さよならを言いに来ました
まだ、ここに来たばかりのころ、僕は悪夢に苛まれていた。トニーに言われてバスに乗ってこの町にやってきた。来てすぐのときに#名前2#に出会えたのは僥倖であっただろう。だが、僕は彼らに世話をされても臆病な性格は変わらなかった。 そうして向かえた冬の直前のある日のことだった。僕は季節の変わり目のせいなのか風邪をひいてしまった。ドクターからは疲れが出たんだろう、と言われたが僕は今は充実していると思っていたしこれまで病気で休んだことなどなかったからへんな気分になった。僕は休みをもらい、家で氷を額にあてて休んでいた。関節が痛いと言ったら熱が出るだろうから今から安静にしておけ、といわれたのだ。 僕は冬が嫌いだ。ママに癒えない傷をつくったから。パパは僕らを殺そうとしたから。あのホテルに呑み込まれてしまったのだ。ママはそのトラウマから冬でも雪の降らないフロリダへ移り住んだ。彼女は最期まで冬を嫌ったままだった。残念なことにママは死んだらそのまま終わってしまった。僕はママを見れなくなった。パパはどうだろうか。きっと死んでると思う。死んだあとも会えないということはママと同じところに行ってしまったのだろうか。よくわからない。 僕は今、ひとりだ。 「おーい、ダニー? 入るぞ」 声が聞こえて僕はいつの間にか寝てしまっていたのだと気づいた。起き上がると体はだるくて額に乗せていた氷の袋はもう水になってベッドをぬらしていた。ベッドの布団の間から見えたのは#名前2#だった。 僕を助けてくれた人。家賃を助けてくれたし、セラピーも紹介してくれたし、結果的に僕の仕事も紹介してくれた。かげかえのない恩人であり友人だ。僕には友人というものがよくわからない。変に会話しても話が通じないときもあるから、人と話すのが面倒になってしまった。僕はそのせいで今も人前で話すことにすごく緊張するし酒を飲みたくなる。酒を飲めば解決するような気がするのだ。でも#名前2#はそんなアル中たちに慣れているのか、僕のつたない言葉にもいつもうなずいて聞いてくれる。 #名前2#はベッドに近づくとぬれたタオルを僕の上に乗せた。 「熱は?」 「どうしてここに?」 ひどくしわがれた声が出てきた。#名前2#はあわてて僕の口を閉じさせる。大きな手が僕の口元を覆った。暖かくてホッとする手だった。 「お前さんが熱出しそうだってドクターから連絡をもらってさあ。ノックしたけど返事もないし念のため様子を見に来たんだよ」 #名前2#はほら、とゼリーとアイスを見せてくれた。風邪のときでもこれなら食べられるだろう?というから僕はうなずくだけにした。鼻が詰まってうまく息ができない。口を開いて呼吸すると#名前2#の手はすぐに離れてしまった。 「すまんすまん、呼吸しにくかったよな」 そんなことない、と言いたいが事実だ。でも#名前2#の手に触るのは効果があるよな、と思った。 「一応わきの下に挟む用と首に当てるようの氷がある。あとは市販の薬だが、飲まないよりはマシだろう」 #名前2#が手厚くそんなことをしてくれるから僕はついつい「#名前2#」と呼びかけてしまった。 「どうした?」 「手、つないでくれないか」 まるで子どものときに戻ってしまったような感覚だった。#名前2#は驚いていたけれど、すぐに笑ってくれた。 「この布団じゃ寒いからな、俺のコートを持ってくる。その後手をつなぐ、それでいいだろ?」 彼の笑顔は陳腐な言葉だけれど太陽みたいだ、と思う。僕の心を明るく照らしてくれるのだ。僕はなんとか#名前2#が戻ってくるのを待ちたかったけれど、体はそうも行かないらしくて眠気が襲ってきた。それでも手を握る感覚はあった、と思う。 僕がおきてみると#名前2#はいなかった。でも寝る前には感じなかった首のタオルとか、コートの重みから察するに#名前2#は来てくれたということでいいのだろう。ベッドサイドに手紙がおいてあった。僕はすぐにそれを取って開いた。#名前2#だった。 「おはよう、体調はどうだ。 俺は仕事があるから行くけど、安静にしておけよ。またいくからな。 #名前2#」 一言ずつ大事に読んでいて、そのときの自分といったらまるでティーンエイジャーのようだったと思う。僕はそれを大切に折りたたみ机にしまった。彼が様子を見にきたときに寝てしまったときのため、返事も書いておく。手をつないでくれたか、と確認するのは何だか#名前2#に重いやつだと思われないだろうか。