03

 召喚をした時、俺は目の前に現れたサーヴァントに抱きつかれて尻もちをついた。ふわふわの髪の毛、可愛らしい洋服、赤色のランドセル。ああ、これは……。  最初に会ったときの世祖だった。世祖が本当に来たことに驚くよりも先に俺は抱きついたまま慟哭する世祖をあやさなければならなかった。世祖は抱きついたまま怪獣かくやという様に泣き叫び鼻水がたれて俺の洋服にこすりつけるのだ。言葉は日本語にもほかの言語にもならず、ただ喉から音が出るだけで聞くに耐えない。 「世祖、世祖。もう大丈夫、大丈夫だ。お前のところに帰ってきた」  そう言って背中をぽすぽすと叩くと世祖は少しだけ泣く音量を下げた。100から97くらいには下げられたはず。世祖はなぜか審神者としての生を終えて英霊となっていた。……英霊とは、過去の人間がなるものと沖野さんは言ってなかったっけ?  沖野さんの命令で俺は聖杯戦争の間だけという条件付きで弟、時臣の家に身を寄せていた。その際に呼び出していいのはこんのすけだけで、他は家に置いていけとも言われた。  その条件が付けられていることが不穏な気配を出していたが俺は何も言わずに遠坂家へ足を運んだ。荷物は極力少なくしていつでも沖野家へ帰れるようにした。さすがの俺も自分が遠坂家でどんな立場になるのか分かっていたつもりだったが、遠坂家は思いのほか好意的に俺を迎えた。俺は執事見習のごとくまた下から働くのかと思っていたのだが。  聖杯戦争の始まる3年前のことだった。遠坂家の夫人は時臣より年上で俺より年下で、娘は2人いた。遠坂葵が妻、娘が凛と桜だった。彼女たちは突如現れた#名前2#という親戚の俺に戸惑いを覚えていたが俺は子どもに優しくするよう心がけていたのでおそらく心から嫌われることは無かった。  人の心は分からないので嫌がられているかどうかは分からないが素振りから見るに嫌われてはないと分かった。  魔術師の家のことを考えると娘が2人というのは片方はどこか養子か妻に出されるのだなあと思うと切なさを感じた。自分も養子に出されたが本丸での記憶がある俺は沖野さんと良好な関係を築けたが、普通の魔術師について聞く限りはあまり女性としての幸せは望めないだろう。  時臣は既に桜を養子に出すことを考えているのだ、と葵から聞かされた時俺はなるほど桜を俺に助けてほしいのだなときちんと理解した。俺の元に、嫌な言い方だが桜が送られれば聖杯戦争の間は葵のもとにいられるのだ。時臣の兄である俺ならばどこか分からない家に養子にやられるよりもまだ近況を伺えると考えたのかもしれない。  葵は強かではなかったが娘のことをひとりの母として大事に扱っているのがわかった。時臣に俺の元に養子に出してもらえないか聞いておくよ、と笑いかけると葵は泣きそうになりながら有難うございますと言った。そのしなやかな黒髪がたれて地面に着きそうなほどに深くさげた。  葵のスカートに隠れてこっちを見ていた凛は俺を見ると「桜のお父様になるの?」とたずねた。 「それは分からんが、なれたらいいなあとは思う」と本心を告げたらなぜか困ったような顔をして「桜はカリヤおじさんが好きなのよ」と小声で話しかけた。 「カリヤ?」 「私と時臣の幼馴染で……。えっと、ルポライターでいつも旅行のお土産を凛たちに渡してくれるの。桜はその人になついてて…」 「? その人の養子にはできないのか?」  俺の言葉は地雷だったのか葵は残念そうな悔しそうな顔をして「彼は魔術とは離れた世界に住んでいるから」と言った。凛にはよく分からなかったらしく「桜は、カリヤおじさんが好きなの」と大事なことのように繰り返した。 「それじゃあ、俺が桜を娘にするには時臣とカリヤって人の許可をもらえばいいのか」 「そうよ。カリヤおじさんにも言わなきゃダメ」  俺がうなずくと凛はにぱっと笑ってありがとうとお礼を言った。教育がきちんとなされてるイイコだ。葵は「凛がごめんなさい」としょぼくれた顔をしていたが何がそんな顔にさせるのか俺には分からなかった。