いないいないおばけ

 女の方が恋を割り切るのは早いのだという研究結果がある。論文を読む機会など大学を出てからとんとないだろうと思っていたのに、刀剣男士たちの貪るほどの学習意欲のためにわざわざ雑誌を定期購読することになった。そこで見つけたのがその論文だった。  俺はその雑誌を放置してトイレに行っていた。戻ってくると近侍にしていた三日月がそれをふむふむと読んでいた。席に着いてまたパソコンと向かい合う。テキストはどこまで書き終えたのだろうか。  ……歴代の文学作品には男が女を捨てることばかりなのに面白い結果だ、と笑った。近侍に突然そんな話を振られた俺は何を答えるわけでもなく、今日の報告書をしたためていた。これが書き終わらないうちは今日は寝れそうにない。 「お前達の場合はどうなるんだろうな」 「……三日月ってそういう所の性格悪いよなあ」 「はっはっは、じじいだからな。嫌な役回りも買ってやろうという魂胆だ」 「……どうなるんでしょうかねぇ」  敬語になった俺に三日月はあははっと大笑いした。馬鹿者、恋に落ちた者は最後まで戦うのが素敵だとドラマでも言っていたぞ。そんなことを言われたってこればかしは仕方ない話なのだ。  本丸の世界が完全消滅するまであと1ヶ月。この馬鹿げた戦争が終わりを迎えることとなった。俺たち審神者は1ヶ月と1日後には審神者から一般人に戻り以前の職業に戻ることになる。世界は審神者が発生するまえの時間軸に戻り2198年から始まるのだ。生まれてからすぐに審神者になってしまった人間のための措置、らしい。  三日月の言う「お前達」とは俺と鯰尾のことだった。所謂恋人同士の俺達は本丸の仕組みのために恋心は消されてなんの関係も持たなくなる。元から本丸にいるのは分霊たちであるため、本霊に戻った時に記憶が混乱しないようにという政府の措置だった。とても合理的で疑いようもなく正しい方法に鯰尾は泣いていた。こんなことが許されるのですか、と。泣きじゃくる彼を見て俺の心にはどこか猜疑心が生まれていた。この涙は刀剣男士が主に向けたもので恋人にむけるものではないのではないか、という心だ。最低な疑問だった。その自覚はあったが消せるものでもなかった。俺は鯰尾の頭を撫でてキスをした。誤魔化すための苦々しいキスだ。鯰尾はバカと一言いって部屋に戻ってしまった。 「鯰尾は、本霊に戻りたくないかもな」 「ふむ、折れるのか」 「昨日の素振り見てるとなー」 「お主は何もしないのか」  三日月は全てわかって聞いてるのだろう。人に忘れられることが怖くて震えているこの手も、何かを残しておきたくて必死に撮っている写真とカメラも、鯰尾から貰った花を押し花にしたものも。全部全部政府に没収されてしまうと分かっていても最後の時までこの手に抱えているものは見透かされてるのだろう。俺の行動の矛盾には自分が一番嫌だと思っている。好きだからこそこうやって拗れるのだ。 「俺は主で、あいつは刀だから。今のこの気持ちが結局は本霊にとって要らないものだって言われてるみたいで、さ。結局、人間とは違うのかと」  何もしないのではない。何も出来ないのが正しいのだ。 「……。本霊の考えていることは俺にはよく分からんが、刀だからとそう切り捨てるものでもないぞ」 「はは、刀だけに?」 「ああ。刀だけに」  そんな会話をしたこともあった。定期購読していた雑誌は一纏めにして燃やしてしまう。本丸に残っているものは現世には持っていけないからだ。パチパチと木々が燃えて水分が破裂する音が耳を打った。その破裂音を聞く度に俺の思い出は黒く灰となって空に飛んで行った。写真も押し花も本も書類も全部全部全部。その中に消えた。火は最後に何も残してくれなかった。黒くなった地面を見てこの痕跡すらも消えるのだな、と勝手に悟った気持ちを持った。  そうして1ヶ月は早々に過ぎていった。鯰尾は最後までずっと泣いていたが俺の心配していたような折れることはなかった。握った手はとても冷たくてやっぱり人間ではないと思い知らされる。 「鯰尾。泣くな」 「だっで…もう、会えなぐなるんでずよ゛ぉ……」 「……ごめんな」  俺はもう何も言わなかった。手を離した。糸が切れる音がする。後ろはもう振り向けなかった。ゲートは長く暗く、まるで映画のワンシーンのようだった。後ろを振り向いては行けない。そう政府から言われていた。声が聞こえる。刀達が泣く声と、主と呼ぶ声が聞こえる。何重にも重なった声は数百以上もある本丸の刀剣達の声なのだろう。