良しというまで待ちなさい

 姉が結婚した。よく分からない男とである。母も父もいない俺たち姉弟は今日までお互いを支え合って生きてきた訳だがそれも終わりである。姉は今度から横にいる男の人を支えて生きていくのだ。それが寂しくもあり、そしてなんだか嬉しくもある複雑な気持ちだった。  姉にとって俺は弱い弟だっただろう。体も弱く泣き虫でどうしようもないやつだった。すごくいじめられたし姉はそんな俺を守ってくれていた。母親代わりと言ってもいいくらいに。だがもう俺も大人である。いい歳して姉に世話になっているのも恥ずかしい。病院で倒れた時、真っ先に思ったことは姉に伝えないでほしいということだった。  現実は無情である。再び目を開けた時に入ってきたのは泣きそうになっている姉の姿だった。 「姉さん、来なくてもよかったのに」そう言いたかったのに口が動いてくれなかった。もごもごと動けない口をみて姉は「喋らないで」と指を当てる。その瞬間、突然殺気を感じた。  義兄だった。ジョン。この人の名前を検索した時にSNSすらも引っかからなかった怖い人だ。いじめられっ子の勘があるので言わせてもらうとこの人絶対ヤバい人だ。人殺したことあるんじゃない? ぐらいの殺気なのだ。遊びじゃなくガチのタイプだ。布団をかぶりたい気持ちと動かない体で涙した。あああ、逃げられないって最悪な気分だ。  姉はニコニコと笑いながら「またすぐにお見舞いに来るからね」と言っている。やめてほしい。姉のこと大好きで仕方ないこの人を連れて来ないで欲しい。弟すらも異性にみて「2人っきり?? はあ??」みたいな雰囲気かもしてる人である、怖くて無理だ。でも、口は動かないし俺の必死の視線の訴えは姉に伝わらない。  翌日、理由も分からないのだが、恐れるべきことに義兄がひとりで来た。びくびくと震えていた自分だったがジョンは何も言わずにテキパキと俺の容態を確認した。まるで死んでいる部位がないか確認するかのような仕草だった。 「大丈夫そうだな」  それは小声だったがしっかりと聞き取れた。ありがとうございますと返事はできなかった。じっと見つめたら彼はまた俺を見つめて何か確認しはじめた。その仕草はまるで獣が会話もせずに仲間を気遣う様子に見えた。  その後もジョンはよく来た。この人いつ仕事してるんだろうと思ったが、姉曰く金があるらしい。(もっとオブラートに言っていたが)ジョンは来る度に俺の様子を確認して「大丈夫そうだな」と同じように呟く。俺の低い視点からだと彼の顔が良く見える。彼の顔は怖くなかった。優しい表情で俺を見ていた。あ、この人いい人なのかなと思った。思ってしまった。  ヘレンが仕事の休みをもぎとり俺の見舞いに来た時、ジョンはものすごく険しい表情だった。姉が俺に触れる、着替えの話をする、昔俺が倒れた時の話をする、そういう一つ一つにジョンはプスプスと俺を殺した。いや、視線で殺されるならおれはずっと死体だ 「ジョン、私ちょっとお医者様に話を聞いてくるから」 「ああ」  ヘレンは元気に部屋を出ていく。残される動けない俺と殺気立つジョン。やべーやべーよ、これ枕で窒息死とか狙うやつだよ。がたがたと心の中の自分が震えながらジョンを見ていたらジョンはしゅん、としぼんだ。見えないはずの犬の耳が見えた。犬……??? 「すまない、怖がらせたか」  首を振ろうにも振れない。ジョンは近寄ってくると本当に何を持ちたいのかと聞きたいレベルでそっと触った。さっきまで俺を殺そうとしていた男がどこに行ったのか。 「……。すまない」  ジョンはまた悲しそうに言う。俺が倒れたのは偶然の事故なのに。  気づいた時には犬の耳がなかった。ジョンは姉の元に行く、と部屋を出ていった。俺は何もすることがなく部屋にいた。ただ後で姉にあの人って本当に人間なの??と聞こうと思った。絶対、姉にとってはあの人が犬に見えているはずだ。可愛いパピーでしょ?とか言いそうだ。  