ガールズバンド作戦

安室透こと本名降谷零はにまにまと笑いながら自分の家に帰ってきた。尾行はいないが念のために玄関や周りの道をくまなく調べてから家の中に入った。黒の組織の潜入ということで人1倍気を遣わなければやっていけないのだ。(とどのつまり、暴力団潜入などとは違うのだ。) はぁー、スッキリした! 降谷はそれはもう輝かしい程の笑みだった。五条国永という男は今回、あまりにも邪魔だった。相州廣光という男はいいが彼はだめだ。#名前2#にベタベタとくっついてまるで牽制を仕掛けているようだった。 ギリギリと心が幾度も締め付けられてその度にぼたぼたと血の涙が溜まった。昔に見たカルト宗教に茨に締め付けられるハートの絵を証として用いていたところがあったが先程までの降谷はまさにそれを抱いていた。そして絞り出されたいわゆる嫉妬と名付けられたそれらは先ほどのセリフでかなり掃除された。うーん、清々しい気分だ。 こっそりと#名前2#の家から拝借したスプーンを1つ鼻に押し付ける。ひんやりとしたそれはまるで#名前2#のようだった。丸い雰囲気で今どきの男子大学生のような姿なのにきちんと話すと、彼は明確なラインをもって非常な判断も出来る人間だとわかる。……言っておくと、別にこれで自分を慰めようと持ってきた訳では無い。流石の降谷もこれを持ってくることは盗みだと思ったのだが世祖が許しをくれたのだから犯罪ではない。彼女には嫌われていると思ったが、このスプーンについては「ほしいの?」と聞いてきたのだ。 「ほしい」 降谷はなぜか間髪入れずにそう答えていた。まるで条件反射である。すると世祖は「もって、いく。いーよ」と言ったのだ。本当に?と聞いても頷くだけ。ならば拝借してしまえ!と降谷は謎のテンションを貫いた。 このティースプーンには最初に見た時からデジャヴュがあった。これ飲むといいっすよ、と手渡されたホットミルクの入ったマグカップにティースプーン。初めての光景なのにティースプーンだけが浮いて見えたのだ。 今じっくりと見てわかる。これは、亡き友人であるスコッチが自前だと言って使っていたものに似ているのだ。違うのは、模様の一部分だけ。スコッチのは大麦で、#名前2#のは小麦だった。それだけだ。ただ、そこまで似ているスプーンを使っていたというのは…。何かを勘ぐってしまうを得ない。スプリッツァーのことをスコッチが気にかけているのは知っていた。そして、ミステリートレインでスプリッツァーである女性をスコッチは愛していたのかと思った。納得した。そして、その時に『じゃあ#名前2#は貰ってもいいのか』と思ってしまった。降谷でも気づいていなかったその情は、世祖にはとっくのとうに見破られていたが彼の自覚はそこからなのだ。 #名前2#がほしい。だが、彼はあまりにも遠くにいる。降谷零が公安である限り、彼に安室透でしか接せない限り、#名前2#は降谷零のことを知らず愛することなど以ての外の人生を歩むのだ。#名前2#と降谷はあまりにも遠すぎる。……それに、スコッチは。スコッチは、もしかしたら#名前2#のことをもっと前から知っていたのかもしれない。このスプーンはその証なのかもしれない。世祖が降谷にこれを持ち帰らせて、じっくり見るように仕向けたのは…それはつまり、そういう事なのか。#名前2#とスコッチが揃いのスプーンを使うような関係であったと。そう言いたいのだろうか。 スプーンが冷たい。 降谷の目元も冷たい。 嘆息は降谷を包み込んで離してくれなかった。 家に帰った#名前2#は鶴丸の視線に晒され、そして燭台切はなぜか悪ノリした。あの大倶利伽羅が吹き出してしまったのだと言えば大体の刀剣たちはそんなにも珍しいことなのだとわかるだろう。 「ひどいや、#名前2#くん……! 僕と鶴さんのことは遊びだったのね…!!」 そんな言葉を裏声で言われてしまえば#名前2#も太鼓鐘も大倶利伽羅もぶふっと吹かざるをえなかった。だが鶴丸は笑わずにじっと#名前2#を見つめてくる。膝の上に世祖を載せているので視線は倍増だ。