大人は思ったより窮屈だ

 学校で「啓蒙時代」という話を学んだ。先生は楽しそうに人の名前をあげては、彼は○○について考え**について唱えたのです~と教えてくれた。暇な人はいろんなことを考えられるのだ、と母が言っていた。母もぼくを育て終わってからようやく自分の時間をとれたのだとか。  話を半分聞きながら空を見ていたらすごくすごく青いことに気付いた。うわ、青い。思わず口を開けて見てしまった。 「そこ! 起きてるのか」  先生の声が飛んでくる。だれのことだろう、と窓の外を見ていたら横からつつかれた。そっちを見るとクリストファー・ロビンがぼくに小声で話しかけようとしていた。ああなるほど。ぼくのことだったのか。 「……すみません、ちょっと昨日寝るのが遅くなってしまって」 「話を聞けていたか? テストでもしてみようか」 「あーー、そんなお時間をとるくらいでしたら僕たちにこんなに天気のいい日に中で授業を中でやらなきゃいけない理由を啓蒙してほしいのですが」  ぼくの言葉にみながクスクスと笑った。ぼくの名前を呼ばないマクミラン先生の名前を呼ぶと先生は怒った顔でぼくのほうに近寄ってきた。ああ、これは母にも怒られるパターンだろうなと思ったら横でガタンと立ち上がる音がした。 「せ、先生! あと2分で授業が終わります!」  必死な声だった。  授業あとクリストファー・ロビンにありがとうねーと声をかけると「もうあんなのやめなよ!」と怒られた。 「怒られちゃった」 「怒るよ。どうして先生にあんなこと言うの?」 「だって先生、ぼくの名前も呼ばないで言うこときかせようとするから」  母さんはぼくの名前をいつも呼んでくれるよ。そう言ったらロビンはふふふっと突然笑いだした。 「それだけであんなことしたの?」 「あんなことってなんだよ……」 「ううん、君って面白いよなあって思っただけ」 「? よく分からないけど、ありがとう」 「分からないのにお礼を言うんだね」  変かな? ううん、変じゃない。  クリストファー・ロビンはまだ笑ったままぼくの隣にいて、今思うとあれは学校で初めて友達をつくった瞬間だった。  それから二人でよく遊ぶようになった。クリストファーはぼくが知るかぎり、一番かしこい同い年だった。そして謎の友達の話をよくしてくれた。ウィニー・ザ・プー、ピグレット、イーヨー、ティガー。話によく出てくるのはこの4匹。ぼくは見たことないけど、とっても大事な人たちなんだろうなというのはよく分かる。  でももう会えないんだ、とクリストファーは言った。 「会いに行けばいいじゃないか、遠いのかい?」 「ううん、遠くない」 「ならなんで」 「なんでだろうね」  クリストファーだって分からないのにぼくに分かるはずがない。折角の友達と別れることがあるなんて可哀想だと思った。代わりにぼくがクリストファーの手を握ってあげようと言うと、クリストファーは顔を真っ赤にさせた。 「僕はもう赤ちゃんじゃないんだから、そんなのしなくていいよ」 「? 赤ちゃんじゃなくても手を握るよ」  クリストファーはたまにおかしなことを言う。ぼくがそう言って笑うとクリストファーは「#名前2#の方が変だよ」と言い出すのでおあいこだ。  クリストファーとは一緒に成長していったが、あいつは顔がやけにハンサムだったのでどんどん女の子たちからの人気を高めていった。最初の頃はウィニー・ザ・プーの話もしてたのに、今ではすっかり聞かなくなってしまった。彼らの話を聞くのは楽しかったのにつまらない。あいつの口から出てくるのは人からいかに好かれているかと自分の将来についてに変わった。人の憧憬を集めるくらいなのだ、クリストファーは確かに力の備わった男だった。けれど、それはおれが友達として好きだったクリストファーじゃないと思ってしまった。友達のくせに、薄情なことを言ってしまう。そんな自分が嫌だったけれど、だんだんとクリストファーの隣にいるのが苦痛になってきたのだ。  大学に行くとなって、おれはクリストファーに嘘をついた。二人で同じ大学に行くはずだったが、ひとり国を出ることにした。母からは「本当にいいの~?」と言われたけど、おれは無視した。クリストファーくん絶対恨むよ~とも言われた。あいつが人を恨むような人間じゃないのは母もおれも分かっている。裏切ったと知られれば、傷ついて悲しんでしまうだろうなと思う。 「でもさあ、おれが我慢してまで傍にいる理由ってないじゃん?」 「そりゃあそうね」  母はうんうん、と頷いておれの背中を押した。おれとクリストファーの道は並んだのではなく、交差してただけなのだ。そう言い聞かせて荷物とともに列車に乗り込んだ。この街を出て外に行って、国を出て、自分で生きる道を少しだけ考えてみる。楽しそうだなあ、と笑うおれは残されたクリストファーがどんな顔をするのか考えることもなかった。