あの子はまだ後ろをついてきたがる


#弱虫ペダル #福富寿一 #友情夢 #男主

 福富寿一にはほんのわずかな期間ではあるが、大会に一切出場しなかった時間がある。2年生のインターハイ終了後から、秋のはじめ……荒北靖友と組んだはじめての大会までの話である。
 周りのものは荒北靖友の鮮烈なデビューによりこう語った。「秘密兵器を育てることに注力していたのだ」と。しかし実際はそんな甘っちょろいものではなかった。
 福富寿一が、インターハイに出場もしていない先輩に鍛えられていた。それが答えである。


 福富が金城を落車させてしまったはなしは、すぐに箱根学園の主将である-名前2-に届いた。主将でありながらもインターハイ出場メンバーではなく、リカバリー選手として登録されていた-名前2-はすぐに「福富を呼べ」と声をかけた。
 その時の-名前2-の表情はいつまでもトラウマになる、と当時の伝達役を果たした部員は語る。尊敬できる先輩だが、絶対に怒らせたくないひとりだった、と。
 本来ならば、福富は棄権をして-名前2-に代わってもらうはずだった。しかし、-名前2-はそれを許さなかった。
「お前の弱さが招いたことなら、ここで証明してみせろ」
「ですが……」
「その代わりに、おれが引退するまでの間はおまえは大会に出るな。その権利は、お前には無い」
 -名前2-はそう言ったあと、福富を置いてひとり総北高校への休憩テントに向かった。
 金城はすでに病院かどこかへ向かっているのかそこにはおらず、中にいたのは玉虫色の髪の毛をした男と、やけにガタイのいい男だった。ふたりとも相当イラついているのは分かった。総北高校のエースに怪我を負わせて、なおかつその本人には試合を続行させるというのだから彼らには酷な話ではあるが。それでも-名前2-は願わなければならなかった。
「すまない、総北高校のチームはここで合ってるだろうか」
「……てめっ、ハコガク!?」
「キャプテンの-名前1--名前2-だ。……この度は、うちの後輩がほんとうに申し訳ないことをした」
 ふたりは何も言わなかった。もう、謝ってもらった。玉虫色の男がぽつりと呟いた。
「もう、終わっちまったことッショ」
「だが、けじめはつけなければ」
「そりゃあ、お前たちが勝手にやりてぇだけだろうが。俺たちのエースはひとりしかいねぇ。もう償えるような話じゃねーんだ」
「ああ、分かってる。だが、あいつだけを責めないでほしいんだ。……あいつに、王者という責任をおわせるにはまだ早いと判断もできずにひとりにさせた。うちが悪い」
「あぁ? なんだその言い訳は……」
「……。紳士的な行動もできない後輩に育てたのは俺たちだ」
 絶対に今後そんなことはさせない。あいつには、もう一度自転車を最初から教える。治療費もきちんと払いに行く。だから、この大会だけはあいつを出させてやってほしい。
 総北のメンツは口をぼやかしていたが後ろからキリリとした声で「わかりました」という声が聞こえた。
「金城……」
「! 君が、」
「初めまして、-名前1-さんですよね」
「……名前を知ってもらっているとは、驚くな」
「雑誌で見ていましたから。……はなしは、なんとなく察しています。俺は治療費を受け取るつもりも、福富に何か罰っしてほしいという気持ちもありません」
「い、いや、それじゃあ……」
「起きてしまったことにとやかく言うつもりはありません。次に戦った時には、今度こそ勝ちます。必ずです。それが、自転車競技をするものとしての、プライドです」
 金城はふらついたまま仲間たちに支えられてまた出ていった。今はもしかしたらトイレにでも行っていたのかもしれない。-名前2-はふぅ、とため息をついてまた自分たちのテントへと戻った。

