ハロー、ぼくを忘れないでくださいね

 その年のひとつ遅れたモデルのスマートフォン。自分で買っているのではなく、身内とも言い難いような大学の先輩がいらなくなったものを自分が受け取っている。その英一の携帯の連絡先には知り合いの名前はあまりない。身内と、スマートフォンをわざわざ理由をつけてまで新しくプレゼントしてくる先輩と、英一のことなど何にも気にしてないような男の名前が入っている。  英一は人と連絡を取ることの必要性をあまり感じなかった。なので連絡先は片手で数えられるくらいのものしか入れていない。その大きな理由としては管理するのがめんどくさかった。わざわざ連絡を取るという行為をするのが苦痛で、因縁の相手とも呼べるであろう浅川の連絡先も知らない。  あの空港での再会ののち、AWAKEと彼とが戦うことはなかった。それに対して悲しいとか辛いとかは思うことはなかった。あの戦いのあと、もう一度戦いたいと思う気持ちは出てこなかった。あれで自分の奨励会で戦った日々とのケジメがついたような気持ちになったからだ。自分はやれることをやった。彼にまた負けるのが怖かった。なのに、いざ終えてみると自分は気楽な気持ちでいる。不思議だった。  名前を登録している唯一の「ただの知り合い」の男は久々に居酒屋に英一を呼び出した。彼は大学で、磯野以外に知り合った唯一の男だった。この大学の学生ではなかった。近場でのんびり適当な暮らしをしているらしく、大学にはもぐりこんで授業を受けたり食事をしたりしているようだった。英一としても仲良くはなりたくない人種だったが、彼はその生き方に見合わない賢い頭脳を持っていた。今は磯野にその才能を買われて仕事を任せられているような男である。  そんな彼は英一がAWAKEで負けたことをいまさら知って、英一のことを慰めるために呼びつけたのだった。AWAKEってどんな風に負けたの? とデリカシーもないような言葉からはじまったが英一は文句は言わずにどんな機能を持たせたのか、どうやって負けたのかを語り、終えたあとの清々しさとを聞かせた。#名前2#はうんうんと頷いて聞いていた。1回も言葉をはさむことはなかった。最後まで聞いたあと#名前2#はにっこりと笑った。 「そういうのはさぁ、結局は自己満足だよねぇ」 「……喧嘩売ってる?」 「まさか。感じられる気持ちはそれぞれだとしても、今のはおれのただの事実の認識ってやつだよ」 「でもそれ、おまえのバイアスがあるってことだろ」 「まあ、それはそうだね」  英一を慰めるというわりには辛辣な言葉を投げられた気がするが、それは今に始まったことではない。#名前2#はそういう男なのである。  #名前2#は浅川より大切な友人というわけでもない。めんどくさい男だと思うし、こんなに説明していても将棋の強さがあっても将棋に対して全く愛情がないところも好きではない。人に対してなにかを喰らうような小難しい言葉をかけるのも好きではないし、酒が飲めない英一を気にせずひとりでビールを飲み干す姿も嫌いだ。でも、恋をしていた。なんでか理由なんて全くわからないが、この男に恋をしていた。  英一が自覚したのは磯野の妹から告白された時だった。ついこの前の話である。好きですというテキストの言葉を見て英一は「え?」と思った。好かれているという感覚はあったけれど、それが恋愛として成就されることを願われているものだとは思ってもみなかった。  答えに迷いながらYESの返事を送ろうとしたとき、テクストの送信相手一覧に#名前2#の文字を見つけた。どうして自分はこの男と連絡を取り合い続けているのかと思った。英一の純粋さもそなえたその頭は即座に答えをたたきだす。 「え、おれ、こいつのことすきなんだ………」  自分でもビックリしていた。AWAKEに「おれ、#名前2#のこと好きだったっぽい……」と話しかけるほどには。  英一は#名前2#のことが好きだと自覚してからははやかった。自分がされた告白にはNOを送り付け、磯野に「おれ、#名前2#のこと好きなんだけど」と送り付けた。磯野からは「あいつをふって面白いことになったと思ったけど、上を行くな」と返事がきた。彼には自分の妹への情だとか、そういうものはないのか? と思うが英一のためにわざとそんな突き放した言葉を使っているのかもしれなかった。  告白するのか? と磯野から連絡が来る。別にそんな恋人になりたいという気持ちはなかった。好きだと自覚したのみであったし、そこに特別な関係性をつくりたいだとか性行為をしたいという感情もなかったのだ。 「告白しなくてもいいや。#名前2#のことが好きだって分かったから」  そう。そうやって解明されることがなにより面白かった。磯野からはそれ以上の返信はなかった。  恋をしていてよかったと思うことは、ほんの些細なことで幸せを感じられるようになったことだろうか。#名前2#にとっては当たり前のように行われている気遣いに胸がちいさく高鳴るのだ。手に触れてみたいと思うし、その唇から自分の名前が出てくれたらと思う。こうやって二人きりで誘ってくれるのもうれしい。  英一は恋をしていた。実らせるつもりはなかったけれど、捨てるつもりもなく。ただ恋を楽しんでいた。