逃走しない理由「攻撃」「二者択一」「恥知らず」
「や、やあ。お疲れ様」 「お疲れ様、ワイルドさん」 隣に住むワイルドは、ズートピアの中でも有名人だ。俺はなにか言おうとする彼を横目に扉を閉めた。さっさと中に入りビールを掴む。全く、彼に会うなんて今日は運が悪い。 ここはズートピア。動物たちが個性豊かに自由を求めて格差を隠して暮らす場所。訳あってこの都市に転がり込んだけれど意外と快適に暮らしている。 隣に来たワイルドさんは俺でも知っている、キツネ初の警察官さんだ。肉食動物用アパートに元売人の俺と彼が住むようになったのだから不思議なものである。 売人になったのは不本意だが、やらかしたことに償いはしなければならない。ニック・ワイルドはその点うまかった。彼の償いは結局うやむやである。同じく足を洗って働かせてもらっている同僚たちはニック・ワイルドに攻撃的だった。 「あいつだけだぜ?」とワニが言う。 「そういう世界なんだ、仕方ない。イケメンだからな」とゴリラも言う。 「そうは言ってもよォ。あいつだけ、過去も不問で警察になってるのずるくねぇ?」と俺が言うと2匹はこくこくと頷いた。 「本当に、世界ってのは不公平だなぁ」 ワニがペットボトルの水を浴びながらしゃべっている。さっさと仕事を終わらせないと給料が貰えない。腰を上げて荷物に取り掛かる。ズートピアに引越しをするものも、ここから出ていくものも後が絶たない。 前科者だと職業に難ありとなるのは普通のことだ。俺たちはみんな今のボスに引き取られて仕事をしている。仕事の回数もそうだけれど、お客様の声にも評価が左右される俺たちなので愚痴をこぼせるのは車で移動している時だけだ。俺たちとて、元々犯罪者になりたくてなったわけではない。生きるか死ぬかの二者択一にまで迫った時、手に取れたのが犯罪に身を染めることだった。 「あのキツネはまた何か別の理由があるのかもなぁ」 「そうかあ? 俺には副市長捕まえた名誉で過去のことは不問にしてやるとしか思えなかったがなぁ」 「いや、だからそれが特別なんじゃない?」 ゴリラに言われたが俺はふん、と鼻を鳴らして聞く耳を持たなかった。あのくそキツネ、とモヤモヤしたものを彼にぶつけていた。 そしてある日、本物のニック・ワイルドに出会った。俺は向こうを客だと思うようにした。絶対に嫌な顔は見せない魔法がかかるからだ。そうやって逃げていたのだが俺のストレス耐性が低いのとニック・ワイルドの意外なアプローチで俺はあっけなくこの魔法を解かれてしまった。 「あの! #名前2#さん、おれのこと覚えてませんか?」 「はぁ……?? 何のことでしょうか……」 「えっと、あの、昔、約束したでしょう!? また会えたら指輪を返す……。それで、それで!」 ニック・ワイルドが突然泣き出してしまい、俺の方も何が何だか分からず立ち尽くし仕方なく自分の家に招くことになってしまった。約束? やくそく?? そんなのしたのか俺は…?? 指輪なんてそんな、こと……。あれ、なんだか思い出が、あるような。ないような。 ひとまず部屋の中に入れてベッドに座らせてコップを渡す。昔の手癖でスムーズにやってしまったものだからワイルドの方がビックリした顔をしていた。 水を飲みゆっくりと息を吐いたワイルドは寂しそうに笑った。 「……。おれ、昔、#名前2#さんと会ったことあるんです。キツネってだけで皆に嫌われてて、どうしたらいいかわからなくなった時に貴方に出会って……。あっ、その時に名前は聞かなかったんですけど女性が呼んでるの聞いてて。……。おれにマジックを、見せてくれました。本当にすごかった。おれにも教えてって頼んだら、貴方に笑われて……。それで、貴方が呼ばれて行っちゃうと思ったから思わずしがみついたんだ。そしたら、また会う時にこれを返してくれって」 ワイルドはチェーンに通した指輪を取り出した。ピカピカに磨かれたそれは露店で安く買ったおもちゃの指輪である。懐かしい。でも、自分のものだったかなんて覚えていなかった。俺にとってはその程度の話である。 マジックか。盗みを働くのにマジックは有効だと言われて無理やり覚えさせられた。もしかしたら、小銭稼ぎで道でやっていたときにこいつは出会ったのかもしれない。ワイルドのことを、悪くは言えない。いや、犯罪に関しては俺の方がまともだ。償いをして、今も真っ当に働いている。ただ、コイツの一途さとでも呼ぶべき馬鹿なところは映画で褒められるべき美徳だ。腹の奥がムズムズしてしまう。はやくワイルドを部屋から追い出したかった。 「……やっぱり、覚えてないですよね。おれの事なんか」 「えっ、ああ、いや……」 「いいんです、おれのこと苦手にしてるのも分かってたんで。ただ、貴方に救われたやつがいるってことを伝えたかっただけなんです」 ワイルドが深く頭を下げた。おいおい。おいおいおい。なんだよ、コイツ。もっと嫌な奴だったらよかったのに。俺は性格が悪い自覚があるが、そういう良い奴にぶつかると気持ちも動いてしまう。恥知らずにも程がある、と馬鹿にしていた自分よ。その恥知らずのキツネの言葉に泣かされる時が来るぞ。 「あの、さ。俺もほんと全くそういうの覚えてなくて申し訳ないんだけど」 「い、いや! 俺がずっと大事にしてただけなんで!」 「うーん、でも。俺の方からもちゃんと礼を言う。ありがとう、大事にしてくれて」 礼を言って頭をあげるとワイルドは顔を真っ赤にさせて俺を見ていた。ワイルド?と声をかけると「ニックで! ニックで大丈夫です!」と言われる。 「そうか? それじゃあ、ニック」 「はい……」 「挨拶が遅くなったけど。お隣さん、よろしくな」 ニック・ワイルドはおそるおそる俺の手を取りにへらっと笑った。よくよく考えるとこいつと同じアパートに住んでからは始めてみる笑顔だった。