誰のお皿にも載らない一切れ

※シリアス+なんでも許せる方向け ママは電話の相手にすごく怒っていた。苛立ちのあまり持っていたマグカップを割ってしまうくらいには。そしてその破片をお兄ちゃんが拾って自分の宝物にするのに気づかないくらい怒っていた。 ママ、ママ。あたしの呼び掛けが聞こえないみたい。変なの。ママは疲れたように椅子に座ってあたしを見ていた。あたしはまだ何も話していない。その必要が無いから。ママはそれまであたしについて何も言わなかったのに今日だけは「あいつの前で、話せたらよかったていうの……?」と泣いていた。 ママはあいつが大嫌い。#名前2#・#名前1#という人が。ママを捨てていったからね。お兄ちゃんは#名前2#って人の顔を覚えてるのかな。あたしは全く覚えてない。なんとなく覚えているのはあたしを抱き上げていた大きな手のこと。そして「よかった」と呟く姿だった。 何日かたったあと、ママとお兄ちゃんとあたしとでとある家に行った。みんな黒い服を着てめそめそと泣いていた。この赤ん坊のあたしが泣いてないのに。不思議だった。 来たわよ、と告げたママは声が震えていた。あたしはママに抱っこされていたから誰がいたのか知らない。嗅いだことない匂いと声だけは聞こえてた。ジェイドが殺したんだって、あたしのパパを。ジェイドって誰か知らない。パパも、知らない。あたしが生まれてまだ2歳であたしとお兄ちゃんとママを捨てた人。その人が、死んで、今日は燃やされるらしい。きっとこれは罰なのね。悪いことをした人は燃やされて怒られるんだわ。だってお兄ちゃんが言ってたもの。燃やすことは綺麗にすることだって。きっとパパは燃やされて綺麗にされるのね。 あたしは燃やされた煙を見て笑っていた。よかったわ、綺麗になるんだわ。 ママはケーキを作るようになった。あのモストロラウンジというお店に仕入れるケーキだ。ギザギザ歯のお兄さんがケーキ作りを教えてくれた。ママはお世辞にも上手いとは言えなかったけれどモストロラウンジは絶対にママから手を離すことがなかった。 逆にお兄ちゃんはいつからかケーキを食べないようになった。ママの割ったマグカップの破片を自分のピアスとして加工し耳に埋め込むタイプを作っていた。ママは嫌がってたけどお兄ちゃんはこれじゃなきゃダメだ、と強く言った。 あとでお兄ちゃんからあの電話が離婚したパパからの電話だったことを聞かされた。ママはまるで仕方ないと言うようにかけられてきた電話に腹を立てていたのだ。さらにパパは、わたしが産まれたので離婚する決意をしたのだとも言ったらしい。男の人って本当にバカなんじゃないかな。 わたしが生まれるその時間にパパはきっと誰かを抱いていた。コンドーム越しに精子を吐き出してスッキリしていた。最低だと思った。 大きくなってからあの黒い洋服の集まりはパパの火葬だったこと、会話していた人から海の匂いがしていたことを知った。海。モストロラウンジ。パパの不倫相手、いや、パパの運命の人であるはモストロラウンジで支配人をやっていた人だった。 そのオムファタールことジェイド・リーチという刑務所にいた人が出てくると聞いて私はそれにわざわざ会いに行った。ジェイドはわたしをみて「#名前2#そっくりだ」と笑った。やせ細ったこの人をパパは愛したらしい。この人のためにパパは死んだらしい。この人がいながらパパはママとセックスしてわたしを産ませて泣いて喜んだらしい。わたしは、パパが大嫌いだ。燃やされるだけじゃ済まないと思う。 「あなたのお父さんのおかげで、僕、ここまで生きてこられました」 そう笑ったジェイド・リーチはとっても穏やかで、一緒に来たジェイドの片割れという人は「馬鹿じゃんなんでわざわざ陸のやつに恋すんだよ」と言って殴りつけ、上司だったという人は「そんな意地を張らなくてもよかったのではありませんか」と泣きそうな声で話しかける。