あなたとの夜はどこかしら
「ここの主人殿はいるか?」 「えっ、おりませんが……」 「なんだと? これじゃそのまま伝えた俺たちの方が怒られる。どこに行ったかも知らないか?」 「ああ、それなら……。四条通の方へと」 「まことか?」 「はい、女がいるとかなんだとか」 下男同士の会話を式神に聞かせていた。奴を置いて先に出発したところで人の足で牛に追いつくなど造作もないと思うが下の者の信頼をなくすのは困る。稼いでいることと貴族であることは違うのだから。仕方なく道満は人の口で話を聞いてようやく出発することにした。晴明ならこんなふうに家を尋ねては行き先を聞くということもないのだろうな、と自嘲気味に窓の外を見ていたら血の匂いがしてきた。よく知るそれに道満は慌てて顔を外に突き出した。道の奥、二本目の交差の左から血の匂いがしていた。車に乗っている方が遅くなる。道満は歩き続ける車から降りて「家に戻っていろ」と命令した。車に乗るということは貴族としては大事な家格を示す行為である。それをここで終わりにされるなんて。従者はびっくりして「は、よいのでしょうか?」と聞いてきた。道満の蔑んだような視線には何も言わずに牛を連れていくしかなかった。 車が後ろを向いたのを確認して、道満は塀の上にのぼるとそのまま駆け出した。人間離れしたような動きでどんどん距離を縮めるとそのまま血の匂いを充満させた場所に降り立った。 「#名前2#、何してるんですかお前は」 「女のところに行ったらなんか突然お前の護符が反応して回転して家を飛び出してきたところ」 だらだらと頭から血を流している男に道満は近寄るとべしりと札を貼った。傷はこれで大丈夫だ。 「お前が気づいてないだけであの女はお前のことを恨んでるということではないですか」 「まことに!? おれ、なんかしたのかな……」 まさか人間の悪意を感知して人を動かすような札などあるはずもないのに#名前2#はしっかり信じ込んで道満に「ありがとう」と言っている。 「礼を言うくらいなら気をつけてくだされ」 「ははは、すまん!」 道満は#名前2#が出てきたであろう家の方を見やった。男が突然回転しながら飛び跳ねたのだから驚いただろう。なにか畜生が憑いてると勘違いされているかもしれない。そこまで行くと道満にはとても不便だった。#名前2#へついてる嘘がバレてしまう。人の噂と口というものはなにせとても厄介なので。 道満はおそるおそると外を見に来た侍女を見つけるとおそろしいほどの力で彼女を引っ張り出した。顔が、とまだ慌てるその女に道満は札を飲み込ませた。 「どこの貴族の娘か忘れましたが……、まあ、#名前2#に手を出すなんて相当の間抜けでしょうし。消えても構わないんですが、#名前2#の評判が落ちても困りますので」 「何するのです!!」 「呪です」 「しゅ……?」 「まじないですよ。悪意と敵意を込めておりますが」 なんでそんなものを、と侍女は道満を見つめる。噂に聞く蘆屋道満がこの男だということを彼女は気づいてないらしい。まあそれも仕方ない。陰陽師を利用するのは上達部などの貴族たちだ。ここにいるのは、京に上ったばかりか立ち寄っただけの貴族か……。どちらにしても道満にとっては邪魔ということになる。 「あなたに今飲ませたものはあなたの周りを不幸にするような呪いをかけておきました。大丈夫、あなたの家族に手を出させたくないのなら思う存分働いてここの女を陥れなさい」 侍女は泣きながら頷いた。いい気味だ、と思った。#名前2#に手を出すなんて馬鹿な女だ、と思ったところでそろそろ#名前2#のこと以外を考えるのはやめようとも。 外に戻ると傷がいえた#名前2#が烏帽子を被り直していた。教えてくれよ……と#名前2#は泣いていたが#名前2#の形の良い頭を全部見るのは久々だったため黙っておいたのだ。それを言うと怒られるので「すまない、闇夜でよく見えなんだ」と笑った。こんなに月の光があるのに……と#名前2#は言い下がるが勝手に女を作ろうとした罰である。それにしても。女の部屋に入ろうとするまで呪いが発動しないのはやはり困る。後始末が面倒だし、なにより#名前2#にもしもののとがあれば道満は怨になる自信があった。 「#名前2#、くれぐれも気をつけてくださいね」 「はいはい」 #名前2#は貴族だ。いつかは女と一夜を共にして子を作り家を繋げようとするだろう。出世欲がないとはいえ、家を継ぐことは当たり前に考えているはずだ。だから、今こうやって道満の我儘を貫き通せるのは期限が決まっているということでもある。 「#名前2#、車は?」 「お忍びできたからない」 「わたしもありません。二人で歩きましょうか」 「ぐぇっ。面倒だけどしゃあないな」 だから今だけは二人でこうして他愛もない話をしながら歩くことを許してほしい。