とにかくそんな顔のままじゃあ母親として可哀想だと思い、むにっとほっぺたを引っ張った。 「ひゃひふぅんへぅぁ」 「いや、あんまりしょぼくれた顔してたから筋肉が落ちたのかと思ってな」 「#名前2#さん! お母様を離して!!」 「ん、すまん」  手を離すと葵はほっぺたをさすりながらふへへと笑った。 「心配かけてごめんなさい、私は大丈夫です」 「そうか? それならいいんだが」  それじゃあ俺は時臣のところに行くわ、と離れていくと廊下の隅から俺のことを見つめる桜に会った。桜、と呼びかけながら近づくともじもじとしながら貝殻で出来たブレスレットを渡してくれた。この前凛と葵には内緒で遊びに出かけたお礼らしい。あれはただの同情のためのお出かけだったが桜にとっては楽しかったようだ。ただの山遊びだったのだが桜は初めての体験ばかりでずっと笑っていた。 「これを俺に?」 「うん」  ありがとう、と頭をなでると猫のようにすりよってきた。紫のふわふわな髪の毛。同じくらいの身長。  その姿が世祖とかぶって俺がまだアイツと会えないことが苦しかった。こんのすけと随分長く探したんだけどなあ。だけど、今回の呼出ならあるいは…… 「時臣」 「兄様。どうかなさいましたか?」  時臣のもとに行くと魔術の弟子の綺礼が俺を見て顔を引き攣らせた。どうやら俺が奴に話しかけた内容が悪かったらしい。自衛隊にいた時の面白い友人の話のつもりだったのだがいけなかった。綺礼は俺のことを苦手に思ってるらしかった。  どうもこいつは構ってやりたい雰囲気があるのだ。平常時は違うが、なんというか大倶利伽羅のような反応をするので楽しい。 「……いや、あー、後にしておく。済まないな、勉強を邪魔して」  桜はまだ家にいるし、いざとなったら沖野さんがそのマキャベリストの力を発揮してくれるだろう。結論づけて部屋を出ていこうとすると時臣が焦ったように俺の背中に声を投げかけてきた。 「どうした?」 「……いえ、なんでも…」 「? そうか」  とりあえず桜が俺を嫌っていたら話にならないと後から気づいたので聞きに行く。さっきの話に出てきたカリヤって人の所にも行きたいので葵たちに話をつけておこう。  部屋を出て行った#名前2#を見送って時臣はため息をついた。どうも兄と上手くコミュニケーションが出来ない。この家の中ではどちらかと言うと弟子の綺礼の方が兄と会話してる気さえしてくる。  時臣が考えていることは実際にそのとおりで、友人はおらず強制的に聖杯戦争に参加させられている綺礼を#名前2#は気にかけていた。  そして#名前2#は桜と凛を特に気にかけていたことはこの家の誰もが知ることだった。#名前2#は平素から子どもたちと遊ぶように心がけており、公園に行っても一般人の子どもにも人気を誇る。  魔術師としては珍しく、いや沖野の義息子だというのに彼は魔術師らしくない人間だった。家の中にいると桜や凛は父親の時臣よりも#名前2#に話を聞こうとする気がしているくらいだ。  時臣は魔術師ではあるが、こと兄に関しては遠坂時臣という一人の男として話をするようになっていた。だが、御三家である遠坂家当主という肩書きがなくなった途端に時臣は何も持たない人間と同じになり、#名前2#と何を話せばいいのか分らなかった。娘達のように無邪気に聞くことも出来なければ、葵や綺礼のように気にかけられることもない。#名前2#としては自分より年下なのに立派に当主をしているから、という理由でそれなりの対応にしていたのだが時臣にはそれが区別されてるようで大変不満だった。綺礼をじっとりと眇めると綺礼は肩を狭めて「私はかの人に何もしておりません」と言い訳じみた言葉をいった。してない事が問題なのだ、と言ってやりたい。してないのに#名前2#は気にかけるのだ。時臣が何かしても#名前2#は仕方ないなあと笑うが綺礼が何かするとすぐに構いに行く。本音は羨ましすぎると言いたいがそこは優雅たる時臣なので口には出さない。