なめらかな善悪の濃淡

 その事件の担当はわざわざジュディが指名された。珍しいこともあるもんだ、と思っていたら署長は「向うさんがオス恐怖症らしくてな」とファイルをくれた。  ジュディとその中を見てみるとミア・ティガーレという少女の写真と、事件の報告書があった。ストーカー被害らしい。トラ娘だろう?と俺は思ったがジュディはメラメラと瞳に炎を燃やした。 「ぜーーーっっったい許さないわ、女の子を脅かしてる卑劣な犯人なんか!」 「はいはい、そんな力込めて倒れたりするなよ」 「おい、ニック」 「はーい」  ジュディと部屋を出ていこうとしたら署長にぐいっと首根っこを掴まれた。うん?と思ったら署長はニッコリと笑って「聞こえなかったか? 彼女はオス恐怖症だ」という。 「はぁ……。でも、俺はジュディの相棒です」 「わかっとる。だからお前はまずこれを着るんだ」  ほら、と渡されたのは妊婦が着るようなゆったりした服とぶかぶかのズボンだ。女性らしさを強調させたいのかホワホワなカラーリングである。 「あのう……」 「向こうの執事の命令だ。必ず着てから行け」 「ニックーー??! 早く行くわよー!!」  ジュディが呼んでいる。早く行かないと怒られる。署長はまたニッコリと笑った。 「いってやれ、ニッキー捜査官」 「……あーい」  ミア・ティガーレは希少種だとされるバリトラらしい。大人になっても小さな体なので彼らはズートピアのような発展した社会に至るまでに数を減らし、今でも彼らを無理やりに手に入れようとする組織もあるとのことだった。嗜好品として生き物が捕まる事件は未だに起きている。ニック……いや、ニッキー捜査官は緩く被ったニット帽からファイルを見ながら「こいつのせいで俺は女にならなきゃいけない」と文句を言う。 「ミアはオス恐怖症よ? 配慮は必要だわ。本当は警察の中でも女性警察官は増えるべきだけどね」 「そりゃあ分かるけど!」  ニックの言うことはただのワガママである。彼もそれは分かっていた。キツネを嫌がる偏見があるように、オスに対する偏見(またはトラウマ)が生まれてしまうのは仕方ない。ズートピアがオス社会であると言われればそれまでだからだ。ミアもまた、トラの繁栄を願ってのことかアムールトラのオスとつがっているらしい。まだ18歳の少女が既に母となる準備をしているのは不思議な気分だった。  彼女はいわゆる母胎役であり、ベルトラの精子をわざわざ旦那が取り寄せているらしかった。ジュディはうへぇ、と顔を顰めたが種の保存としてこういうことをしている動物たちもいるのだ。 「そんな顔するなよジュディ。種族がいっぱいいるんだ。純粋な種を求めるやつらがいたってしょうがない」 「だからって……」  そう言ってジュディはニックを見つめた。女性らしい格好になった彼を見て3秒後、ぶふっと吹き出した。 「可愛いわよ、ニッキー」 「うるさい」 「ほら、着いたわよ。あれがティガーレ邸!」  パトカーを壁際に停めて門の横にあるチャイムを鳴らすと「お待ちしておりました」と若いオスの声が聞こえた。オス? ジュディたちは疑問に思いながらもまたパトカーに乗り入口まで運転してきた。エントランスには既にミアとおぼしきトラがいた。  ミアはトラたちの中でも「守られるべき存在」と思われているのか、まるで姫かとまごうほどのフリルのついた服とオスたちを連れて現れた。オス恐怖症とは何だったのか。そう思ったがよくよく見ると、オスと思った彼らはメストラのスーツの着た姿であった。いや、1番奥にいるやつだけトラじゃない。あれは……犬? たしか、ジャーマンシェパードだ。警察にも何匹かいるタイプ。 「ありがとうございます、私のためにここまで来てくださって」 「いいえ。困っている人を助けるのは当たり前ですから」 「ミア・ティガーレと申します。此方にいるのは旦那様が用意した使用人たちで、奥にいるものがお話したボディガードです」 「#名前1#さん、で合ってますか?」 「はい」  ミアの微笑みは肉食動物とは思えないくらいに穏やかな笑い方だった。  エントランスに並んだスーツの厳ついメスたちは旦那に言われて従っているだけであり、本来はミアではなく旦那の方に着いているのだとか。部屋にまで着いてきたのは#名前1#のみで、あとのスーツたちは全てどこかに散らばっていった。ニックはマフィアの警備みたいだな、と思っていたがさすがに言葉にするのはまずいと思い我慢した。 「本来なら、私が何とかしなきゃ行けないんですけど。