黄昏、坂道、遠い影

※ジョーカーネタバレあり ※not夢END採用  テレビの映像で、昔に見かけた少年を見つけた。歳をとっていたが彼が少年だったのは間違いない。彼はよく笑う子だった。あとからあれは精神疾患の一種なのだと知った。坊やの名前はアーサー・フレック。気の狂った母親に養子縁組をされた哀れな坊やである。  彼と過ごした日々は短い。母親の方が精神疾患の病院にかかった間の少しの日々を俺が面倒を見ていた。ペニーとは特に何かあった訳では無い。ウェイン家に同じ頃務めていたが、ペニーの暴走を止めようとして階段から転落、片目が見えなくなりウェイン家を辞めることとなった。  なんの縁か、ペニーは俺に子どもを預けていったのだった。片目を隠している俺にアーサーはけらけら笑っていた。笑わなくていい、と言っても彼は笑っていた。そのうち俺は諦めて彼となにくれとなく過ごしていた。痩せっぽちの少年は固いものは食べられなかった。わざわざ柔らかくしたり、フルーツを買ってくるとアーサーはまた笑っていた。  アーサーの体はぼろぼろでほとんど食べさせて貰えないようだった。テレビを見る時も彼は何が面白いのか分からずとりあえず俺を見てから一緒に笑うなどしていた。俺が彼に触ろうとするとビクリと震えた。何もしない、と断言しても彼の体は強ばったまま。彼を抱えて俺はゆらゆらと揺れた。音楽を流した。レコードから何にしようかと思って   を流すことにした。華麗なる浮浪者のエンディングテーマだ。ふらふらと浮浪者に戻る彼のように俺も踊り始めた。俺がステップを踏みアーサーを動かす。アーサーは段々と俺の目を見るようになった。そしてあはははと笑った。目はすぐに曇り泣きそうになっていた。  シャワーにアーサーを連れていくとすぐに外に出てきた。体は濡れていない。そしてやっぱり笑っていた。どうしたんだ、下着でも忘れたかと聞くと「あそこで何をすればいいの?」とか細く聞いてきた。笑いながら途切れながらそれでいてとても哀れだった。俺はアーサーを抱えると一緒に浴びようかと笑った。  熱い湯を浴びせるのは怖かろう、とぬるくしたら「皆こうやるの?」と聞いてきた。 「ここから段々と水を熱くさせる」 「ふうん」 「火傷しないようにな。自分で覚えるんだ」 「そうなの?」 「ああ。だからこうやってゆっくり熱くさせる」  アーサーは本当に何も知らない子だった。  夜寝る時のアーサーはとても静かだった。ふたつもベッドはないので俺がアーサーを抱えて眠っていた。小さなアーサーの体は骨ばかりが突き出て抱えるにはちょっと触り心地が良くなかった。  アーサーは俺に気にいられようとしていたのか、あんまり笑いすぎたあとはひとりで泣いていた。ごめんなさい、捨てないでと笑いながら紙を出してきたこともあった。この子がどんな生活をしていたから俺は聞いていない。ただ、ここにいる間は幸せになるように俺は懸命に抱きしめていた。そうしてペニーは俺からあの子を引き取り彼はじゃあね、とさよならをした。彼は俺ともう会えないことをわかっていたんだろうか。その後のことを俺は知らない。子どもを引き取り育てることはこのご時世大変難しかった。富裕層は自分の金を守り、貧困層に対して唾をはき社会のゴミ共めと捨て台詞を言うのだ。みんなみんな他人に無関心。だがこの世界をどうすればいいかも分からない。  俺たちは負け犬なのである。  俺はちょっとずつ疲弊していた。連日連夜クラウンをみんなが信仰している。その弊害かなんなのか、俺のようなやつの店にもひどい犯罪が起きるようになった。めんどくせえ、と思いながらもようやく建てた自分の店である。ここにしがみつくしか無かった。  そんなある日、1人のクラウンが俺の店にきた。クラウンの面を被り茶色のだらしないコートを着ていた。 「どうぞ」  客の前だと言うのに疲れた声が出てしまった。クラウンは何も言わずにカウンターに座りメニューを開いた。すっと指でエスプレッソを頼む。 「はいはい」  俺が準備をするあいだ、クラウンは俺をじっと見ていた。前に置かれたエスプレッソを、面をつけたままどうやって飲むのだろうかと思ったら男はひひひひっと気味の悪い笑い方をし始めた。 「……。なんだい、あんた病気なのかい」  クラウンが頷いた。 「そうか……。そりゃあ災難だな、ゆっくりしてくれ。エスプレッソはそんなにすぐ冷えるもんじゃない」   クラウンはひとしきり笑ったあとふう、と深呼吸をした。そしてすっとやけに軽く面を取った。そこにいたのは巷を賑やかすあのお騒がせもののジョーカーだった。初めて間近で見るその瞳は幼い頃に見た彼によく似ていた。 「……。アーサー?」 「#名前2#さん」  アーサーの目から涙がぼろぼろとこぼれ落ちた。メイクが崩れて少しずつ下の肌が透けて見えるようになる。俺の名前を呼びカウンター越しに抱きついた彼は昔と変わらずやせっぽちでジョーカーとして過ごす時はあの洋服で誤魔化していたらしかった。 「会いたかった、ずっと。探してたんです」  アーサーが俺に抱き着いてきた。思わず引きはがすとアーサーは子どものころのように俺をあの空虚な目で見てきた。とっさにこの子はペニーからも愛されないまま大人になったのだろうかと思った。この子は。あの後、どうしていたのか。 「すまない、今、コップを置く。そっちに行くから」  アーサーはおとなしく待っていた。彼の前に来て今度こそちゃんと腕を開くと中にすり寄ってきた。そしてわんわんと泣いた。俺は今までこの男をテレビで見たときに笑っている姿しか見たことがない。いつも笑顔で人を小ばかにして。 「アーサー、おかえり」  ふとして出てきた言葉にアーサーは俺にかみついて「ただいま」というのだった。