貴方に生まれる序章
付き合っていた女が「別れよう」と言ってきた。バジはわたしのこと、恋人とは思えないでしょって。
オレは頭わりーから、ナマエに好きだっていわれてついつい「オレも!」と返したけど。でも、いざ付き合うって難しかった。ナマエの言うことを聞かなきゃいけないし、付き合ってる時は彼女を優先しろとか、喧嘩するなとか、違う女を視線で追うなとか。なんでテメェがオレに一々指図すんだよと思ったりもした。
そんで、1回聞いた。恋人だからって、なんでもかんでもやりゃあいいもんなのか、って。ナマエは考え込んでた。答えは結局聞けなかった。
でも、ナマエと一緒にいて笑い合うのは嫌いじゃなかったし。このままセックスできたらそれはそれでアリかなと思っていたのに。
「わたしは、場地の恋人になろうとするのは疲れちゃうからダメだなあって。ごめん、いい恋人じゃなくて」
いい恋人ってやつではなかった。ナマエのことうぜぇなって思うことはいくらでもあったし、まあ女だから殴らなかっただけで。
だからオレは「わかった」と頷いた。ナマエが恋人じゃなくなることが、どういう意味になるのかよく分かっていなかった。
ナマエは新しい恋人に男を二人選んだ。意味がわかんなくて「何やってんだお前」と聞いた。ナマエは笑って言った。
「一人としか付き合っちゃいけないなんて、そんなルールないんでしょ?」
オレがナマエと恋人だった頃よく言っていた言葉だった。
恋人のルールってなんだよ。バッカじゃねーの。
ナマエはそれを聞いてはなんか微妙そうなツラをして「ルール、確かにね」とか言ってた。
その結果がこれ。ナマエはなんか嫌な女になっていた。あいつの笑顔は見たこともないくらいに気持ち悪かった。こんなことになるなら、あいつのことマジで殴っておいた方が良かったかもしれねえ。
そうイライラしてきて、でも女は殴れねえし。結局、恋人だっつー片割れを見つけてボコした。気分はよくならなかったけど、なんか、満足はした。情けねえ姿をナマエに晒すこの男がバカみたいだったから。
――
場地と付き合っていたあの頃は今では黒歴史しかない。わたしはわたしで恋人という存在に憧れがあり、あいつはあいつで恋人についてよく分かっていなかった。
恋人以外の女とキスすんなってことに疑問を持ってたあいつの方が今では正しかったろうな、と思うことにも腹が立つ。バカのくせに真理がわかる。馬鹿だからかな。
恋人だからこれはダメ、あれはダメ、こうするべき、ああするべき。それって誰が決めたルールなんだろう。わたしはよく分かってない。
男二人と付き合い始めたのも向こうが三人でセックスしたいと言い出したから「それなら恋人としてちゃんと向き合え」と言ってやった。わたしは恋人としかセックスしたくないし、相手にもそうあってほしい。これは社会の常識とか関係なくわたしの願いだから。向こうはOKをした。そうしてようやくまともな恋人を得られた。
親は彼氏が二人いることに怒っていたけれど、別に子どもを作りたい訳でもないしまともな家族とかいうバカっぽい理想になれないから怒っているのなら無視してもいいかと思えた。
恋人には手を繋いでほしい。モーニングコールしてこないでほしい。携帯見れなくても怒らないでほしい。
向こうからも要望があった。アンダーヘアはちゃんとケアしてほしいとか、ハンカチはちゃんと持っててほしいとか、下着は見えないようにしてほしいとか。お互いにどこの線引きをするのか話し合って妥協してちゃんと決めた。完璧な恋人関係だった。
それが壊されたのは、あろうことか、場地圭介のせいだった。なにあいつ。まだイラついたからって人を殴ってんの? 赤ん坊みたいなこと言って加害欲求飼い慣らせないままのあの男のそういう性格が嫌いだった。馬鹿なところが嫌いだった。
そして思った。あいつは女は殴らない。でも、わたしは、恋人を殴られて泣いているだけの女じゃないし。殴り返す覚悟はあるし。
場地の連絡先はまだ残ってたけど、家電にした。絶対にとってもらえるし、絶対あいつはわたしとの約束を守るだろうと思った。
予想通り、あいつは家の近くの公園にのこのことやってきた。わたしが父の使うゴルフクラブを持っているのを見て「何してんのオマエ」とふざけて笑っていた。人の恋人を殴っておいてあっけらかんと笑えるこの性格が嫌いだった。
恋人の時はわたしは場地に口でしか言えなかった。場地はもちろんわたしの願いを叶えなかった。でも今は違う。わたしと場地は他人だ。他人のわたしは、被害者の恋人のわたしは、こいつを殴れるのだ。
持ち上げたゴルフクラブは重くてよろけた。場地は「なに、フクシューかよ」と余裕綽々の顔で見てきた。避けられると思っている顔だった。
「そりゃあそうでしょ。恋人が殴られて、犯人が目の前にいるんだから」
犯人て、と場地は笑っていたがなぜか急に目を見開いてわたしに質問をなげかけた。
「お前、恋人が殴られたらそうやって人を殴りに行くのかよ」
「……そうよ」
「じゃあ、なんで。なんでオレのときはしてないんだよ。行けよ、殴りに」
場地は悲しそうな、叫びたいようなそんな複雑な顔をしていた。
わたしはそれに答えずゴルフクラブを振り下ろした。場地は避けた。それが、わたしたちの出した答えだった。