大事になってしまって……」 「そんな……!! ストーカー被害を甘く見てはいけません! プライバシーが侵害され続けることも、誰かに監視されて生活することも辛いと思ったら声を上げていいんですよ!」  女性警察官らしい言葉だ。昔の自分なら綺麗事じゃないか、と蹴飛ばしただろうが今ではジュディのその言葉に賛成だし、事件を解決しなきゃと思う。ミアはゆっくりと口角を上げた。トラとしての鋭い歯が見えた。 「ありがとうございます……」 「今回担当するのは、私、ジュディとこちらニッキーです。よろしくお願いします!」 「ニ、ニッキーですわ」  女性らしい言葉遣いなど全く分からない。適当にしゃべったらミアはふふふ、とお嬢様のように笑った。 「あの、わたし、ニュースでニック・ワイルドさんの名前は聞いてて、ふふっ」 「……!! ニッキーですわ、よろしくお願いしますわ」  適当な女性っぽい言葉を話したら彼女は耐えきれなくなってあははは、と笑いだした。ジュディもニックもリラックスした気持ちになれて一緒に笑ったが、#名前1#だけはむすっとした顔のままだった。  ミアから着替えてもいいと言われたが、ファイルにはほとんどのオスが怖いと書かれていた。なら、捜査の邪魔にならないようこの服を着ているのも仕方ない。スカートじゃないだけマシだ。ニックはできるかぎりお淑やかな姿でいるように意識した。それに、変に嫌いだ嫌だと言っているとジュディが怒る。今のズートピアはセクシャルな差別にも厳しい。 「それで……お辛いとは思うのですが、話を聞かせて欲しくて。ストーカーとは一体どのような……」  ミアは言おうか言うまいか迷ったような素振りをした。#名前1#の方に視線を送り、そしてまた手元に戻す。ボディガードの方は知ってか知らずかカチャカチャと何か準備している。振り向いた手には手紙なようなものがあった。それを見てミアは話すしかない、と観念したらしい。重たい口を開いた。あぁ、これは。面倒くさそうな事件だ。大事になってしまって…という彼女の言い方の違和感もよく分かる。  ジュディは少し感情的になっているからなあ、と思った。女性警察官の少なさに、被害者の現状に、辛くなる気持ちは……ニックには分からないけれど想像はつく。ある意味しょうがない話なのかもしれない。 「実は……」  ミアが話してくれたのは家の中に仕掛けられていた盗聴器と、家の中にいる時の写真が送られてきたこと。そして、彼女へ送られてきたこと脅迫状などを教えてくれた。 「最初、私は夫を疑いました」 「ふむふむ。………って、ええっ!?」 「彼とは種の繁栄を願うための結婚でしたし、彼は私と会ってくれなかったので」 「会って、ないんですか……?」 「1度も」  ミアは泣きそうになりながら微笑んだ。 「そのことに関しては私の方から説明します」  ぬっと大きな体を割って入らせたのはボディガード兼執事とかいうオスである。#名前2#・#名前1#です、と自己紹介をしてから彼は1枚の写真を取り出した。そこには毛並みのきれいなトラの前足があった。 「旦那様から送られてきたのはこの1枚のみです」 「えっ、これだけ!? 嘘でしょ、結婚相手にですよね!?」 「はい。おかしいと思われますが、逆に言うと向こうにとってはその程度のことなんです」 「程度って………」 「家族を作るための結婚ではない、ということです」  淡々と語る男の表情は読めない。どちらにしろ犯人はいなさそうだけど用心するに越したことはない。ニックはそういうオスもいる、と割り切れてるけれどジュディにはこれまたショックだったらしくフラフラと体が揺れ始めている。 「そんな、結婚………」 「ジュディ!」  ジュディの頭はパンクしてしまったように倒れてしまった。  ジュディが倒れたとあっては捜査もできない、と戻ってもよかったがここに来るまでの時間も大変だった。ゲストルームはいくつもありますから、とミアが声をかけてくれなかったらどうなっていたことか。ジュディの介抱のために部屋にいたら、窓の外にあのスーツのトラたちがいた。本当に警護のために連れてこられているらしい。まあ、家の中の写真を撮られたり盗聴器が仕込まれているのだから当たり前といっては、当たり前なのかもしれない。  ジュディをベッドに横たわらせるとちょうどよいサイズだと気付く。ミアはジュディより少し大きいくらいだから、ゲストに来るのもそのぐらいの身長なのかもしれない。ボディガードたちはニックのことを調べようとゆっくりと近づいてきたが、それを止める声が聞こえた。 