彼が問い詰めているのは去り際の安室の言葉であるが、世祖がじっと見つめているのは#名前2#の反応が面白いからであって決して安室についてのことを責めている訳では無い。なのに、#名前2#にはどうにもプレッシャーに感じられて膝がどんどん重くなる拷問のようだと思った。 「あはは、それでどうしてその人呼んだんですか?」 太鼓鐘が笑いすぎて涙を浮かべた目のまま問いかけた。#名前2#は簡単に「尾行されてたんだよ…」と教える。 「尾行?」 「気づいてたんだか気づいていなかったんだか分かんないけどさー、見過ごすのも変だろ? よく話す知り合いなのにそう簡単に見過ごすのって嫌じゃん」 「そうかなあ? 僕は本丸にいた人じゃなかったら無視しちゃうかも」 まあお前はな、と苦笑いで#名前2#は返す。燭台切光忠が他人に厳しいのは昔からのことなので気にしない。しかし、鶴丸はそこまで厳しい人間ではなかったはずだが。 「それで、家にあげたのか?」 「おう、とりあえずで連れてきた。家に世祖もいたし」 要するにお前らの考えるような情報を取られてはいない、と言いたいのだろうが鶴丸が気にしているのはそんな事ではない。安室透という男が世祖に聞いたバーボンという男だとすると、彼はようするに死んだスコッチの代わりとして#名前2#を欲しがっているのだということを鶴丸は心配しているのだ。 なぜそんなことが手に取るように分かったのか。鶴丸自身、そう言った人間がファンに沢山いるので分かるのだ。何かを目指した人間、特に依存しそうな体質の人間が目標を失った時代わりを探し出す。安室透という男は、つまりスコッチという憧れだかなんだかの男を失って代わりに#名前2#に手を伸ばしているのだ。スコッチが#名前2#に惚れていたこともあるのだろう。世祖が一時期ピリピリしすぎていて#名前2#か沖野しか近寄らせなかった時にスコッチの話があったはずだ。(世祖は#名前2#に恋人が出来そうになるといつも怒っているのだ。) だが、今回は世祖は安室透に対して何も思っていないらしい。 「そういや、世祖。お前、安室さんや沖矢さんアレルギー治ったのか?」 「は? アレルギー?」 「ああ、昔すげーひどい顔して嫌ってたんだけど」 「うん、もういい」 世祖はそれだけ言って鶴丸の膝から降りて大倶利伽羅の背中に擦り寄った。大倶利伽羅の背中がぬくいのかそのまましがみついてむにゃむにゃとよくわからない言葉を言う。 「あ、俺もやろーっと!」 太鼓鐘もくっついてタレパンダのように大倶利伽羅が沈んだところで燭台切が話を戻した。アレルギーあったの?と心底驚いたような声だ。 「あの2人はすごかったな……。世祖はかなり人見知り激しいけど、あれはすごかった」 彼女のそれは人見知りではなく、判断だとは言わなかった。#名前2#にあまり細かいことを言っても意味がない。自衛隊員であったころはまだ真面目で、それなりに功績も残したらしいのだが世祖との初対面でも色々あったため彼は頭が良くなって一周まわってバカになった。 「でな? 世祖、いつの間にかアレルギーが軽減したらしくてひっでえ顔するのは止めたんだよな」 「……」 それは恐らく、2人の心境に変化があったのだろうと鶴丸も燭台切もアイコンタクトで分かちあった。大方、#名前2#が何かしたのだろうがそれでもまだ軽減されただけなのだからその根っこは残っているらしい。 「あ、そういや沖矢さんには色々言われたなあー」 「色々?」 「おう、色々なー。でもガチ目に拒否ったら引き下がったよ」 ガチ目に、ということはさぞ心を滅多打ちされただろう。#名前2#はふとした瞬間に強力な圧で相手を自分より下に蹴落とすことがある。そんな事があれば確かにアレルギーも治るだろうよ。 「安室さんは知らねえな、なんか急にって感じ」 「……」 世祖のことだから、きっと感じ取ったのだろう。安室透という男が自分の大切な靴を履き違えたまま#名前2#に愛を捧げていることに。悲しいが大人の恋愛なんてそんなものだ。 「#名前2#」 「世祖。大倶利伽羅はもういいのか?」 「うん」 ぴよん、と現れた世祖は#名前2#の膝に垂直になるように体を乗せて#名前2#の腕にしがみつきながら「ぶぁぶぁ~」と間抜けな顔を晒した。 