うなりながらもダニーは手紙を完成させた。手帳のメモページのそれをダニーは20分もかけて完成させたのだった。 ダニーたちの遺品整理のため、アブラは部屋を訪れていた。#名前2#の方はすでに親戚が片付けたらしい。大家である女性からアブラは一冊のファイルを預かった。ダニーの親族に渡してほしい、といわれたらしいのだ。 「何かしら」 「開けてみようか、僕の部屋で」 ダニーはシャイニングを導く者としてアブラのそばにいる。部屋に行ってみると二人で会話していた壁などもそのまま残っていた。懐かしい、と触ろうとするとダニーに止められた。 「痕跡は少ないほうがいい、だろう?」 「そうね、ごめんなさい」 ダニーの部屋は荷物がほとんどなかった。アブラが約八年は暮らしてたのよね?と確認するように聞くと「#名前2#が助けてくれたからさ」と苦笑いだった。ダニーの荷物はすべて捨てることになっている。もともと根無し草のような生活をしていたので彼の部屋には消耗品の類しかなかったし、家電などはもともとこの部屋に設置されていたので用意していないのだ。アブラが机の中身を確認しようとしたら、ダニーから「あっ」とまずそうな声が聞こえてきた。 「えー、ここに何が入ってるのかしら」 アブラは面白そうに手を伸ばす。引き当てたのは紙類だった。サイズもばらばらだが、すべて丁寧に折りたたまれている。 「なにこれ?」 「……#名前2#からの手紙だよ、いいだろうもう」 「よくない、よくないわよ! #名前2#さんって一緒に来てたあのおじさんでしょう?」 アブラはキャーキャーと少女の声をあげた。ダニーはむうっと顔をとがらせて、しょうがないじゃないか僕には友人なんてものはいなかったんだ、という。 「私がいるじゃない」 「君は同じシャイニングを持つ者だ。特別なんだよ。僕はここに来てようやく普通の人と友達になるってことを覚えた。お酒にも頼らず、真っ向から向き合えたのは彼が初めてだった」 その、普通の人と友達になることがいかに難しいのかアブラはよく知っている。うす気味悪がられることはしょっちゅうあるのだ。気をつけよう、と思っていてもこれが自分なのになぜ我慢しなければいけないんだろう、と思う。 「#名前2#は僕によく手紙をくれたんだ。元気か、とか。先に飯食べてろよ、とか。些細な伝言なんだけど、ぽいって部屋に投げ込まれてて。僕はそれを拾って、楽しんでた。子どものとき、きっと皆こういう遊びしてたと思う。でも僕は……やったことがなかったから」 どうしてもこの手紙たちを捨てられなかったのだ。アブラはこのときあれ?と思った。さっき大家さんからもらったファイルはじゃあ……? アブラは一種の確信をもってファイルを開いた。そこには彼が書いたらしい手紙の書き損じが詰まっていた。 アブラは何もいえなかった。ただダニーはどう思っているのか気になった。#名前2#はなぜこの書き損じたちを残していたのか、それはアブラにもわからない。彼は死んでしまったから。普通の人は死んだらもう二度と会えない。ダニーは涙を流してはいなかった。でもその顔には深い悲しみがありありと浮かんでいた。 「ダニー」 「#名前2#が、僕に、書いてくれてたんだ」 それは普通の手紙でもあったし、おそらく部屋によく来るダニーのために書かれたものでもあった。気恥ずかしくて出せなかったのかもしれない。ごみの分別や料理の仕方、はたまたどこの店が安いのかというメモもあった。それらのすべてにDear Danyという文字がついていた。 アブラはダニーに大丈夫?と聞いてみた。ダニーの肉体はもう消えていて、#名前2#は魂も肉体ももうないのだ。彼らがめぐり合うことはもうないのだ。ダニーは涙をぬぐうように目をこすった。 「うん、もう、大丈夫だよ」 ダニーは親友が死んだことをようやく受け入れたようだった。#名前2#からの手紙をアブラは大事に持ち帰ることにして、あとの荷物は捨ててもらえるように手配した。#名前2#のメモには「もしも、この町を出て行く気になったら」というものも入っていたのでとても助かった。 もう二度とアブラはこの町に来ない。ドクタースリープは亡くなり、バスから降りた人々を迎えるミニタウンの作り手も亡くなったこの町は今はとても寒々としていた。夕暮れの黄色ともオレンジとも言い表せない光の中でアブラは母親の車に乗って自分の家に帰っていった。