「お疲れ様です、ここには私たちが来ましたからどいてもらって大丈夫ですよ」  ミアだった。後ろには#名前1#も従っている。ジュディはまだ寝たままだ。  最近は別の事件の捜査で忙しかったところに、長時間のドライブと、未知のメスの世界にぶつかって体が休みを欲しがっているのかもしれない。 「なあ、あんたらの関係って何だったか聞いてよかったのか」  ニックの飾らない言葉にミアはあっけらかんとした顔をしていたが、突然吹き出した。 「ご、ごめんなさい。その姿から意外と低い声が聞こえて耳がビックリしてしまって」  言われてみれば今はニックではなく署長に渡されたニッキーの格好である。やらかした、と思ったがミアは声を出して笑い続けていた。#名前1#はミアの体をさすって真面目な顔を崩そうとしなかった。 「ん、………。ぁれ……。あっ、あ、あああー! ミアさん! #名前1#さん!」  ミアの笑い声でジュディが起きた。現場はカオスなことになっていた。はっとした顔で起き上がったジュディは自分の置かれた状況を考えて顔を青白くさせた。ジュディはベッドから飛び降りて深く頭を下げて謝罪していたがミアはあっけらかんと笑っている。さっきまでとは印象が随分と違っていた。 「はぁーー面白かった」 「ミア様、そろそろ説明してもよろしいのでは」 「あっそうよね。いけないいけない」  ミアは写真を何枚かニックたちにみせてきた。 「貴方たちのおかげで無事に! ストーカーを捕まえられました~!」  どんどんぱふぱふ。気の抜けた音が#名前1#の持つラッパからする。ニックたちは情けなくも何を言われたのか分からず突っ立っているだけだった。  どうやら、事の発端は#名前1#にあったらしい。 「彼の方にね、ストーカー被害があったんです」 「えぇっ」 「#名前1#さんに……?」 「変ですよね」  ミアがジュディの言葉を遮った。そしてジュディに向かって微笑んだ。 「わたしは自分が母親にならなきゃいけないことも、ちゃんと最初からわかってたんです。それが使命と思ってましたから。それで、幼なじみを連れて行きたいと旦那様にお願いしました」 「それで、彼は……」 「執事としてきてくれました。でも、彼、私が言うのも変ですけどハンサムでしょう?」  ミアはふふっと笑うと「それに、彼、動物に対してへんに気持ちを引きつけるんですよ。一匹、それで追いかけてきてしまって」とアクセサリーを外しながら教えてくれた。 「はー、これ重くて」 「あの、もしかして俺が女装させられたのって……」 「はい。向こうが#名前2#の周りに女が来るのを嫌がるので」  笑顔でひどいことを言う。オス恐怖症としたのは本当のようだが、それをあえて使うことでメスを呼び寄せたらしい。ボディガードたちだけでは反応が悪化するだけ尻尾を全くつかませてくれなかったため、ジュディというスターを呼び出したのである。ジュディが倒れたのは予想外だったが、ボディガードたちを追い出して警察のメス二匹と部屋に閉じこもったという情報により嫉妬しいのストーカーは登場した、というわけらしい。 「今回は私たちの作戦に巻き込んでしまって申し訳ありませんでした」  しっかりと頭をさげた二匹にジュディは「事件が解決したならこれくらい~」と言いかけてニックの方を見た。ニックはため息をつきながら「解決したのならよかったです」と笑ってみせた。勝手に囮にさせられたが、別にそれに怒っているわけではない。気になるのは、ストーカーを「HE」と呼ばれていたことだ。 「……捕まったストーカーは?」 「もうすでにボディガードの皆様が警察へと送り届けていることかと」 「仕事がはやいことですね」 「旦那様はとにかく気にかけていましたので」  ニッックの女装事件は知らない間にそうやって終わった。  ティガーレ邸の捕り物は大々的ニュースとなったが、やはりミアの方にストーカーがついていた、という体で話が進んでいた。被疑者のストーカーはやっぱりオスで、#名前1#と同じシェパードだった。ジュディもニックも何も言わなかったが、事件の隠し方はすこし思うところがあった。ティガーレというオスがこの事件を醜聞と思っているのかどうかはわからない。ただ、オスがオスを好きであるという事件がこんなにも間違った話で騒がれ、怖がられ、嫌がられるという話が不思議だった。 「ねえニッキー」 「……ニックだ」 「私、こういう事件の隠し方って好きじゃないの」 「ああ、そういうと思ってたよ」 「事件は解決したのに、なにかしらね。このもやもやって」  それはニックも答えることができなかった。