次会うときに牙を失っていても

 彼はいわゆる災害のようなものだった。彼にいかに目をつけられないようにして生きるかがその学校での生き方だった。幼なじみの柴大寿の方がまだマシだった。彼にはまだ信仰というルールがあった。その信仰はたかが苛立ちですぐにかき消されるようなその程度のものだったが。それでも。彼よりはマシだった。 「んだよ、テメェは……」 「あ、あの。ごめん、その、椅子の下におれの一円玉が……」  乾という男はん、と足をどかした。おれはただ、彼の座席の下に落ちた一円玉をとりたかっただけだ。友人に、支払い忘れていた缶ジュースの代金をはらいたかっただけ。落ちた小銭も、おれもきっと悪くなかった。その時悪かったのは乾の機嫌と、おれの運だった。  おれが手を伸ばした瞬間、乾はその足を容赦なく振り下ろした。おれは無防備にさらしていた背中を叩き壊されたのかと思った。それぐらいに激しく、容赦のない攻撃だった。 「邪魔」  彼はそう言っておれの背中をまた踏みつける。おれは一円玉も忘れて痛みに喘いでいた。涙があふれたが、地面にへばりついたままおれは逃げられず乾は苛立ちのままおれを蹴り飛ばした。そこからの記憶は曖昧で、乾はおれに謝罪することもなくただ九井という男から一円玉を返してもらった。おれの命はたったこれだけなんだなと思った。脊髄損傷のうえに、脚に麻痺が残ることになった。ふつうに歩くことは可能だが、杖がなければ過ごせなくなりおれは中学から老人の気分を味わうようになってしまった。  全治3ヶ月の入院を経て、おれは受験生となった。スポーツ推薦はすっかり諦めて、なんとか苦手だった国語とも戦い、おれはなんとか高校へと進学した。大寿から中学は別にしてやったんだし一緒の高校にしろよ、と言われたがおれは自分の怪我を指さし「まともな高校には行けないだろ」と言う。おれの背中はひん曲がり、杖をついているのだ。大寿と一緒にいたらまたトラブルに巻き込まれることは予想がついた。大寿は俺が守るというが、おれは大寿のことをそんなに信用していない。こいつの強さと、おれへの庇護はまた別ものだし。彼は信仰心をもって家族を傷つけるようなやつなので、その庇護がいつおれに刃を向けるか分からないからだ。  家族すらまともに守れないやつが幼なじみを守れるわけねえだろ、というのがおれの率直な気持ちだが大寿にそんなことを言ったら今度はどこが麻痺させられるか分からないので「大寿に、そんなに迷惑かけられないだろ……」と悲しそうな顔で言うことで回避した。一生迷惑かければいいと言っていたが、おれはお前と一生を共にする気は全くないぞと思いながら聞いていた。  おれは大学生になったあと、友人にバイクに誘われるようになった。というのも、ありがたいことにサイドカーに乗って風を切る体験をさせてもらえたのだ。脚に麻痺がのこったとわかった時に、おれはこういった乗り物の運転とかそういうものとは縁が切れたのだと思ったがなんと神はおれを見捨てていなかった。大寿も定期的におれをバイクに乗せようとしたが彼の運転はふつうに危なっかしく、さすが無免許運転してきた人間だぜ……と思った。自分の手癖で乗る人間の運転ほど怖いものはない。  友人曰く、とあるバイク屋がおもしろいパーツを揃えているから見に行きたいということだったのでその日はおれも一緒についていった。  お前のヘルメットも自分用がほしいだろ、と言ってくれた彼に「おまえ、ずっとおれをサイドカーに乗せるうもりかよ」と言えば顔を赤らめて「そうだけど文句あるかよ」と言い出した。自分から言い出した話だが、そういう口説き文句はずるいと思う。  バイク屋に入ると、弁髪の男が「っしゃいませ」と声を上げる。ガタイのいい男だった。何をお探しですか、と丁寧に聞いてくるが体育会系の上下関係のノリで話す男だった。 「あー、まずはこいつに合うヘルメットを選びたくて」 「どうも」 「ヘルメットならこんなのがありますけど」  店のものではなくカタログを渡した彼にどれどれと友人と開いた。イヌピー、ヘルメットのカタログってまだあったっけ。弁髪の男がそんなことを言うので「ん?」と思った。イヌピー。それは聞き覚えのあるあだ名だった。いや、別人かもしれないし。あいつは、九井にそう言わせていただけだったから。 「これか、ドラケン」  聞き覚えのある声だった。おそるおそる顔を上げると、髪の毛はのびていたがそこにはおれに麻痺をのこした乾がいた。驚きのあまりじっと見てしまったが乾は自分の持っているカタログを見ていると思ったのか「これもどうぞ」と渡した後「茶でもいれるか」とまたバックへ引っ込んでしまった。そのあっけない姿に、おれは愕然とした。そうか、彼にとってはひとりのスポーツ推薦ふみにじって誰かの体を「健常」じゃないようにしたってそんなの忘れてふつうに店を構えるんだなあ。無免許でバイク運転してトラブル起こして少年院にまで行くような男だって、ふつうに店をかまえるんだなあ。  なんだかおれは悲しくなった。悲しくなって、どうしようもなくなって。渡された茶を乾にあびせかけた。  おい!! と弁髪の男は怒ったように言う。乾もドスの効いた声で「なにすんだ」と言う。友人はおれを守るように構えたが、おれも声をはりあげた。 「お前の椅子の下に転げ落ちた一円玉が、悪かったんだよな。おまえは、自分の機嫌が悪かったら人間蹴っ飛ばして入院させて麻痺をのこさせたって、ふつうに生きていけるんだもんな」  乾はほんとに分からないという顔をしていた。こいつは根っからの加害者なのだと思った。