わたしは彼に何も言えなかった。ころしてやる、と、思っていたはずなのに。 帰り道、ママが家の前でわたしを待っていてくれた。車から降りたわたしを抱きしめ、わざわざ助手席にいたフロイドという人に話しかけた。 「お世話になりました」 たった一言なのにわたしは何故か泣きそうになっていた。フロイドは「こっちこそ、色々と……うん」と煮え切らない返事をしてさっさと車を出させてしまった。 お兄ちゃんは今は家にいない。わたしとママと二人っきり。わたしの手元にはモストロラウンジのケーキのレシピが載っている本。 「だめね、私ってば。まだ何も許せてないの」 「ダメじゃない」 絶対に、だめじゃない。わたしは強く言い放って本も投げ捨てて自分の部屋に行った。ママはわたしを追いかけてこなかった。代わりに次の日の朝はごめんね、と書かれたチョコレートで書かれたクッキーが差し出された。わたしはそれを受け取って食べながら「これ、ナッツ入ってた方が美味しい」と返すぐらいしかできなかった。 出会いは店の中だった。お互いに欲しいものが同じで2人して商品を見つけたから大騒ぎ。結局ジャンケンをして向こうが商談を先にやる権利を勝ち取った。そしてまた別の日にも同じことをしていた。また貴方ですか。またお前か。そんな言葉は常日頃からあった。 俺たちはいつの間にか友達のような関係性になっていた。ジェイド・リーチです、なんて名乗ってきたけどあの有名なモストロラウンジの支配人の名前だ。うそつけと思ったら本当にそうだった。世界って怖い。モストロラウンジになんて一生入ることないと思ってたのに。それとあまりいい噂は聞いていなかったのもある。 そのイメージとは反対にジェイドはいいやつだった。誘われて拒否する理由もなかった。妻も息子もいるのに彼とセックスするのは世間一般では不倫というもので、罰せられてもおかしくない行為なのに自分はどこか冷えた感覚でいた。罪、罪か………。人を愛することと、愛するよう命令すること。どちらの方が罪になるのだろうか。考えてみても自分には思い浮かばなかった。 ジェイド、お前はどう思う? 俺の突然の問いかけにジェイドは首をかしげながら、ここはYESと頷けばいいですか、と聞いた。何も分からないのにとりあえず答えてくれる。良い奴だと思う。なんでもない、と笑った俺をジェイドは不思議そうに見ていた。 彼を抱いたあとモストロラウンジでいつもケーキを買っていた。いいんですか僕との不倫の証でしょう、とジェイドに言われたが俺はただ妻に渡してやりたかっただけだ。それを言うとジェイドはなんだか変な顔をする。 あなたって、変だとよく言われませんか。 そんなことはない。 俺の否定する言葉にジェイドはどうでしょうかね、と肩を竦めた。今でも陶器のかけらを持ってる人は変人だと思いますが、と言われて苦笑いになった。 ジェイドが好きであることと妻と家族を支えることは別に相反する話ではないと思った。母からそう言われたから、そうするべきなんだろうと思っていた。 俺に娘ができる、と知らせた時ジェイドはビックリした顔をしていた。僕のことは遊びですか、と聞いてきたがそういう訳でもない。 「娘が欲しかったんだ。母さんの夢だったんだよ」 俺の言葉にジェイドは唖然として「それで、お義母さまの夢は全て叶ったんですか」と聞いてきた。 「ああ。もちろん」 俺は頷いた。ようやくジェイドにプロポーズできる、と言ったらジェイドに抱きしめられた。馬鹿です、あなたは。とそう言われた。確かに俺は馬鹿なのだろう。俺は自分のことをようやく決められる権利を得たのだから。 息子は俺のことをよく分かっていた。