仮初めの死「問いかけ」「牢獄」「無価値な」

スカーの話続編。「広い、肥沃の地です」と答えることができなかったときの話と兄を殺してからの話。  それは突然の出来事で私は「はぁ」と変な声を出してしまったのだった。 「なあ、スカー。私が死んだときはお前はどうする」  #名前2#の問いかけに吐き気を催さず、きちんと答えた私はとても偉かったと思う。間抜けな声を払拭できるよう、私は落ち着いて答えたのだ。 「一緒に死にます」  #名前2#がいない世界に興味などありはしないのだ。兄はこの世界は広い、というけれど私の中では全く広くなどない。生きるために殺す私たちライオンと、共存し繁栄する草食動物たち。そしていつも飢えに苦しんでいるハイエナたちがいるちっぽけなこの世界がなんで広いなどと言えるのだろうか。 「私には#名前2#がいれば十分なのです」  私の満足げなほほ笑みに兄は「そうか」と短い返事をして先に崖を降りてしまう。私はその悲しそうな背中を見て何か失敗したのではないか、と思ったのだった。兄に失望されたくなかった。  私はもう一度土地を見つめる。肥沃な地であることに間違いはない。だが、広いとはどうしても思えなかった。兄には嘘をついてもバレてしまう。私は途方に暮れた。泣きたくなったが泣いてもどうにもならないことを知っていた。広い、とは私がこの土地を知らないせいかもしれない。そう考えたら少しだけ希望も見えた。情けない弟という汚名を返上したかったのである。  私は土地を駆け回り、住んでいる動物たちを見てまわった。#名前2#の中で私はこの動物たちと同じ存在だった。つまり、私は兄に守られるものであった。寂しい。その一言が言えなかった。兄と同じぐらいに強くなれたと思っているのに、私は結局はこの立場から出ることができないのだった。  兄は一緒に寝たい、といった私を迎えてくれた。兄に見て回った世界を話した。兄は眠そうになりながらも聞いてくれた。前足で私の頭をなでると、「明日また聞かせてくれ」という。 「はい……。はい、もちろんです」 「うむ……」  兄の傍にいられるのなら、私はよかったのに。  ジラは私によく「あなた、お兄さんがいなかったらどうするのよ」とよく問いかけた。私はそのたびに「死ぬだろうな」と返事をしていた。#名前2#に愛されたかった、というのが本音だがそれもできずに彼に死なれたら私も一緒に死にたい。メスライオンに兄の体を取られる前に一緒の墓に入りたい。そういうとジラは首を振って「あんたの世界にはついていけないって、私思っちゃうわねえ」と言うのだ。 「理解されようなど思ってないぞ」 「えーぇ、分かってるわ。あなたのお兄さんへの愛は十分にね!」  兄のいない世界について考えるならば、それは無価値な世界である。兄がいなければ私は生きていたくないとさえ思う。  しかし、そういった気持ちもだんだんと変わってきた。兄から子について聞かされると私は自分が兄にとって、#名前2#という存在にとっていかに相手にされていないのかわかるのである。  私は無視されるぐらいなら別に構わない。弟として彼の傍で仕えるくらいならば構わない。だが、私は好きでもないライオンとまぐわい、血をつながなければならない。それもまた良しとしよう。この血筋に生まれたものの宿命であると思うならば……。できない、とわがままも言わない。どうにかして、作ってみせよう。  だが、#名前2#に私の心を否定されるのは耐えきれることではなかった。  兄は事故死だった。ただ、ちょっと脅したかっただけだ。命からがらに逃げた兄ならば、きっと王位を退く、と。そうなったなら私は兄のもとにひざまずき、兄にのみ仕える従者になっていたのに。 「おや、スカー。なんだか浮かない顔をしているね」 「……。うるさい。おい、シンバは殺せたのか」 「もちろんだよ! あそこまで追い詰めたら生きてるはずがないさ!」  ハイエナたちの言葉の曖昧さに鼻白んだ気持ちになった。そして私は、ふと、兄の亡骸を回収してひっそりと保管していたことを思い出した。ハイエナたちのいるゾウの墓場は死体を保管するのに便利な場所であった。  ヌーの群れに踏みつぶされた#名前2#の体は彼の生前の望みに合わせて肉体は食物連鎖の中に消えた。しかし、骨だけは私がすべて回収した。墓にうめる、と言ってサラビから奪ってきていた。 「#名前2#、見てくれ。これが、私の世界だ」  骨は何も答えることがない。私はまるで牢獄に閉じ込められたような気分にさせられた。 「#名前2#」  なでてくれる手はもう消えた。  成長したシンバは確かに#名前2#によく似ていた。それでもコイツは#名前2#ではない。私にとっては唾棄すべき甥だった。企みは全て暴かれた。#名前2#が死んだ時点で私の野望などないに等しいものだった。ただ生きながらえていたのは#名前2#の死体を傍に置いていたことの満足感であろうか。  シンバが私を追い詰めてくる。私は笑った。高らかに笑った。コイツは私を殺そうとしている。#名前2#の血を継ぎ、#名前2#のように育ち、彼の高貴さとは程遠いコイツが! 私を! 殺そうと!  私は自ら崖の端に向かった。 「兄様。……いや、#名前2#。私はあなたを愛していました」  それだけ伝えたかった。彼が自分のものにならないとわかった時に、言えないと思っていたから。見上げる空の奥に#名前2#が見えた気がした。#名前2#は驚いた顔もしていなかった。私を見て「さよならだ」という。その苦しそうな顔の意味はなんだろうか。私が死ぬことを喜んではいないのだろうか。もしそうなら、私はとても嬉しいと思う。  そして、私は崖から自ら飛び降りた。自分の死は自分で決めたかった。  私は妻を娶り王となった兄に対して何か引け目を感じていた。叶わない恋心を抱き続けた私の体はどこかおかしくなっていたのだと思う。思い通りにならないことがいくつものしかかってきたせいで、私は元々持っていた慕情が泥にまみれうすら汚れた感情に変わってしまったのではないか、とさえ思うのだ。  私はシンバが死ぬことを望んでいた。しかし、出来ることなら#名前2#が王位を退き私の元に来てくれればそれで良かったのである。引退した王を守る役目が私にあれば。  しかし私の野望は失敗した。シンバはハイエナたちから逃げるように去っていき、#名前2#は死んだ。そんな世界にわざわざ生き残っていた私が悪いのだろう。 「スカー」  ああ、ここは死後の世界だろうか。  #名前2#の声がする。だが、私はきっとそちらには行けない。私は愚か者だ。私は悪人だ。私は、死後も#名前2#とは離れなければいけないのだ。 「スカー、おいで」  なのに、なぜこの声はこんなにも優しいのだろう。遠くに行くくせに。私を置いてどこかへ消えるくせに。なぜ話しかけてくるのだろう。私は泣きたくなった。まだじゃれつくことが許されたあの時のように。私はどうしていいのか分からない。  真っ暗闇の中でひとりぼっちである。