本霊はそれらの刀をまた自分のところに戻し声を聞くのだろう。そう思ったらなぜか涙が溢れてきた。俺が愛した鯰尾藤四郎はもういないのだ。俺の本丸にきた、あの鯰尾藤四郎という刀は!!  俺はなんて馬鹿な勘違いをしていたのか。刀は主を選べないのだ。鯰尾は俺のところにわざわざ降りてきてくれたのだ。そして出会った俺に心を捧げてくれたのだ。振り返って謝りたかった。もっと好きだよと伝えればよかった。後悔したまま俺はゲートを抜け切った。真っ白な光の中で俺は名前を呼ばれた気がした。 ・ ・ ・  現世へと戻ってきた俺は教師をやっていた。審神者についての記憶はだんだんと薄れてきた。俺はもうその審神者という言葉しか思い出せなくなっている。それでもまあいいかと仕事をするくらいにはこの世界は動いていた。審神者のことはもうこの世界では名前は出ない。元審神者たちが「そういえば」と記憶に残したまに言葉にするくらいだった。  ある日の昼休み。生徒が「先生」と本を持ってきた。今から200年ほど前の平成に流行った作品だった。人外と喋れない女性のラブストーリーだ。エンディングはハッピーエンドである。俺はそれが嫌いだった。こんな関係でハッピーエンドになんかなる訳ないと鼻で笑った。現実はもっと辛く苦しく、嫌なことばかりだと。人外との恋愛になぜか俺は本気でそんなことを思っていた。エンターテイメントとして受け入れることが出来なかった。  生徒は本を見せるとにっこりと笑った。 「先生はこの恋愛劇どう思いますか」 「……んー、なんかすごい全部さらけ出してるなって」 「そうですけど! そうですけど、なんか違います!」 「授業で扱うとしたら、まあなぜこの女性はこの選択をしたか、かなあ。被差別の人達のお話だからね」 「………。女性は、一時の恋愛って割り切ることも出来たはずなのにずっと好きになってしまったんですかね」  生徒はやけに具体的な言葉を使った。まさかお前もそういう経験があるのか?と聞くと苦笑いを浮かべた。 「粟口、女性は大事にしろよー」 「……先生こそ早く彼女見つけないと」 「あー、そうなんだけどなあ」 「俺の方は名前もネンでしょ? 一念岩をも通ずってことで一途貫いてますから」 「へー、そうだったのか」 「こいつらに負けないくらいには! もう100年以上も愛してますよ!」 「あははは、100年はすげーや」  粟口鯰は笑いながらその本の感想を今度は聞いてきた。正直あんまり好きじゃないと言うと理由まで聞かれた。俺は粟口の視線に貫かれて「ハッピーエンドになるとかずるいだろ」と呟いた。 「ずるいですか? でもこのクリーチャー、頑張ったんでしょう?」 「映画見たことあるけど女性の方も受け入れられる気持ちがあったんだ。でも、普通は…普通のやつはそんな風にエラ呼吸になれないんだよ。ずるいんだよ、こいつら」 「普通のやつ、か」 「んー?」 「いいえ、なんでもないです。なんか先生、置いてかれて拗ねてるみたいだなあって」 「……んなわけ」  何となくその言葉は痛かった。なんでもない振りをしてみたが粟口には俺の心がバレている気がする。たまにこの生徒は俺の事を、俺よりも知っているんじゃないかと思ってしまう。其れくらいに見透かされてる。ただ、それが嫌ではないから不思議だった。 「あ、授業始まりますよ!」 「やっべ、行かなきゃ」  先生と一緒に階段をかけ登った。3階まで上がってきて教室に入る。一緒なんてお熱いねえと誰かがさっき習ったばかりの古典の言葉で茶化した。先生の方をちらりと見ると何ともないような顔で前を向いている。それが少し寂しかった。  俺は席について教科書を取り出した。今日の授業は縁を結ぶことについての哲学的な評論だった。縁を結ぶ。そのことについて今の時勢は軽々しく見ているけれど本来のそれはとても重いものだ。袖を触れ合うことに多生の縁が出来るように、体を結んだことでその力はより一層強くなる。大きな犠牲を払っても出会いたかったのだから仕方ない。  俺の事はもう顔も名前も思い出せない主。年齢差は前より大きく縮んで同じ人間になれたのに、前よりもっと離れた距離にいる。とても、寂しいけれど悲しくはない。本丸の時のように切られたりしない。捨てられたりしない。心を消されて何も持たなくなることもない。俺は主をずっと好きでいる。それだけが確かだ。それだけで俺は今を生きていられる。刀などなくたって、兄弟と別れてしまっても。 「ごめんなさい、主。俺は悪い刀なので、あなたを忘れられなかったんです」