むかしだったらため息もつけた
朝起きて自分の体がいつもと変わらないことに安堵する人がいたら、その人はきっと何らかのやましいことがあるに違いない。例えば……そう、悪魔と契約して肉体を得たとか、そういうことだ。この話を聞いてたとき人は二つに分かれる。なんでそこで悪魔なの? と悪魔という単語に反応するもの。なんで知ってるんだ、というひどく怯えた目つきでおれを見てくるもの。この世には天使も悪魔もいるということを知っている人間はあまり多くない。だが、いるにはいるのだ。おれは後者ということになる。別に悪魔に魂を売ろうがおれには関係ないのだが、たまにそんな質問をなげかけてはどんな悪魔に会ったことがあるのか聞いている。俺の知ってる悪魔はおれのことを殺せないとか訳の分からないことを言ってくるのだ。悪魔のくせにいちいち都合がどうとか言い出すのである。 この世にはとても面倒なことが起きるときがある。それは困ったことに、自分では逃げられないことばかりだ。この世界では何度死んだことか分からないけれど、とにかくおれは何回か死んでいる。そしてまた生き返るということを繰り返している。人はなんで死んだあとはそれまでだと思うようになったのか、なんて無駄なことを考えてしまう。最初の記憶は薄れてしまったけれど、あの時は確か死ぬことを怖がっていたはずだ。死にたくないとぎゃーぎゃー泣いていたらなにかの声が聞こえておれの体は元に戻った。その時からおれは死んで生き返るという人生を送っている。 困ったことにいちど死ぬとおれがそれまで覚えてきたものは薄らぼんやりと煙がかかったように思い出せなくなる。だから何回死んで何回生まれたのかはもう分からない。#名前2#・#名前1#という名前で、痛いのを怖がっていた自分がいるのはちゃんと覚えてるのだが。 ある時、不死身のキャラクターについての漫画を読んだ。おれよりはマシな境遇だったがあまりにも可哀想で読みながら号泣していた。死ぬことも許されなくなったのか、とちょっとだけ思った。一時期は神さまのように称えられたりもしたが、それでもおれはここで一般人として生きている。天使様、に助けられながら。 「アジラフェル、人間はご飯を食べる時間だ」 「おや、もうそんな時間か」 天使さま。アジラフェル。彼は世界の滅亡アルマゲドンのためにおりてきた人。人間のことが好きだけどどこかズレた性格の方。彼のところに世話になっているのはアジラフェルが「#名前2#がひとりぼっちにされてるのは嫌だ!」と叫んだためである。彼には仲の良い(本人たちは否定するが)悪魔さまがいる。悪魔さまは天使さまのことが大好きで定期的になにかやらかす。いや、天使さまも悪魔さまのことは大好きだが天使の方が規律などが厳しいのかルールをできるだけ破りたくないアジラフェルは彼とは仲は良くない、と公表している。しているだけだが。 おれはというと、お二人と仲が良いのかはよく分からない。ただ面倒を見たり見てもらったりする関係性とだけ言っておこう。アジラフェルは眠るよりも世界を見ていたいタイプだ。だから人の大半が眠ることに「可愛い」とか「良い眠りを」とか言うけど本人は眠ることがよく分かってない。朝は周りの人達が動くのに合わせて動いている。 おれが眠りについて起きて準備しているのを初めて見たアジラフェルは「これが人間と暮らすことなんだね」と焦っていたけれど、別に夜中にケーキを食べようと読書をしていようと好きにしていればいいのにと思う。 「#名前2#が来てから時間に困ることもなくなって助かったよ、今日はどんな仕事?」 「行ってみないと分からないけど……、まあいつも通りだと思う」 おれの仕事はフードショップの店員なのでそこまで大きな仕事を引き受けたりはしていない。いつかは店長になって、とも言われるが不死身で老いることもない体は一所に留まるには不便すぎる。