よくできましたのシールが欲しい
うちの店に来ていたおじいさんが来なくなってはや2ヶ月である。2ヶ月。そのなんと長いことか。わたしがいない日に来ているのかと思いきや、それもないらしく本当に彼は来なくなってしまった。
雨の日も風の日もおじいさんはこの店にきた。頼むのはブラックコーヒーでトールを一杯。席に座るときもあれば、そのまま立っている時もある。新聞をよく読み、人が来たらおしゃべりをして、従業員とクレーマーが争いそうなときに彼はゆっくり近づいてきて絡まった糸をほぐしてくれる。まさに奇跡のような人だった。
可愛らしいメガネのおじいさんの名前はベンという。おばあさんが大声で「ベン~~! 偶然じゃない!!」といって近寄ってきたので名前を知った。今までのメガネの紳士さまという言葉からより身近な人になった。
ベンは特定の誰かと会話することを目的としているわけでもなく、毎朝このコーヒーショップへ来ていた。カップに書かれたスマイルマークに対していつも「君もスマイル、わたしもスマイル」なんて笑っていたあのおじいさん。あのおじいさんにカップを渡すのは誰かで毎日始業前は揉めていたのだ。おじいさんはチップも多くくれる。それが目当ての人もいたけれど、結局みんなおじいさんと会話したいという気持ちの方が強かった。
おじいさんに元気をもらっていたのはわたしたちだけではなかった。毎日ここに来ていた常連の人達は「あれ、いつものおじさんいないね」なんて言ってくる。どうして来ないかなんてわたしたちが知りたいのだ!! でもそんなことを言ったら個人情報がーなんてまたクレームをつけてくる人がいるからいつもと同じ笑顔で「どうしたんですかねー」なんて言うのだった。
* * *
「おじいさん元気にしてるかな」
わたしがぽつりと呟くと恋人は「コーヒーショップのおじさま?」と聞いてくる。
「そうそう! なんかねー、俳優でいうところのロバート・デ・ニーロみたいなね、可愛いおじさまなの!」
「ロバート・デ・ニーロは可愛くないでしょ」
「可愛いよ! アル・パチーノだって可愛いもん!!」
「こわ」
恋人にアル・パチーノとロバート・デ・ニーロの可愛さを熱弁したあとおじいさん亡くなったんじゃね? と言われる。
「やめて解釈違い」
「人は死ぬって」
「やめろ!!」
恋人をクッションで殴りに殴って応戦されてふたりでぜーはー言ったあと「せめてSNSとか分かればひっそりこっそり応援するのになあ」と思った。でもストーカーのようなそれは恋人から「気持ち悪いからまじでやめろ??」と諭されて諦めた。
そうやって半年をすぎてバイト仲間たちは代替わりもしてわたしはひとりバイト先にしがみついていた時、おじいさんは帰ってきた。横にはものすごく美人な女性を連れていた。
「ベン、ここがあなたの言ってたおすすめのコーヒーショップなのよね?」
「イエス、ボス」
「ボスだなんて」
「エースのほうがお気に入りかな?」
「今日はー、冒険しに来たプリンセスの気分ね。プリンセス・アンよ」
「はっはっは!」
今まで見たおじいさんの中でいちばん快活に笑っているおじいさんだった。可愛い、また会えて嬉しい、それと同時に「ボス? エース? その女の人とどんな関係なのおじいさん!!」という気持ちがむくむくと持ち上がる。聞きたい。でも聞けない。わたしはおじいさんと友達ではない。深呼吸を心の中で意識しながらほかのお客さまの相手をしていたらベンはそっとわたしのほうに近づいてきた。
「やあ君」
「え、あ、はい!」
「久しぶりだね。店員さんたちも随分変わってしまったようだったから」
「あ、はは。新学期になったしバイト変える子とか新しく入った子とかいるんですよね」
「そうだったのか。僕のいつものオーダーは君にしか頼めなくなっちゃったなあ」
いつもの。ブラックコーヒーのトール。ただそれだけのものだから彼はどんな店員にだって話しかけられるだろう。でも、わたしにわざわざ話しかけてきたということが嬉しくてわたしは照れた声で「はい」と頷いてしまった。後ろに控えていた美人さんはニコニコ笑ったまま「わたしにも同じものをちょーだい!」と元気よく言う。
正直どこか心配していた。ボスとかエースとかプリンセスとか。あまりにも気軽すぎておじさんが変な人にひっかかってしまったんじゃないかと。でもそんなことなかった。おじいさんは素敵なままで、素敵な人を「上司」にしたようだった。
わたしは丁寧にカップにスマイルマークを書いた。そしていつもの一日の幸せではなく、お仕事へのエールにしてみた。おじいさんはいつものようにカップを見てびっくりした顔つきでわたしを見ていた。
そしてまたあの大好きな笑顔でありがとうと言ってくれた。
きっと彼はもうこのお店に毎日は来てくれない。でも、それが彼にとっての新しい出会いだから。わたしはにっこり笑って送り出すしかないのだ。
「You’ll be all right!!」