俺たちはきっとそういう一族なのだろう。母親の願いを叶えてやらねば、と思う習性がある。母親はいつだって自分にとって神様のように上にいてあれをしろ、これをしろと命令するのだ。 俺を殺しに来たという息子はナイフを構えて俺を殺しに来た。まあそうなるだろう、とは思っていた。妻の苛烈さは覚えていたし息子が何かの破片を持っているのを見て納得してしまった。俺の場合はティーポットだった。投げつけられたその破片を今でも大切に持っている。変人だ、とジェイドは言っていたが俺たちにとってこれは呪いと変わらない。 俺の心臓に深深とナイフを刺した息子は冷めた目付きで俺を見ていた。まだ死ねてないぞ、と声をかけようとしたのにそのまま去ってしまった。俺は倒れたままだくだくと血が流れていくのを感じた。そうか、死ぬのか。俺は父親を殺すことはついぞ無かったが息子には大きな罪を負わせてしまった。どうしようか。俺が薄れそうになる意識の中で誰かが近寄るのが見えた。それが誰かも確認できないまま意識は途切れた。 家に帰ると、愛する人が死んでいた。こんな時ばかりは自分の習性が嫌になる。彼を殺したのは彼の息子だ、と分かってしまった。刺されたナイフとそっと置かれた破片を見て理解してしまった。 どうすればいいのだろう。彼は、息子が犯人であることを望まないだろう。母親の恩讐に囚われる子どもをこれ以上増やしたくないだろう。それならいっそのこと。 限界状態の思考のまま僕は#名前2#の胸にまたナイフを突き刺し、警察に電話をかけた。ジェイド・リーチが、人を殺した。アズールもフロイドもすぐに僕を助けようとしたけれど全て断った。相も変わらず善人の心配ヅラをしたカリムさんも来た。ジャミルさんからはさっさと頷けばカリムがうるさくなくなる、と言われたが僕は笑って断った。あの男の子を守らなければ、と思った。 陸の人間を捌いたという理由で刑務所は陸のものを使うことになった。映画で見たような円柱状の水槽の中に入れられる。これで誰かが迎えに来てくれたら本当に映画そのものだと思った。残念ながら現実は映画ではない。僕は水槽にいられるという理由でまだ喧嘩などすることもなく刑務所で時間を過ごした。僕がここにいる間にアズールたちは#名前2#の家族のことを助けてくれていた。面会に来る度に子どもたちのことを聞く僕にアズールはめんどくさそうな顔をしながらも話してくれた。僕はそれを聞くことを唯一の楽しみにしていた。長いようで短い年月がすぎて僕は出所することとなった。親族としてフロイドに連絡が行くだろう。外を出るのは、少し、怖かった。いや、魔法で人間になると決めたあの時よりも何倍も怖かった。人殺しという不名誉を被ったことではなく、#名前2#がいない世界に直面することが怖かったのだ。 人魚に伝わる話を知っていますか? 人魚に伝わってるんだから俺が知ってるはずないだろう。 ……ロマンチックの欠けらも無いことを、いいますね。まあいいです。人魚は人間よりも体温が低いんです。だから、愛することをこんな風に言うんですよ。「私の唯一の熱」他の誰でもない、その人だけに感じる熱を僕らは大事にしているんです。 ………本当に? はい。もちろん。 #名前2#が生きていた頃、そんな小さな会話をしていたことを思いだす。僕にとっての唯一の熱が消えた今、自分はやせ細り乾燥し今にも崩れ落ちそうだった。刑務所の外に出て#名前2#の娘だという彼女に出会い、僕は再び熱を感じた。 彼が子どもを産ませていたこと、妻を持っていたこと。色々と思うこともあるのに、僕は彼の面影が繋がれていたことに僕はただ、感謝してしまったのだった。彼女は僕を嫌がるだろうと思っていたのに。僕を見て彼女は泣きそうな顔をしていた。 僕は、あなたのお父さんを愛して、愛されて、幸せだった。