キリのいいところで仕事は変えるつもりだ。そこまで金に困る暮らしはしていない。 「それなら、今日はクロウリーも連れて#名前2#のお店にー」 「それだけは、やめてくれ」 アジラフェルひとりでも大変だったのにあの悪魔まで来られたら店はめちゃくちゃになるだろう。他人に鈍感なロイヤリティあふれる人たちのいる店ならともかく、おれが通うのは学生向けのアジアンフードの店だ。絶対、クロウリーは絶対に味に文句をつける。想像がしやすい。 「そ、そうか。だめか、なら仕方ない」 「人間の通う店には向き不向きというか、メインターゲット層っていうのがあるんだ」 「ああ、言ってたね。女性向けとか男性向けとか。でも、君は日々そういうものはナンセンスだとバカにしてたろう?」 「そりゃあね。でも大学の中にわざわざ入ってきてまで料理を食べたがる人はあんまりいないよ、しかも大して評判にもなってない店なのに」 それなのに来たら、明らかに何かが目的だとバレてしまう。アジラフェルたちはどう見ても学生ではないのだから。年齢的なところが問題なのではない、学校に通ったことがないアジラフェルは学生らしく振る舞おうとすると空回りをするし、クロウリーは他人のために自分の行動を変えるなんてことはほぼありえない。 スクランブルエッグを食べ終えて「それじゃあまた後で」と声をかけるとアジラフェルはしょんぼりとしたまま「またね」と返事をした。これ、絶対にあとでクロウリーから電話がかかってくるのだろうなと未来予想がついた。 仕事中、電話がかかってきていても無視することが多いのだが。休憩中だった店長に「気になるから出てきてよ……」とスマホを渡されてしまった。callの方向にスライドすると、「おい、アジラフェルになんて言ったんだよ、しょんぼりしたまま引きこもったぞ」 「はあ、でもこっちも店に来られると面倒なので」 「いいじゃねえかよ、それくらい」 「植物に優しく声をかけることも知らない悪魔がファストフード店と称するお店で大人しくしてられないでしょうが……」 ちょっと休憩に入ったが、またすぐに出ていかなければならない。#名前2#くん、と名前を呼ばれてすぐに電話を切った。 そして時間めいっぱい働いて店の外に出たら「おせえぞ」と声がかけられた。 「うおっ、えっ、もしかしてクロウリー?」 「もしかしてじゃねえよ、見てわかんねえのか」 「いや、どうしたのその姿」 クロウリーはめったに着ないだろう薄手のストライプのシャツとスラックスを履いていた。普段の彼はもっとおしゃれに気をつかっている。まるで休日の大学生みたいだ、と言ったら「そうだろう? 俺はこういう服も似合うんだ」となぜか自慢してくる。 「では、なぜその姿でここに来たのか教えていただけますか」 馬鹿丁寧に聞いてみると 「お前を迎えに行けってアジラフェルがうるさかったんだよ」 「迎えに? なんで」 今までそんなことなかったし、正直に言うと天使の祝福などがなければ#名前2##は大抵の人間に負けることはない。死んでも生き返るのだから。 「なんでって……おい、#名前2#。お前、本気でそんなこと言ってるのか?」 今日はおまえの誕生日って決めた日だろうが。クロウリーに言われて「そうだっけ」と思わずつぶやいてしまった。あんまりにも長く生きすぎて、生まれた日を祝いたいと思うこともなくなった。いつ決めた誕生日だっけ、と考え込むがぜんぜん覚えていなかった。おれの顔を見てクロウリーは天使さまの無茶ぶりに答えなければならないときのような顔をしていた。 「おめーーのためにわざわざ来てやったんだぞ祝われとけよ、ふつーの人間らしくよお!」 「クロウリー、いらだってるな」 「おめーのせいだよ、ばーーか!」 愛用のベントレーはハルマゲドンの回避ですでに消耗してしまったらしい。