純黒の悪夢

地面から起き上がった#名前2#はキュラソーの顔をまっすぐに見つめた。無骨な鉄骨は深々とキュラソーの腹をえぐり、血がとめどめなくあふれ出る。 「キュ、ラソ」 「#名前2#」 ゲホリと血を吐いた彼女の頭を必死に抱きしめた。喋るな。もうどこにも行くな。お前はもう頑張らなくてもいい。キュラソーなんかじゃない、ただのイルサになれ。そうすれば、お前を、世祖が、助けてくれるから。 #名前2#はそんなことを言いたげに、でも言えずにただ抱きしめて強く願った。世祖が来るまでは、キュラソーを生かしておいてください、と。 「#名前2#」 また名前を呼ばれる。喋るな、とも言えなかった。キュラソーは自分がいつ死ぬのかわかったようだ。#名前2#の手に自分の手を添えて笑うように筋肉を動かした。痛みをひたかくしたその姿は逆に痛ましい。 「#名前2#ッ!」 世祖の叫び声が聞こえる。これで、キュラソーは助かる。そう思った時にはもう終わりだった。キュラソーは最期の言葉を告げた。 「わた、し。…#名前2#を、ーーーーーー」 何も言えなかった。何も、返せなかった。キュラソーは瞳を閉じてしまった。苦しさも、痛みも、恐怖も、満足さも、幸せも、感謝もその瞳の中に隠して彼女は人間の何もかもを捨てた様に美しく死んだ。出血多量によるショック死の類、になるのだろう。とにかく今はキュラソーを葬ってやりたかった。 #名前2#はキュラソーの腹から鉄骨を抜こうとするがうまくいかない。ねじれば、彼女の肉を巻き込むことになる。どうしよう、と困っていたら近づいてきた世祖がひょい、と鉄骨を宙に浮かせる。 「世祖」 「……。ごめん、なさい」 それは何の謝罪なのか分からない。力を使ったことか。キュラソーを助けられなかったことか。……どちらにしても世祖は悪くない。#名前2#が役立たずにも彼女を助けたいなどというから世祖がこんなふうに責を負うことになるのだ。 「いいんだよ、世祖。謝らなくて」 そういって#名前2#はキュラソーに自分のジャケットでくるんでから抱き上げてガレキを降りていく。加州が呼んでくれたのであろう長谷部と宗三ににへら、と笑う。空元気の表情に2人の目つきが険しくなった。 「キュラソー、たのむよ」 「ああ」 「分かっていますよ」 「……ぁ、」 短い言葉の応酬で宗三は#名前2#がどれほどの気持ちを抑えているのかを感じ取った。泣きたい気持ちもある。後悔もある。世祖を1人にした申し訳なさもある。そして、そしてーー……キュラソーを助けきれなかった自分への怒りが強すぎる。何度目になるのだろうか。#名前2#が必ず死なない選択をするとき、世祖は一度も迷わずに決めているのだ。#名前2#にとってそれが最善なのだ、と教える。まっすぐに、正しいことだと、突きつけるように選択させる。#名前2#がいかにそれに抗おうとも、失敗することは目に見えているが#名前2#は必死になってやる。哀れだ。とてつもなく。結果がこうならないように、と願われたことを踏みにじり#名前2#が勝手に失望しているだけなのにどうしてこうも胸が痛むのか。 「……コナンたち、探してくるわ」 #名前2#は海に落ちてビショヌレの顔をぬぐって長谷部たちの返事も聞かずに歩き出した。鍛えられた身体能力でガレキを駆けあがり、コナンや赤井、安室の面々に加えて哀や少年探偵団たちを探しに行く。誰かの泣き声が聞こえた気がした。 ビショヌレとなっている#名前2#に皆が奇妙な目で見てきたが、水族館のところで水槽の水に浴びたと言えば納得された。ホントのことがバレそうになった、危ない。これで下手に動いていたと知られたら面倒なことになってしまう。