雰囲気には意図せずに出しているが。ふう、とため息をついた。桜の養子先をどうしようか、迷っているのに#名前2#はこうやってタイミングをはかったようにかき混ぜてくるのだ。綺礼はと言えば時臣の妬みがすぐに止んだことに感謝しながらこうなった#名前2#を恨みたくなった。 呼出をあえて時臣たちがやる一年前に行ったのは沖野さんに言われたからだった。あの人の言うことに失敗はない。久々の沖野家に戻って自室で呼出の儀式を行った。そして出てきたのが予想どおり世祖だった。クラスは審神者。一応バーサーカーの適正もあるらしいがなぜか審神者である。どうも聖杯にバグがあるんじゃないかと思われた。その事を沖野さんに伝えるとケラリと笑って「君がそう思うならそうなんじゃないかな?」と言う。世祖はそんな話をしてる間にも大声で泣いていて俺の洋服をがぶがぶと噛み締めて痛いし沖野さんの声は聞こえないし散々だった。俺はとりあえず食事でもしよう、と世祖を椅子に座らせたのだが世祖は泣きながら椅子をおりて膝上によじのぼってくる。仕方なくそのままにしてコーンスープを飲ませた。沖野さんは笑っていたのに急に「用事があるから何日か家を空けるよ」と言ってきた。 「何日か? やけにアバウトっすね」沖野さんは遠回しだったりあえて大事な言葉を隠した話し方をするが、ここまでアバウトな説明は今までなかった。 「決まってないんだよ、やることが多すぎてね」 「へえー。あ、世祖。ちょっと待て、コーンスープが零れる! 零れるから!!」 スプーンをずぶずぶと口の中に突っ込んで世祖はえぐえぐと泣き出した。食べていたらどうやら気分が落ち着いて俺がいることに安心したのかまた泣き出したのだ。スプーンが机の上に落ちて世祖は口からだらだらとコーンスープを漏らしながらふげふげと泣く。久々に見た世祖は相変わらず不細工な泣き方をしていてやっぱりちっさい女の子ってのはこうじゃなきゃなあと笑ってしまった。どうもおきれいなだけの遠坂の家は俺にかなり窮屈だったらしい。久々の沖野家に俺はなんとなくここに戻りたい気持ちが強くなってしまった。だがそんな願いは沖野さんに見破られているらしく「ダメだよ、君は弟のもとにいないとね」とにっこり笑われた。初対面の時のような陸奥で戦う、なんてことにならなくてよかった。あればっかしは何世生きても1度だけで構わない。 出かける準備をし始めた沖野さんの後ろをついていくと、世祖もついていこうとするから蟲とこんのすけを与えて気をそらした。沖野さんは割と忘れ物をしては買い物したりする節約の概念を忘れる人なのでついていってちゃんと確認しないといけない。 さようなら、俺の蟲と今までのこんのすけとの平穏よ。こんにちは、世祖に振り回される日常よ。 遠坂家に戻る時に沖野さんは一緒に家を出た。やっぱりヤクザみたいな格好をして出ていく沖野さんに世祖はようやく挨拶をした。「ばいぁい、キノ」と少しだけ言語能力が発達していた。そういえば本丸で何年も過ごしてるからか世祖は言語能力がやけに発達した気がする。人の心にはいまだにお察しなところがあるが。 「じゃあね、世祖。#名前2#くん」 「はい、また今度に」 泣きはしないものの俺を離すまいとぎゅっと抱きしめてくる世祖を抱いたまま公園に出かけた。桜本人に俺のところに養子に来ないか話したところ葵たちは相談して、俺の方を向いてカリヤおじさんを紹介したいと言ったのだ。まさか世祖も連れていくことになるとは思わなかったがまあいいやと考えることを諦めた。世祖がいると考えることも面倒くさく感じられた。 「#名前2#さーん!」 カリヤおじさんと区別するためなのか、凛と桜は俺のことを名前で普通に呼んでいた。一緒にいたのはやけに細っこいパーカーとジーンズというラフな格好をした男だった。割と地味目の顔をしている。刀剣男士のことを思うとかなりランク低いよなあとなるが、ここはそんなイケメンばかりがいる世界ではない。カリヤという男は普通の男だった。 「あ、……。