しあわせを押しつけていいから


 転生トリップした先がファンタジー世界というものはよく見るけれど。まさか、自分が「八咫烏シリーズ」にいくことになるとは思わなかった。
 とにかくハマって読んでいたこの作品のなかでも、特に名前をあげられやすい「あせび」様。それが、今のわたしの主人である。ただ、今の彼女はまだその名前がない。二の姫様。それが呼び名だ。
 この家での生活は、まるで囚人のようだった。わたしたち二の姫つきの女房たちは本邸の女房たちからも軽んじられている存在だった。初めの頃はひどいと思っていたが、いつしかこの待遇に納得もするようになってしまった。自分の仕える主人が分かりやすく「なにもできない女」であるとわかった時のあの絶望は一体どんな言葉にすればいいのだろうか。
 あ、この子は傀儡とも呼べないようなものなんだ!
 自分のことは自分で決めましょう、と生きてきた令和の人間からしたら分からないタイプの女だった。
 貴族の娘なので下民と呼ばれる存在のことが分からないのは仕方がない。でも、彼女にはもっと大切なモラルとか、そういうものがなかった。
「お前はわたしにいつも厳しいわねぇ……」
 彼女のその一声により、わたしはこの組織の中でいじめられる存在になった。本邸の人間が助けてくれるわけでもなし、離れの八咫烏たちは大体が姫さまの味方である。わたしが繕いものをしているのを見て彼女は言った。
「新しいものは買わないの?」
 誰のせいでこんなことになっている、と叫びたかった。自分は侍従とかそういう存在にとことん向いてない存在なのだと思った。
 マリー・アントワネットだってきっともっと教養はあったんじゃないだろうか。そう思う程度にはあせび様はひどかった。
 転生トリップといったらもっとイケメンと恋愛をくりひろげたり、自分の知識を活用して人気者になったりするようなものだと思っていたけれど。そんなことはなく、わたしは侍従としてわたしを貶めた女に仕えている。
 下民たちより少し上、ぐらいの立ち位置になって良かったことは転身する練習をできるようになったことだろうか。前世の記憶があると「自分が、烏に……!?」と思ってしまうので幼い頃の自分よりも転身がとてつもなく下手くそになっていたのだ。それに、自分の着ている着物だけでは寝るのに寒すぎた。そのせいで時たま烏に転身してから眠るようになった。
 わたしは何とかこの邸で生きていくことをおぼえた。

 あせび様が名前をもらうことになる、あのきっかけがやってきた。つまり、若宮の妃候補に選ばれたのだ。
 ご当主はニコニコとしているけれど内心でなにを思っているのかさっぱり分からなかった。あせび様は既に姉を下民に襲わせている。あの時の夜のことは今でもよく覚えている。女房たちが争いあうのに、あせび様は泣きそうな顔で怖いわ、と怯えていた。彼女がしかけたことなのに。
 彼女はほんとうに人の心を読む天才だと思う。こうしたらきっとこう動いてくれる。彼女の期待はほんとうに現実になり、彼女への厄災を振り払ってくれるのだ。そうして問題が起きると「わたし、しらないわ」とそう言って悲しげな顔をするのである。みなはあせび様のような見目麗しくか弱い女性が他人を自分勝手に傷つけるなど思っていない。なぜなら彼女はすぐに虐げることができる存在だから。周りの勘違いと、彼女の天性の才能が悲劇をうむことにきっとご当主は気づいているだろう。
 ご当主の命令により、わたしまでもがあせび様つき女房として中央へついて行かなければならなくなった。身分の低さからわたしは視線を合わせることが許されていない。嫌だ、と握りしめた指はあとで見たら血の跡がついていた。
 あれよあれよと空を飛び、ほかの四家のご令嬢たちにお会いして、あせび様に「あせび」という名前が送られた。周りがどよめく中で本人だけは嬉しそうに笑っていた。囚人番号ではなく、名前を呼ばれたのは彼女にとっては初めてのことだったのだから仕方がない。たとえその名前が毒茸のものだとしても彼女は喜んだだろう。
 あせび様は前よりもわたしに構うようになった。わたしはそんな彼女から逃げたくて、逃げられなくて、精神にちいさな傷を作りながら過ごしていた。
 そうしてある日、あせび様はおっしゃった。
「わたしが若宮さまに嫁いだあとも、おまえはずっと連れていくわ」
 死んでもいいからこの女と離れたい、と思ったのはその時が初めてだった。

――――

 私のことを「姫さま」と呼びながら慈しむその手を話さなかった女房のことを憐れに思った。私のことが好きなはずなのに、どうしてそんなふうに私のことを見るのか分からなかった。
 あなたは厳しい人ね、と言った途端に彼女は私の視界からはいなくなってしまった。そんなふうにされると、名前さえも思い出せなくなってしまった。
 ぼんやり面影しか思い出せなくなった頃に、また会った。偶然だった。繕いものをして自分の着物をなおしている彼女があわれで、悲しかった。けれども、私は彼女のたおやかな髪の毛と器用に動く指と、まっすぐに見つめる横顔が美しく見えて好きだった。私が彼女を守るべきなんだわ、と思ったけれど、私はうこぎが言うようにおっとりとしていて、彼女を守るためにどうすればいいのかはよく分からなかった。
 中央へ彼女を連れていきたい、とお父様へお願いすると扇子でぱたぱたと笑う素振りを見せたあと「私が命じてやろう」とおっしゃってくださった。
 中央ではにこにこと笑って座っていればいい、と言われたけれど藤波さまは私が妃になればいいと言ってくださった。もし、そうなったら。私は絶対に彼女を連れていってあげよう、と思った。
 それを伝えたら、彼女は笑って「ありがたきお言葉、わたしにはもったいないお役目でございます」という。来てくれるのね、というと彼女は笑うだけだった。絶対よ、と念を押して彼女の手をとった。