小五郎の車に少年探偵団たちを連れて行き、帰り道をお願いしますと頭を下げた。蘭や園子にその服で大丈夫かと心配されたがヘーキヘーキと笑って立ち去る。正直、寒かったがそんなの気にしてられないほどにやる事が多かった。 タクシーで来たという哀は自分の車に乗せる、と言いくるめて#名前2#は哀と手をつないで宗三への車へと歩く。哀は非常に気まずい思いをしていたが、#名前2#はそうでもなかった。今回キュラソーが死んだのは自分の落ち度であると思えば何ともないことだと割り切ったのだ。自分が死なせてしまった人の数は数えきれないほどにいて、そこにキュラソーが入っただけのこと。これは、彼がまだ本丸に来る前からよくしていた死人との都合の良い別れ方である。周りからは自傷行為と同じに見えるそれを#名前2#は何年も続けたあまり人と感覚がおかしいくらいにズレているのだ。 車の所には世祖が宗三に肩を抑えられて立っていた。 「#名前2#」 「ああ、わかってる」 「んぅ……」 「だからそんな顔すんなって。世祖、お前はよくやったよ」 #名前2#の顔は泣くのをこらえたような姿だった。それが世祖には辛くて哀と同様に居心地悪そうに体を動かす。世祖も哀も車に押し込めて#名前2#は大人気なく言い争いをする赤井と安室、そしてなだめるコナンたちに近寄った。 「だから、お前がー!!」 「……」 「あの橋の時も…ー!!」 「まあまあ、安室さん……」 「コナン、すまん。ありがとう。世祖がいる車行ってくれ。ちゃんとスケボーもってな」 「え、あ、でも」 「コナン」 「ッ…!」 #名前2#の声はこれ以上の反論を許さないような圧があった。それに、俺の車と言わないということはつまり#名前2#さんの車ではないのだ。青江と呼ばれた人か、陸奥という友人か、もしかしてあのバンドの……? 小走りに行くと赤色のセダンの前に世祖と哀がぽつんと立っていた。 「灰原、世祖」 「……江戸川君、#名前2#さんが送るのは自分の車でやるけど、一度、この車に乗れ、って」 「この車に?」 「え、ええ……」 世祖はぎこちなくセダンを見つめていた。何を言えばよいか分からず、ただ言いたいことはある。まるで怒られそうな子どもの雰囲気で、言いたくはない秘密があるようだ。 「キュラソー」 「え?」 「たすけ、られ、なかった」 コナンは世祖を見つめる。なにを言われたのか理解できなかった。だって、#名前2#さんが助けに行くって。自分は、それで安心して……。あれ? それで、なんで世祖が泣いてるんだ? 自分が知らない間に何か起きた、のだろうか。 後部座席を開けると、一瞬にして頭が現実に引き戻された。見慣れた死体がそこにあった。ぼろぼろの服。素足。びしょぬれのジャケットが腹部にかけられている。見覚えがありすぎる銀髪。顔を隠すようにかぶせられた白いハンカチ。 キュラソーの死体が折り曲げられて背中を見せた座席に横たえられていた。 「見終えたのなら、もういいでしょう」 運転席にいた男がいつの間にか、スイッチを押したらしくドアが閉まる。哀に引っ張られてコナンは危うく鼻をはさむところだったのを回避した。 「助けられなかった、って」 「ホイールを最後に止めたクレーン車にいたのは#名前2#さんよ。そして、#名前2#さんが彼女をずっと抱きしめていた」 「じゃあ、まさか……」 「#名前2#さん、悩んだでしょうね。キュラソーのことを病院に連れて行きたかったと思うわ。でも、あの人は一般人を選んだ」 「ううん」 哀の言葉に世祖は首をふった。まだ泣いたままの目は赤く充血している。 「#名前2#は、せいを、たすけた。せいが、しなない。ように」 ーーだから、せいが、わるいの。 なんでそんなのおかしいじゃないか。