ほらねまさしく君は刹那だ


 露伴が最近通っている店には、愛想のいい男がいた。彼が店長なのだがどうやら人前に出るのが好きな人間らしく露伴がいなくても彼はすぐに人前に出ていた。
 彼の作るチョコレートは絶品だった。本人の希望でパティシエという名前では呼ばれなかったが、露伴でも分かるくらいに「天才」だった。あのトニオ・トラサルディーも彼のチョコレートには叶わないと手をあげたと聞いている。
 どうしても彼の話が聞きたくて、店休日にのんびりとしていた彼を見つけた時にヘブンズ・ドアで読ませてもらったこともある。彼は至極真っ当な男だった。広瀬康一以来、こんなにまともそうな男を見つけた。
 そのストーカーまがいのスタンド行為を聞かされた康一の言葉で言うのなら「さわやかなやつ」なのである。
 露伴はそれ以降、週に何回かは彼の店へ行った。それは3回かもしれないし5回かもしれないしもしかしたら9回もあったかもしれないが、とにかく通っていた。そして露伴はナマエと仲良くなったのである。
 ある映画が好きでこの店名をつけたという彼のために、露伴は全く興味のなかった小説も読んだし映画もチェックした。正直まったく面白くない作品だったが彼は露伴の素直な感想を聞いてケタケタと笑ったあと「そうなんだよ、ああいう変な映画が好きでさぁ」と言った。

 東京で修行したあと地元に戻ってきたという彼はなにやら大きなグランプリなどもとったらしく、オープンしたときには盛大にニュースになっていた。だから杜王町にいる人間にその情報が伝わっていてもおかしくはない。そんな彼の夏季限定チョコレートが目の前にある。露伴が買ってきたのではない。編集者の泉が買ってきたのである。
「先生、ここのチョコお好きでしたよねェ?」
「あ、あぁァーーー、うん……。まあねぇ」
 露伴はちょっと言葉を濁した。好きなのは好きだが、チョコレートが好きな訳では無い。ナマエと話す時間が好きだからあの店に行っているのである。
「やったーァ! わたし、ちょうど用事があって出かけてたんですけど、店主さんが、露伴先生の所に行くのぉ? って声をかけてくれて! それならこれも持っていきなよってー、この限定チョコくれたんですよォー!」
「へぇ、そうか」
 どうして君が僕の編集者だってことを知ってるのか、そっちの方が気になるんだがね。露伴はちょっと不満げな顔のままチョコレートの入った小箱をつまんだ。
「前に十五先生がどうしてもあそこで打ち合わせがしたいって言って行ったんですよねぇ」
「はぁ!? ジュウゴって、あの志士十五かい? 1足りないってずっというあいつかい?」
「1足りないって、ああ、シシジュウロクの話ですか? そうです、その先生です。先生がそんな面白い店に俺がまだ行けてないーーって叫んでいて」
「……それで?」
「行きました」
 あっさりと泉は笑っていう。
「十五先生と、店主さんがすごい仲良くなっちゃって。今度ふたりで遊びに行こうなんて話してましたよ。元から映画の話が好きだったからか、お二人とも私を取り残してもうすっごくてすっごくて。私はずっとチョコレート食べててぇ。あ、タヌキのチョコレートがあってすっごく可愛かったんですよね」
「タヌキはどうでもいい! それで、志士十五とナマエは何したって?」
「いえ、普通におしゃべりしていただけですよ。その中で私が露伴先生の担当もしているって知ってたから今日声をかけてくださったみたいで」
 目の前の女よりもっと厄介なライバルがいたことに露伴は愕然としていた。なんッッッて最悪な日だろう、と思った。自分もあの店で打ち合わせをするか? いや、それは岸辺露伴らしくないと思う。志士十五の真似なんて冗談じゃない。
 泉は嬉しそうにさっさと小箱を露伴から奪って開けてしまった。中には鮮やかな緑色の植物のパッケージにちょこんと詰め込まれている板チョコがある。
 露伴も通っているためにそのチョコレートの存在は知っていた。ただ、いつもは買わなかった。なにせ、一度見たらリアリティはわかるのだから。まだ、まだ、と先に延ばしていたらこのザマである。
「先生も食べないんですか?」
 泉はもう半分食べてしまった。小さな板チョコである。露伴は大きなため息をついて小箱を奪った。よく観察し、そして食べた。
 爽やかな味と共に、ナマエのことが頭に浮かんだ。

 また、店に行くと、志士十五の絵が飾ってあった。これは? と聞くとナマエは恥ずかしそうに「漫画家の志士十五先生が、うちのために書いてくださって」と言った。ヘブンズ・ドアを使わずとも、彼の気持ちは志士に向かったのだと分かった。
 自分だって描いてやる、とは言わなかった。いつも通り注文をした。ナマエは明るく笑って準備をしてくれる。彼にとって自分は特別ではなかったのか、と思い知った。