俺のかわいい新車が……と嘆いていたが、ふつうの人間からすればあれはクラシック、ビンテージと呼ばれる類いのものだ。悪魔たちの観念というものは難しい。今はまだあれに代わる車を入手できてないとかで、二人で公共機関に乗ってアジラフェルのもとに帰ってきた。 クロウリーが言っていたとおり、アジラフェルはおれの誕生日をお祝いしようと頑張っていたのかなぜか店が飾られていた。中に入って居住スペースを確認するとこっちもやはり飾られている。 「ただいま、アジラフェル」 「おかえり、#名前2#! クロウリー、連れてきてくれてありがとう。助かったよ」 「おい、#名前2#、こいつ自分の誕生日もすっかり忘れてたぞ」 「えっ、そうなの?」 アジラフェルがどうしよう、という顔でおれを見てくる。そんなこと言われたって、死にたいのに死ねない人間が「やったー、またひとつ歳をとったぞ!」なんて祝うことがあるわけない。 「せっかく#名前2#のために何かしてやれるチャンスだったのになあ、アジラフェル」 「……クロウリー、きみは意地悪だ」 「ああ? 俺じゃねえだろ、#名前2#の方だ」 おれだって意地悪ではない。だが、しょんぼりとした姿で「そうだったんだね……」と悲しんでいるアジラフェルを放置するのも気分が悪い。 「誕生日じゃなくて、なにかの記念日ってことにしましょうよ」 「記念日?」 「人間っていうのはすぐに祝うんだな」 「百年しか生きられなくなった人間たちなので」 これを言うと二人はとってもおとなしくなる。面白いのでついつい口から出てしまうが、クロウリーはすぐに反撃のように「お前は百年以上生きる体にさせられたあわれな子羊か」と言い出す。犠牲者になったつもりは全くない。 「ま、まあまあ。せっかくのお祝いだけど、#名前2#がいらないなら私たちも無理にかなえる必要は……」 「あ、ああ……いや、ありがたいと思ってるから……」 「#名前2#、いいかい。僕のことは気にしなくていいんだ、今日のごちそうは……そうだ、きっと今日生まれた子どもたち、洗礼を受けた子どもたちがいる」 別にそんなこじつけでお祝いしてほしいわけではない。本物の天使の祝福なんてそう簡単に与えられるものではないのだ。……本来なら。アジラフェル以外なら、という条件節はついてくるが。クロウリーにじと目でにらまれた。おれも心が痛い。 「アジラフェル、祝ってくれるのは本当にうれしいんだ」 「でも、君の誕生日じゃないし、君は祝われたくないだろう?」 「祝われるたびに、正直死ねない日々を思い出すけど」 「やっぱり」 「でも、アジラフェルがただの人間のおれにそんな風に優しくしてくれるのはうれしかった」 うげ、とクロウリーから声が聞こえた気がしたがアジラフェルは泣きそうな顔で「よがっだ」とうなずいている。とりあえず今日は勝手になにかの記念日にしよう、と言うとクロウリーが指を鳴らした。Happy Birthday から Congratulations on our love という文字に変わる。 「クロウリー、こんなことに力を使っていいのか」 「記念日なんだろう? 許されるさ」 クロウリーとアジラフェルが横にくっついてケーキを差し出される。人間らしく自分の手でロウソクをさしてマッチで火をつけた。未だにマッチを使うのはライターなどのオイルが自分の体に合わないからおれがこの家に持ち込んでいないのだ。アジラフェルは元からタバコなどもすわないのでマッチだろうがライターだろうが特になにもいわなかった。クロウリーはめんどくせえ、という顔をしながらもひとつひとつの火が消えないようにおれと一緒に手で囲っている。 「じゃあ電気を消すからね」 「どうする、火を消すのは」 「三人でやろうよ」 途端にもじもじした二人の手をとってひっぱる。いくよ、と声をかけて息をふきかけた。