館は魔術の要塞のごとく結果やらが張り巡らされているのにも関わらず使い魔は切り抜けてきたらしい。カナリヤはフルフルと震えるとぽほんっ!と軽快な音を立てて紙に変わった。#名前2#と沖野がハリーポッターにやっぱり憧れるよなという意見の一致で吠えメールの逆バージョンを作ったのだ。つまり、手紙ではないものが手紙に変わる魔術だ。カナリヤ紙の宛先は遠坂家当主と書かれている。 「……時臣にか。ほら」 差し出された手紙を渋々受け取るとプカプカと文字が浮かび上がってくる。内容を要約すると、聖杯の異常を感知した、ということだった。 「聖杯の異常?」 「らしくてな。バーサーカーの宝具たちが文献探したんだけど遠坂にはないって言うしアインツベルンは遠いから間桐のとこ行ったらあるかも知れないって分かって、拠点をそこにして本格的にサーヴァントで戦う前に」 「その聖杯の異常を発見する、と?」 「そうゆうこと」 「………」 何という説明の省き方だろうか。先ほどの言い方のままだったら時臣は絶対に#名前2#のことを付け狙っていただろうにタイミングよく沖野の使い魔がやってきた。これは完全に見られているとしか思えない。 「あ、はやく帰んねえと夕飯遅くなる! すまん、時臣! また今度ちゃんと話すから!」 「え、あ、待ってください、兄様!!」 時臣の制止も聞かずに#名前2#はバタバタと部屋を出て行ってしまう。その後、彼はその発言通りに話すということはしてくれなかった。