広大な住処「七日後」「憧れ」「繋ぎ止める」

新茶の夢 の続編です。  モリアーティには秘密があった。とある男を殺したという設定、にされている話である。どうせ小説はおとぎ話なのだ。それが真実か、違うかなんてタマゴが先かニワトリが先かを考えるようなものである。ひとつだけ確かなことは、モリアーティは#名前2#を好いていた。それだけは、確かなことだった。だからモリアーティはあの事件について聞かれるとこんなふうに笑う。 「憧れの男に殺されたんだから、彼も本望だったろうね」  あの弓兵は最近ミステリーというものにハマっているらしい。そして何故かそれをモリアーティに報告するのだった。このカルデアには名探偵もいるのに、彼はモリアーティの所にやってくる。同じアーチャーだと言っても大して仲良くない自分に、だ。  廊下を歩いていたら向こうから彼がやってきた。その後ろには彼に話しかけようとしていたのかファラオもくっついている。彼のことだからファラオの言いたいことも分かるはずなのに無視したのだろうか。 「おう、モリアーティ。アンタがタイトルの本、面白かったぞ」 「そぉーーかい。それはよかった」  ファラオの中のファラオがギリギリした目で見てきていた。あの映画で一緒に笑いあっていたのは自分ではなくファラオの方だからだろう。そんなに見なくてもモリアーティとてアーラシュと話したい訳ではなかった。いかにも人の良さそうな笑みを浮かべているこの男は善属性ではなかった。目的のためには手段も選ばない。その選択ができる男だった。 「それにしても、アンタは色んな本に出てくるけど性格も見た目もバラバラだな」 「うるさいね。アイツだって似たようなもんじゃないか」 「いや、探偵さんの方はちゃんとジェレミーホームズっぽさがある」  大してホームズオタクではなかったはずのこの弓兵はいつの間にか色んなものを読んでいた。俳優の名前まで出されるとモリアーティは弱い。何せ彼は小説の中のデザインもあやふやなもので、広がった世界の中ではモリアーティというキャラクターはさらに曖昧なものになっている。自我があやふやなことをモリアーティは弱点とは思わなかった。むしろ、犯罪をする上でこのありふれた人間に擬態できる能力はよっぽど大切なものだと思えた。しかし、しかしである。この能力はモリアーティの弱さも作っていたのもまた事実だった。  モリアーティはアーラシュを見ると唇の端を歪ませて笑った。 「……そういう、君も。伝承とは姿が違うんじゃないかい」 「ん? まあそーかもな」  アーラシュ・カマンガーという大英雄はかかっと快活に笑った。モリアーティは彼のこの笑顔が苦手だった。中庸のくせに、彼はどこか明るすぎる。 「ファラオの兄さんもこれ読まねえか?」 「ん!? う、うむ……。そなたが言うのなら読むのもやぶさかではないぞ」  部屋でちょっとした手紙を書いていたらマスターが突撃してきた。アーラシュがファラオと話してたって本当!?と開口一番に叫ぶものだからモリアーティは手紙を書き損じてしまった。大事な手紙、ではないけれど書き損じを出すのは自分のイメージとは違う。ビリビリに破いて捨てるとマスターは「ごめん……邪魔しちゃった?」と首を傾げた。 「まさか、そんなことないよ」  ちょっとだけ心が折れたのも事実だった。  マスターに聞いた話だとファラオはどうやらアーラシュとケンカしていたらしく、仲直りの機会を伺っていたらしい。モリアーティの前で見せた会話は喧嘩してから7日後、ようやく出来たものなんだとか。ファラオが珍しくカルデアを歩いているから何かと思ったがそういう事情があったらしい。話のつながりからアーラシュに移ったがマスターは「ああ、本のこと」と先程よりもアッサリした表情を浮かべた。 「まさかアーラシュもシャーロック・ホームズシリーズにハマるとは思わなかったけどね」 「そうかね? 彼は知識には貪欲な気がしていたけれど」 「そうだった、かな?」 「知識と言うと語弊があるかな。彼は、娯楽に貪欲なのだと思うよ。生きながらえた人々が創るものに憧れがあったんじゃないかな」  モリアーティの当て推量な言葉でもマスターはにひっと笑った。 「もしそうなら、やっぱり貴方はフィクションのキャラクターなのかな」  それは、どうだろうか。それに関してはモリアーティでさえも確実なことは分かっていないのだ。なにせ、自我があやふやなものだから。 「それは、マスターにおまかせするよ。私をどう扱うか、どう考えるのか」  私のことをうまく導いてくれたまえ、と笑うとマスターは「何キャラだよ」と笑っていた。  マスターが部屋を出たところでモリアーティはまた手紙を書き始めた。マイディア#名前2#。書き出しはいつも決まっている。  君が僕を許してくれないから、まだ手紙を書かなければいけないよ。  モリアーティは#名前2#を殺せなかったし、彼に愛の言葉を囁くこともなかった。毎朝パンを2つ買う。それだけの事しかできなかった。それでも#名前2#はモリアーティの隣で笑っていた。世間的には死んだことになってロンドンから遠く離れた田舎に暮らしているのに彼はモリアーティを責めることもなかった。#名前2#を繋ぎ止めるための準備もしていたが、結局それらは無意味に終わった。#名前2#はこじんまりとした小屋にずっと暮らしていた。  しかし、たった1度だけモリアーティは彼に愛を伝えた。愛の言葉なんて簡単に言えるものでもなく、きっとそれは束縛のひとつであった。だが、#名前2#は笑って聞いていた。 「君が私を許してくれるまで、私は君のそばにいる。約束だ」 「じゃあ、墓場に行くギリギリまで許しちゃいけませんね」