ジョンはたまに俺に犬の耳を見せるようになった。いや、あれは幻覚だ。この男が普段の殺気立つ感じと今のこの感じが違うから変な気分になるだけだ。身内と判定されたのか知らないが俺に対しても色々と金を落とすようになったジョンを見ながらそんなことを思っていた。退院することになった日、ジョンが自分の愛車で迎えに来てくれた。あのマスタングのboss429が病院に来るって変な気持ちだ。荷物の多さから俺は後ろに、ジョンと姉が前に座っていた。ジョンは運転が上手かった。これで俺とこの人との繋がりも切れるだろう。窓から見える風景がどんどんと後ろに流れていくのを見ながらとりあえずまた重症にされて入院することがなくて良かったなあと思った。 家に戻るとジョンと姉は荷物を家に持ってきてくれた。準備するというからもう要らない、と言って家を追い出した。ヘレンは「全く、手伝わせてくれたっていいじゃないの」と出ていった。ジョンもその後ろをついていく。窓から見える二人は肩を寄せ合って何か笑いあっていた。突然自分は一人だということを思い知らされて悲しくなってしまった。ぬいぐるみに顔を押し付けてぐええっとよくわからない声をもらす。翌日、またジョンが家に突撃に来ることを俺は知らない。  俺が行くと怖がらないかな。ジョンの言葉が面白くて「ふふっ」と笑いが漏れてしまった。ジョンは焦っているのか「おい、笑い事じゃないんだ」と小突いて来る。 「痛いわよ」 「あ、ああ、すまない」  ちょっとしたことでもジョンは心配症だ。見舞いに持っていくのは何がいいのかスマホで検索している。#名前1#が何かに巻き込まれて入院するのはもういつもの事、と割り切っている。着替えの服と電気シェーバー、後は泊まる時のセットか。さっさとカバンの中に入れてしまうとジョンはやっぱり心配そうな顔をしていた。  病院に行くと#名前1#は普段の事故よりもよっぽどひどい顔をベッドから見せていた。重たくはれ上がった瞼と、硬くしめあがった首元、気絶した後にやられたのか首にはものすごく強い力で絞められたらしい痕があった。 「大丈夫なんでしょうか」  お医者様に質問する声が震えてしまう。いつもの容体ではなかった。悪意のある事故だ、いや事故というのもおかしい。明らかに狙われた話だ。ジョンの方を見ると申し訳ないような顔をしていた。険しい顔付は私に何も言えないけれど何か含みがあるときだ。 「ジョン、顔怖いわよ」  はっとしたジョンが顔をもみ込む。お医者様に話を聞いたところ、彼は車にぶつかったすぐ後は意識が残っていたらしい。だけど、その後人の手で暴行を受けているだろう、ということだった。 「ねえ、ジョン」 「……ヘレン、今回のことは俺の責任なんだ」 「えぇ?」 「……。すまない、詳しくは言えないんだ。だが、これは俺に任せてくれ。警察じゃダメだ」  ジョンはその言葉通りに何か動き出した。基本的には夜だったけど、私がお見舞いに行けないときも彼は動いていたのでずっと忙しくしていたと思う。寝不足で元から悪い眼つきがどんどん険しくなっていく。それと同じようにジョンを見る#名前1#の顔が怯えていく。面白いかも、と思って放置していたらついにはジョンから相談を受けた。 「俺だと怖がらせててダメな気がするんだ」 「でも、いつも見に行かないといつ悪くなるか分からないし……」 「……」 「それに、あの子と貴方と仲良くなってほしいもの。この機会にね」 「そうは言うがなあ」 「いいのよ、取り繕わなくて。あなたの顔が怖いとしても、貴方のその心が伝われば」 「……」 「ふふ、とりあえず行くのは止めないで」  私の言葉通り、ジョンは真面目に行き続けた。#名前1#と言葉を交わすために。いつもはかっこよくスーツを決めているのに、彼に会いに行くときは怖がられたくないのかポロシャツなんかを吟味している。それが面白くて私はジョンを#名前1#のところにけしかけてしまうのだ。