ぼくは君にひざまずいています
あの男は私に言った。「お前はいつか自分の道を間違えたと思う時が来る、」と。私はそれを笑い男を屠ったのだった。 男はジャックと同じ赤の女王に仕える者であった。ハートのジャック、ダイヤのプライムミニスター。その双璧が赤の女王の基盤となり、他の領土の者たちを脅かしていたのだった。それが崩れたのはいつの時だったか。は突然「暇を頂きたいのですが」と言い出したのだった。赤の女王はもちろん怒った。 おまえ! せっかく慈しみ、愛おしみ、可愛がってきていたのに!! お前のことを信頼し傍に置いていたわらわを!! 侮辱するというのか!!! 打首じゃ!!! 彼女の悲痛な叫び声にさらされてもは表情を変えなかった。「お暇を、ください」とそれを繰り返すばかりだった。 「ジャック、お前が、やつを殺して」 女王の命令は絶対だ。ジャックは命令に従いの前に立った。はまっすぐとジャックを見つめる。それだけのことなのになぜか2人はその一瞬が永遠のように感じられた。 「じゃあな」 「またな」 最後は2人でそんな会話をして一方的に殺すことになるのだから世の中は不思議だ。 プライムミニスターは目が覚めた。自分の体は生きてるらしい。トランプの男がなぜ死ななかったのか、騎士たちに死の概念はなかったのか、そんなことはどうでもいい。起き上がったプライムミニスターは自分が土の中に埋められていることに気づき、せっせと穴を掘るところから初めなければならなかった。時間の感覚もなく、はゆっくりゆっくりと地面を掘っていた。棺桶などもないので崩れた土はすぐに自分に降かかる。げほごほと息をしながらもなんとか外に出るとそこにあったはずの赤のお城はなくなっているのだった。 「おやおや。もうそんなに過ぎたのか」 はのんびりとした口調で自分の洋服を脱ぎ捨てて下着1枚になるとようやく歩き出した。どこかに川はなかったかな、と歩いていると元々あった赤の城の堀が見つかった。ジャブジャブと石鹸もなしに土汚れを落としてまあそれなりの姿になったところで服を着た。びちょびちょの服を着た美丈夫は歩いている途中で「赤の女王の手下め!!」と捕まってすぐに白の女王の城へと連れていかれるのだった。 「……?」 「こんにちは、ミラーナ」 は昔と変わらない笑顔で白の女王に笑いかけた。彼はミラーナと昔からよく遊ぶ男だった。まだお転婆だった彼女を庇って罰を受けていたのも彼である。がイラスベスを選んだ時にミラーナがどれだけ心を痛めたのかこの男は知らないだろう。 「死んだはずなんだけどね、生き返ったんだよ」 「……そう、らしいわね」 ボロボロの彼の体にはくっきりと首が切れた跡があった。どうやってくっついたのかは分からないが歪な形になっている。 「せっかく戻ってきたからまたイラスベス様に会いに行こうかと思ったんだけど、残念ながらもうアリスが活躍したあとみたいだね」 「そうね。全てを、アリスが、助けてくれたの」 こっちへ、と白の女王はを招いた。がしょんがしょん、と白の女王の城には似合わない手錠と足枷の音が響き渡る。このままアウトランドへ連れ出してもよかった。だが、姉の時のような失敗が起きるのも困る。白の女王はきちんとを赤の女王に会わせることにした。 ノックをするとが知っている時よりも穏やかな、まるで頭が巨大化するより昔の頃のような声が聞こえた。ゆっくりと扉を開くと赤の女王ことイラスベスは優雅に本を読んでいた。 「女王様」 ミラーナにはかけられなかった言葉だ。イラスベスはを見てぎょっとした顔になった。慌てて武器になるものを探して手に取ったのは万年筆だった。 「お、おおお、お前! なぜ生きてるの!」 「まだ言えないんです」 「お前は確かに打首にしたはず……」 「ですね。でもこうやって生きてますし。ああ、別に殺された恨みで会いに来たとかじゃないですよ。元プライムミニスターとして、女王には嘘をつかない宣誓をしたでしょう?」 宣誓。この世界ではそれを破れば死が待っている。だからみんな滅多なことがない限りそれを使わない。はあっけらかんと使ったせいで逆に赤の女王に疑われることとなったが、彼は本当に嘘をつくことがなかった。 「………。じゃあ、どうしてここに」 「いやあ。ぜひ、俺もジャックの亡骸ともに葬って欲しくて」 「……あいつが、死んだことを、知っているのね」 「俺が生き返ったからきっとそうなんだろう、と」 「はあ?」 「いやあ、死んだには死んだんですけど。タイムが俺をとっ捕まえて仕事させてくれたんですよ。訳ありで」 「あの男が……?」 そう言えば、とイラスベスはタイムを惑わせていた時のことを思い出した。プライムミニスターの話をしたがる彼もいたかもしれない。全て切り捨てて無視していたから記憶は薄いけれど。を見るとにっこりと笑っていた。 「その報酬が今来たところです。ジャックの亡骸ともに、お願いします」 彼はもうそれしか言うことがない、というように黙った。静止した彼の髪の毛がもぞもぞと動いている。虫がいるのだ。よく見れば彼の肌は生きているとは言えないほどの土気色で、しかも右手の指は1本ぽっきりと折れて内側に曲がっていた。彼の体は長くはないのだ。 女王たちはをジャックの墓の元に連れてきた。は「ようやく着いた」と笑って座り込み墓石に額を押し当てた。ざらざらと崩れた音がしてプライムミニスターの体は砂となり消えた。全くめんどくさい男たち。イラスベスはそう言いながら少しだけ土を掘ってその砂を埋めてやった。 がいなくなった城はとても静かだった。こんなに静かだっただろうか、と不思議に思うくらいに。女王のおべっか使いたちの騒ぐ声が遠くに聞こえる。ジャックは自分の横でよく歌を歌っていた男を思い出した。野心的なジャックとは違い、城勤めを終えたら田舎でまた歌う姿が想像できるようなそんな男だった。ジャックはそんなのことを笑い、はジャックを笑った。2人は似たもの同士だった。 今、その歌声は聞こえない。ジャックがの首と頭を切り離したから。彼はいつも通りにジャックを否定してジャックはを否定した。そして挨拶をした。また明日、と笑うように。が処刑を言い渡された時に「また」の機会は永遠に来ないと分かっていた。時間を止めようと、先に進もうとその永遠はついてくる。