 福富はその後レースを完走し、-名前2-の言う通りに大会に出場しなくなった。彼に心底陶酔していた(そしてひねくれていた)荒北は-名前2-にもかかんに刃向かってきたが「じゃあお前は自分をケガさせた相手がのうのうと過ごしてたら許せるか?」と聞かれて黙り込んだ。ケガをして野球をやめた彼にはその質問は耳が痛かった。
 ハコガクではその時の優勝について話すことがどんどんとタブー化していった。初めてレギュラーではないキャプテンが登場したこともあり、元々話題にあがらないようにはしていたが福富の話もあってさらに加速していった。
 福富と共に出場したメンバーにとっては嫌な話だったが、-名前2-に逆らう気持ちも持てずモヤモヤだけが募っていた。
 -名前2-はインターハイ以来福富と共に練習を続けていた。自分の出場機会をうばい、舞台を汚した後輩をいびってるんじゃないかと噂が流れ、東堂たち福富の同級生らは心配していたが福富は文句も言わずに励んでいた。
 インターハイメンバーたちはその噂を流したことが結局自分をみじめにさせるだけだと気づいていたが、それでもやってしまった。ふたりは全く気にせず練習を続けることが余計に苛立ちを増させるのだ。
 -名前2-はそのトラブルの中での立ち回りはうまくなかった。ピリピリとした空気が流れ続け、ある日、しびれを切らした同級生のひとりに「もう福富のこと許してやれよ」と言われて-名前2-は心底びっくりした顔で「許すのはおれが決めることじゃなくないか?」と言った。
「……おれは、インターハイメンバーじゃないから。あの舞台への憧れはあってもプライドってものはない。そうあってほしいと願っても、他人を蹴落とすことが仕方がないと分かっていても、自分の弱さを相手になすりつけるようなことを箱根学園の生徒として教えたつもりはなかった。だから、いま、もう一度確認してるんだ。おれたちはだれだ? って」
 それ以来、-名前2-と福富についてとやかく言われる頻度は減っていった。箱根学園自転車競技部としてのプライドを何よりも大切にしているのは-名前2-の方だった。
 その練習を中断させてまで福富が金城にひとり会いに行ったときもあったけれど、-名前2-は何も言わなかった。夏が終わり、秋に差し掛かった頃。-名前2-はぽつりと「今度の箱根ヒルクライムで引退する」と言った。
 自転車に乗るには少し肌寒い季節にその大会は開催される。-名前2-はそれに出場したあと引退をすると言い出した。-名前2-はクライマーではない。一応はオールラウンダーだが、器用貧乏というような微妙なラインである。
「俺に引かせてくれませんか」
 福富はそう口に出していた。-名前2-との約束は引退するまで大会に出ないことだったが、それを押し切ってでも-名前2-のことを応援したかった。もうこの人と一緒にはしれないという事実が胸にのしかかり、今にも倒れそうだった。
「お願いします、あなたの前で、俺の強さを見届けてほしいんです」
「……そしたら、お前が優勝するんじゃないか?」
「いえ。あなたを引きます。あなたを一位にあげるアシストをします。あなたを……あなたのことを、追いかけたいんです」
 福富は泣いていた。-名前2-にとっては初めて見る顔だった。ぽりぽりと頭をかいて-名前2-は「約束を変更することはできない」と言う。
「でも、お前がそう言ってくれたのは嬉しかった。もうおれとの約束なんて無視して今度こそ本気で、ひとりでも、こわくても、最強を求めていけよ」
 荒北のこと、ちゃんとお前が引っ張ってやれよ! 次期主将なんだから!
 はい、と涙ぐんだ声で頷く福富を-名前2-はぐっと抱きしめた。自分より小さなその人に福富は離れたくないなと思った。
 -名前2-は同級生のクライマーたちと共に大会に出場し、12位という彼らしい微妙な順位で引退を迎えた。

 そして福富が三年生となって迎えたインターハイで、箱根学園は負けた。総合優勝をとったのは彼のライバル校である総北高校だった。
 福富自身が勝負をしたわけではなかった。一年生レギュラーの真波山岳と、総北高校の最強の初心者である小野田坂道の勝負だった。
 小野田坂道をみていると、-名前2-のことを思い出す。自分に大会に出るなといい、共に練習をしていた彼を。自転車は楽しいものだ、とそんなところからはじまった編集だった。勝ち負けの前にやりたいことを思い出せ、と。そう言われた。その根源がお前にはやさを与えてくれると。
 小野田坂道に負けたことはある意味では納得のいく結果だった。1段。たった1段の表彰台にあがった総北高校を見て自分は心から褒めたたえていることに気づき、本当によかったとほっとする。それでも、悔しさはひとしおで。あまり長く見ていられるものではない、と顔を背けた先によくよく見知った顔があった。
「福富、お疲れ様」
 -名前1-だった。明早大学一年生の彼である。どうしてここに、と口がもごもごと動く。
「なぬ!? -名前1-さんではないですか! 見に来てくれたんですね!?」
「OBとして見に来たよ、伝統ってやつだから」
 次は福富たちがこうやって大会に来ることになるんだなーと-名前2-は笑った。副主将をつとめていた男は可愛がっていた後輩と話すために別な場所にいた。
 -名前2-と福富の視線がからんだ。-名前2-はひどくやさしい表情をしていた。
「……負けました」
「みてたよ」
「最強のチームで、挑みました」
「だろうな。強さのみで選んでなかったら1年も2年も入らないだろ。……まあ、それはおれもだったけど」
「……とても悔しいですが、あの時よりもすっきりとしています」
「はは、そりゃよかった」
 -名前2-は福富に手を差し出した。
「お疲れ様。いい戦いだった」
 いい戦いだったかどうか、福富には分からない。だが、-名前2-がそう言うのならばきっとそうなのだろう。握った手の温度から気持ちが伝わってくる。福富は必死に泣くのを我慢していたが目の前の先輩にはバレバレだったようで。仕方がないという表情で胸をひらいた先輩に福富はそっと抱きついた。