だれかに潜む天使のために
マドリガル家の中にはとてもとても野蛮な少女がいた。彼女は名前を言ってはいけないブルーノと同じくらいに名前を呼ぶのをはばかられる存在だったが、彼女自身が世間で必要とされるときもあったのだった。
外の世界はまだこわい。とてもこわいことが起きる。だから彼女を盾にする。ナマエもそれはそれで良いと思っていた。人を助けることを彼女は厭わなかった。値段をわざと高くしていないか。本当に愛してくれているのか。秘密を誰かにしゃべっていないか。些細なことでも一家の一大事であってもナマエは文句を言わずに駆けつけた。
ナマエのギフトは人間の嘘を見抜く目だった。それはどんな相手にも平等に働いた。嘘だよ。ホントだよ。ナマエは端的に言うので相手はそれを恐れてどうにかこうにか言い逃れしようとする。
本人が嘘と思っていない時は厄介だった。なにせナマエに分かるのは「嘘っぽい」と「嘘」と「本当」しかないのだ。話の中の部分的な嘘と、本人が嘘と思っていない時はすべて「嘘が混じっている」にしか分からなかった。
使い勝手がよいわけではなかったが、彼女が頼りにされる機会があることは確かだった。彼女はその能力をたかくたかく評価されて「仕事人」と呼ばれていた。しかし彼女と付き合おうとする人間は全くいなかった。彼女と付き合ったが最後、常につねに正直者でいなければならないからだ。
それこそ、家族であろうとナマエのギフトは働いている。
「あなたのことを愛しているから」
その言葉にわずかに嘘がまじっていると見えた時、ナマエは家族のことをうすら笑いで見るようになった。
――その「愛してる」って本当に?
――わたしのこと、家族のお荷物と思ってなぁい?
――みんなから疎まれてるのに必要とされている子どものこと、守ってくれなかったのにね。
母のアマルがどんな人生を送ってきたかナマエは少しは分かっているつもりだった。しかし、その辛さと自分を鬱陶しく思われることは別の話でありナマエはアマルのことを「可哀想な人だ」と思っていた。
魔法がなければ生きていけない、と幻想にしがみついている。もっと人のことを信じて生きていけばいい。でも、マドリガル家の人間はみなこのギフトによって受け入れられ、そしてエンカントを守ってきたという自負もあった。その拠り所がなければ自我が壊れてしまうのかもしれないのなら、放っておくのもまた薬かとそう思っていた。
そしてそれが大きな間違いであったと知るのは、姪のミラベルのギフト事件に立ち会ったからだった。
ギフトがない。
何度やってもカシータは答えてくれない。
ミラベルのか細い声が忘れられなかった。まだ幼い子どもの夢がたった一瞬で破れて叶わなくなったことがナマエの心をぶった。
それはマドリガル家としてのプライドが許せなかった。母アマルはミラベルを愛していたからこそ、そのギフトが受け取れないことが許せなかった。ミラベルがこの土地で生きていくための武器がないことが、またあの過去の自分のように追われてしまう立場になったらどうしよう、ときっとそう考えていた。
母のことは時間が癒すだろうと思ったが、それはただの現実逃避で、ナマエの行動は結果として傷つく姪をただ見るだけの人間になってしまった。
ミラベルは中々部屋から出てこなかった。姉たちふたりの声にも母の声にも父の声にもいとこ達の声も華麗に無視していた。
カシータはミラベルの気持ちを最大限尊重したいのか、家族たちをやんわりと押し出すこともあった。母はそれにもイライラとして汚い言葉を使うこともあった。母である彼女のことをどうすれば助けてあげられるのか、ナマエにはよく分からなかった。
「嘘をついているという自覚がない」人間は、どんな対処をすべきなのか。認知を変えるなんて大それたことをできる人間はここにはいない。アマルにとってあれは愛だ。愛だから傷つけている。
……それを、放置しておくこともできなかった。
ナマエは部屋から出ないミラベルに問いかけた。
「ねえミラベル。わたしよナマエ」
「……出ていかないからね」
「わかってるわよ。嘘はついてないのね」
「ナマエさんは、顔が見えなくても嘘をついてるかどうかわかるの?」
「ええ。蝶々がね、頭の中で舞ってるから」
「蝶々……」
「おばあちゃんの腰にあるでしょう? 黄色い蝶々が。あの蝶々が教えてくれるの」
ミラベルからナマエについてこんなに質問をしてきたのは初めてだった。ミラベルからはずっと苦手とされていることは知っていた。でもナマエはミラベルのことを好ましく思っていた。彼女だけはナマエのことを怯えながらも絶対に本名で呼んでくれるから。周りのように、彼女のことを「仕事人」なんて呼ばないから。
「ミラベル。わたし、あんたのためならエンカントの外に行ってもいいよ」
ナマエはそっと呟いた。ミラベルに届いていなくてもよかった。ナマエにとっての愛はここからミラベルを連れ出してあげることだった。世界を知ってほしかった。能力がなくても幸せになれる人間はたくさんいる。何者になれなくたって、いいのだ。それを言いたかった。
ミラベルは「そんなのやだよ!」と鋭く切り込むように叫んだ。ナマエはビックリして背を預けていたはずの扉をみる。
ナマエを支えていたのはカシータが扉を曲げてくれていたからであってミラベルはもう顔を出していた。
「わたし、みんなが好きなの! ここが本当に好きなの! ここで、みんなと、みんなとぉ……」
わぁっとミラベルは泣き出した。きっと家族たちのように活躍する人間になりたかった。ナマエの言葉はただいたずらにミラベルを傷つけただけだった。そんなつもりはなかった。ここでは生きていけない、なんて。そんなことを言いたいわけではなかった。
――ごめん、ごめんね。
ナマエが何度謝ってもミラベルは泣き止まなかった。次第にその泣き声に反応して家族が集まってきた。ミラベルがようやく部屋から出たことにも、あのナマエが泣いていることにも驚いた。
いちばん最後にやってきたアマルが優しげな声を出した。
「夕飯を食べましょう。そんなに泣いたら、お腹が空いてしょうがないでしょう」
カシータは魔法でおいしそうな匂いをかもしだした。ミラベルの腹が大きな音をたてて家族は笑いに包まれた。
ミラベルはそれからずっとエンカントに住んでいる。
ナマエもそれからずっとエンカントに住んでいる。彼女は母親のことも姪のこともどちらも救えないまま、ただひたすらに仕事をしている。
愛とは何なのか、ナマエはいまだに答えを探している。