「ぶっ、あっはは! なんだよ、世祖。バカみてえな顔しやがってえー!」 笑いながら#名前2#は世祖を抱き上げる。べろーんと出された舌は少しだけ舌苔があって赤やピンクというよりはマーブルだった。 「あー、ちゃん歯磨きさせねえとな」 待ってろー、と言って洗面所に向かう#名前2#。それを見送って世祖は倒れたまま鶴丸と燭台切に視線を向けた。いつまで経っても世祖の目力というのは強い。ドギマギしてしまう。 「#名前2#はね、2人ともね、好きない。嫌いないの。でもね、大事、みんな、そう。だから、せいもね、嫌うないの」 「……。あの2人のどちらかが#名前2#さんと付き合ったら、どうするんだ?」 「我慢、#名前2#は、ずっと、そう、だから」 確かに、世祖といた期間に我慢は多かったろうが彼はいつも面白楽しく過ごしていた人だ。そして世祖も刀剣男士も大事にしたい、と今はみんなバラバラに過ごしては入るが繋がりは途絶えていない。#名前2#のおかげで鶴丸たちはバンドをしている。彼は、我慢など、世祖が思っているよりもしていない。 「君が嫌なら、彼はしないさ」 「……かな?」 「ああ。#名前2#さんは懐が深い人とじゃないとやっていけないだろう」 それこそ、何十人といる刀剣男士やまるで異世界人のような世祖を受け止めきれる人でないと#名前2#の隣りに立ち続けることは出来ない。#名前2#が刀剣男士や世祖を仲間だ家族だと大切にしいてる限り、ではあるが。 「……うん」 「世祖ー、歯磨きすんぞー」 てこてこと歩いてきた#名前2#の膝の上に頭を乗せて口を開く。ちょっと辛いミントの歯磨き粉に、いかつい熊の歯ブラシ。鼻歌を歌いながら歯を磨いてくれる#名前2#。世祖は本丸にいた頃から何度も考えたことがある。#名前2#がいつか結婚をしたら、といつことを。自分が素直に祝福できるか心配だ。刀剣男士の1人ならいいかもしれないけど……。ほかは、どうだろうか。 「ねえ、#名前2#くん」 「んー?」 「#名前2#くんは、結婚して自分の子どもが欲しいとか思う?」 シャコシャコと小気味よく動いていた手が止まった。ゆっくりと目を開けて上を見上げると、#名前2#は燭台切の方を向いていた。 「……んー、なんで? 急にどうした?」 「だって、#名前2#さんはもう本丸にいないんだし、恋人もいたじゃないか。結婚願望はあるのかって気になるのも当たり前だよ」 本丸にいた頃は結婚など考える暇もなく戦いに明け暮れ、新しい刀剣男士を迎えにいく日々を過ごしていたので仕方ない。だが、今は違う。#名前2#はある意味、自由になったのだ。 「そうだなあ……」 また歯ブラシが動き出した。世祖を見つめる#名前2#は平常と変わらない顔をしていたのがとても意外だった。 「したい気持ちもあるんだけどなぁ……、」 「あるんだ?」 「そりゃあな? 嫁さんと一緒に娘でも息子でも赤ちゃんから育ててみてえじゃん。ただ、……なあ。今は、本丸に戻ることの方考えたいし。コナンとか、蘭ちゃんとか、京極もそうだし大阪のふたりとか、警察の皆様とかさあ。俺に手が空いてたら助けに行きたいヤツらって沢山いるんだよなあ。ヒーローじゃないけど、でももらった恩に返すってやっぱり大事じゃん。沖矢さんも安室さんも、まだまだフラフラ歩いてて危なっかしいところあるし。少年探偵団たちなんか未だに無鉄砲だし! まあ、それは世祖もだけど。……だから、今はみんなと一緒にいれればいいかなって思う自分もいるわ」 博愛主義のようでいて#名前2#のそれはまったく違う。世祖はにっこりと笑った。歯磨き粉が口から零れたが気にしない。どうせ#名前2#のズボンが濡れるだけだ。 なあんだ、#名前2#はまだ結婚してまで一緒にいたい相手はいないのか。 それは紛うことなき安心だった。#名前2#がもし、誰かと一緒にいたいと言ったならきっとそれは一生を賭すほどのものになるだろうと思っていたので本丸に連れていくにはちと面倒だと思っていた。だが、今のままなら大丈夫だ。歯磨きをしていた#名前2#もなぜか笑っていた。