世祖も#名前2#さんもキュラソーも悪くないのに。なんで、みんなそんなつらそうな顔をしてるんだ。 悪いのは、すべて、組織なのに。 「まずはすんませんっした!!」 ガバリと頭を下げた#名前2#に安室も赤井も滅多にさらさない驚きの表情を見せた。え、あ、ええ…!?と安室は先ほどまでの怒りをひっこめて慌てふためく。赤井は顔をあげない#名前2#に何かを察したのか怪訝な顔をして#名前2#に近づいた。 「……#名前2#くん、泣いてるのか」 「え」 「…な゛いでま゛ぜん」 「嘘つかなくていいんだよ、#名前2#くん」 「泣いてるんだな」 2人の畳み掛けるような言葉に#名前2#は仕方なくグシグシと顔をふいて頭をあげた。年下の前では泣かないと決めたのは彼のプライドのせいもあったが、上が泣くと下が困るというピラミッド社会にいたせいもある。キュラソーを殺したのは自分だということに決着をつけたとしても、やはり彼女の遺言を自分だけが聞いたことには心が痛んだ。あの言葉を今ここで思い出したのは、つまりそういう事なのだが。 「……。キュラソーと、きちんと別れたのか?」 「……」 安室は何も言わずに#名前2#を見つめた。赤井の言葉通り、安室自身も#名前2#がなぜそんなにキュラソーを助けたがるのかが最初は分からなかったのだ。だが、ふと思い当たった。自分の益よりも優先したいと思うその気持ちに。安室も、それを持っている。閉じ込めて押し込めてはいるが漏れ出てしまうそんな気持ち。#名前2#とキュラソーが付き合っていたのかは彼女が死んだ今余計な詮索はできない。この瞬間を除いては。 「…………。好きだったんでしょうね、俺は。ただ、キュラソーの方は分かりませんよ。あいつの遺言は、俺への礼でしたから」 #名前2#は頭をかきながら恥ずかしそうに告げる。まるで告白のようだ、と遠く感じた。 「ただ、この好きがどの種類かは俺も分かんないです。そばに居て欲しいってだけですから。小学生だって同じこと言えますよ」 「……。そうか」 赤井はそう言って目を瞑る。それだけ言えることは、きっと#名前2#の恋人としてキュラソーは最も近い位置にいたのだろう。まだ恋愛にはならない直前にキュラソーが亡くなったとも言えるか。 「すんません、取引は破綻しちまって」 「いや……。ノックリストがばらまかれないだけでも良しでしょう」 「そうだな」 「……。ありがとうございます」 まだ泣きそうな目で#名前2#は礼を言って立ち去ろうとすると、赤井にちょっと待ってくれと呼び止められた。隣にいた安室がまだあるのか?と言いたそうな顔をする。 「うん? なんすか?」 「そんな格好じゃ運転できないだろう……。車のキーを貸してみろ」 「いいっすよー、寒いけど我慢しますし」 「はぁ!? 彼は日本国民だぞ!? FBIなんかに任せなくても僕が送っていく!」 「君は自分の車があるんじゃないのか?」 「部下に持ってこさせる!」 「いや、お2人ともそんな……」 先程までのしんみりとした空気が一掃されてひどい有様だが#名前2#は仕方なく「違うやつに送ってもらいますよ」と告げた。宗三は見た目にそぐわずというかギャップ通りというかスピード狂な面があるので長谷部に任せれば良いのだ。国際運転免許証も持ってるだろうし世祖の言うことならばだいたい従う。だが赤井と安室には誰にやらせるのか?ということに興味が移ったらしく「今度は誰を呼ぶんだ?」と聞かれた。 「赤井さんの元同僚っすよ」 それではお先に失礼します、と頭をまた下げて#名前2#は去っていく。残った2人は何も交わさずに反対方向に歩き出した。何だかんだ言って相手が#名前2#のことを気に入ってるのだと気づいたことに腹を立てながら。