些細なことにしなければならない
現在市川は必死に自分のこわいこわい上司に言い聞かせている。ダメです。それだけはダメです。何度言っても彼は聞こうとしなかった。いつものことではあるが、今回ばかりは市川も引けなかった。
目の前にあるのは幾度となく工藤が利用してきた「呪物」がある。呪いの品である。今の所、工藤や自分に害はないように思われるが(心霊現象に自ら関わりにいっているので市川にはそこに害が出ていないのかどうかはよく分かっていなかった。)それでもコワすぎ! の動画撮影時以外で使うことは躊躇われた。
さらに言えば工藤が惚れた女のアパートの庭に埋め込んで女を退去させようとしているところからしてもうダメだった。何言ってるんだろうこの人と、思わず真顔で「熱とかありませんよね?」と聞いてしまったしそれに対して工藤は「これでも丸一晩考えたんだよ、いいアイディアだろ?」と恥ずかしそうに言うので正気でその考えに辿り着いたのか、と驚愕してしまった。
「どこも『いい』アイディアじゃないと思うんですけど……」
「いや、考えてみろよ市川」
「考えちゃだめです」
「ンだよ、オレがあいつに好きって言っちゃいけねえとか言うんじゃないだろうな!?」
「言いません。応援してます。ナマエさんいい人って知ってます。それはそうと今回のはダメです」
「この呪物があればあいつは今の家に住めなくなるんだぞ!!?!?」
「それが問題って言いたいんですけど!!?!?」
目の前の上司、工藤という男は控えめに言っても危ない男だ。女の人だろうと容赦なく叩くし殴るしなんなら幽霊たちにも立ち向かっていくという危ない人だ。倫理観がどこかこの世の社会とズレているのだと思う。異世界にいったほうがきっと幸せだ。自分たちもこの人も。
いま工藤がずっと語っている「あいつ」というのはアシスタントプロデューサーであるミョウジナマエという女性だった。彼女の交渉能力によって難攻不落といわれていたロケ地の許可をとれたことは数しれず。番組制作の縁の下の力持ちの人だった。工藤とも仲が良く、それなりに飲みに行ったりもしているようだし工藤としてはさっさと決着をつけたいようだが彼女はのらりくらりとしていて工藤に踏み込ませないようにしている印象があった。
おそらく、工藤も切羽詰まってのことだろうが……。いや、それはどうかと思う。
市川はじっと目の前の呪物を見つめた。
「人間が一年以上住めないなんて曰く付きの事故物件に住んでるからか、あいつはそれなりにホラー耐性がある」
「まあ、そうですね……。この前の河童のDVDも笑いながらみてた人ですしね……」
「そこでだ。そこを退去させてさっさと俺の部屋に荷物もって来いって言うならこいつが最適だろうってな」
「まったく最適じゃないと思うんですけど」
ほとんど脊髄反射のようにしゃべっている。普段なら工藤はしかめっ面で「市川ァ」なんて怒ったように話しかけてくるが工藤は「このジョーカーはオレにとって幸せを運んでくれるものだったのかもしれねぇなあ」なんて笑っていた。
もう一度言う。工藤は笑っていた。
市川はもう何も言えなかった。
ミョウジは市川よりも収入はかなり多いはずだが、曰く付きの事故物件に住んでいた。本人曰く「話のタネになるから」だそうだが、心霊もの番組に関わらせると共演者である霊能者やロケ地の心霊スポットの管理人たちから苦情の電話がかかってくるので話のタネにしてくれるのはもっぱら何も知らない一般人たちだった。
彼女にとっては心霊的なものは日常生活に組み込まれているものであり、大抵のことで逃げ出す人間ではなかった。ただし人間には例外もある。
1ヶ月後、市川はミョウジがあの事故物件に住むことをやめたという噂を聞いた。ああ、と自分の上司のことが思い浮かぶ。本当にやらかしたのだろうか、あの人は。
いい歳した大人たちのめんどくさい恋愛に巻き込まれた呪物というものもある意味ではホラーであるが、それを聞くのもホラーである。
「あ、市川!」
「ひゃいっっ」
考え事をしていたら、まさかの本人の登場である。市川がおそるおそる振り返ると、ミョウジはいつもと変わらない笑顔を浮かべていた。
「あのさぁ工藤にこれ返しといてくれる?」
「は、はぁ」
手渡されたのは紙袋だった。市川には知らないお店のロゴだったが雰囲気からして都会の女というオシャレさがあった。持ってみると意外と重さはなかった。
「工藤がうちに置いてったんだけど、面白いくらいに効果が出たから今度はなんか変な感じがしちゃって返そうと思って」
「??? なんの話でしょうか……」
「市川もあのときいたよね? 口裂け女さん捕獲作戦」
ひぇっと口の中で悲鳴がもれた。声に出さなかっただけ自分を褒めたい。もしかしてこのオシャレ紙袋の中身はあの……?
「工藤がなんか置いてったからなにかと思ったけど、まさか呪物使ってわたし脅かそうとするとはねぇ」
いえ、あの違うと思います。あの、あの、工藤さん、えっと。
市川はもごもごとしゃべっていたがミョウジは「なんか面白くなってきちゃったから工藤とねちゃんと向き合おうと思ったの。そんで今はお試しであいつの家にいるんだよね」と恥ずかしそうに笑った。
「、わ、あの、おめでとうございます……!」
「まだどうなるかわかんないけどねぇ」
「そういえば、この呪物って結局のところ効果はあったんでしょうか……?」
「あ、そうだねえ。あるって言えばあったかなあ……」
「! もしかして、余計に悪化してしまったとか……」
「あ、ううん。そんなことじゃないよ! うーん。わかってはいけないことがわかってしまったというか。事故物件に住んでるから起きてると思ったことがねぇ、わたし自身に取り憑いてるのかなんなのかって感じで。工藤が持つ方がたぶん身を守ってくれそうだから工藤に返すねーって」
市川は話を聞くんじゃなかった、と後悔した。