初めまして。間桐雁夜です。遠坂、#名前2#さん?」 「ああいや、今は沖野#名前2#と言います。どうも」 差し出した手を雁夜は困ったように見つめておずおずと自分の手も伸ばしてきた。潔癖症なのかと思って手汗をハンカチで拭くと「あ、すいません……」となぜか雁夜も自分の手を拭いた。 「……あ、世祖。おい、世祖。下りてくれ」 なんで雁夜が困ってるのかわかった、世祖だ、世祖がまるでコアラのように俺にしがみついてるからだ。下りるように背中を叩くとふるふると首をふってきた。下にいる凛と桜、そしてベンチに座る葵が俺のことを心配するように見ていた。 「……世祖、ちょっとだけでいい。桜たちのところにいてくれ。哀の時みたいなことにしたくないんだ」 そう言うと世祖はぱちくりと瞬かせて俺から下りて葵のもとに歩いていった。 「指貫世祖。#名前2#の、……妹?」 疑問形の言葉に#名前2#は苦笑いしながらそれでいいやと頭をなでてやった。凛たちが羨ましそうにするのを後でなと約束してやって、雁夜に少し離れようかと言うと頷いてさっさか歩き出した。 「雁夜さん、だっけ。そっか、間桐なんですね」 通りで葵がなんだか悔しそうな顔をするわけだ。雁夜が間桐だったら雁夜に娘を養子として出せば会いに行きやすいのになあ。そう起こせないのが残念だったのか。 「家とはもう、縁が切れてますから」 「あ、そうなんです? 俺も遠坂家とはほとんど縁遠いですよ」 なにせ妾腹生まれで執事見習したあと養子に出されましたからと笑ったら雁夜は「あ、え、えっと。はい、…あ、うん」と目に見えて焦っていた。根はいい男なんだなあと笑ったらなんだかうちの鶴丸国永とかぶって見えた。「……お前、驚きとか求めてないよな?」「へ!?」「あ、いや。違うならいいんだが」 「……あの、敬語とか。いいですよ、俺の方が年下ですから」 「そうか? 有難いなあ、俺は敬語とか苦手だから」 俺の言葉に笑った雁夜はひどく不器用な筋肉をしていてなんだかこの男の生活習慣が心配になった。ヒョロっこいし、言っちゃなんだが幸薄そうな雰囲気が体全体から出ている。詐欺にひっかかった後の人みたいな感じ。 「あの、桜ちゃんと養子縁組するって本当なんですか?」 「ああ、一応時臣には言っといたよ。あ、俺時臣の兄ってことになるんだ」 後から付け足した情報に雁夜は笑いながら「聞いてますよ、葵さんから、魔術師らしくない魔術師だと」と言った。 「桜ちゃんがあなたの下ならもっと知りたいことが知れるから、と笑ってました」 「ああ、好奇心旺盛だからなぁ桜は。……あんたは、魔術師とか嫌いなタイプかと思ったがそうでもないのか?」 「え、ああ。嫌い、だったんですけど。ある日、神様が助けてくれたんです」 「神様?」 「俺の家は蟲を操るんです。そのためには幼い頃から蟲と触れ合い…というかまあそれなりのことをしてて。父親に扱かれてたんですが、ある日突然それが辞められたんです。父親は惚けたようになって、その後は兄が家を継ぐことになって、立場のなくなった俺は家を出ることにしたんです。……兄を手助けしてくれた人はたった1人の魔術師でした。魔術師は嫌いですが、その人には恩を感じています。魔術師なのに、まったく魔術師っぽさがなくて。#名前2#さんは悪い人じゃないと、話を聞いてそう思いました」 話を聞いてああなるほど、と分かったのは俺が前に召喚した蟲ってのは雁夜のところのやつで沖野があの瓶詰めを持ってどこか出掛ける日があったのはその間桐の当主のためだったのだ。 「そうか、なら良かったよ」 「……あの、桜ちゃんが貴方の養子になっても会いに行ったりしていいですか?」 「? なんでそんなの聞くんだよ」 「え…」 「会いに来たいなら連絡くれれば予定合わせるさ。雁夜と桜はずっと仲が良かったんだろ? そしたら許可貰わなきゃいけないことじゃない。それとも何だ、お前の妻はどこかに出かけるのにも許可をとれと言ってんのか?」 俺の言葉に雁夜はなぜか泣きそうな顔になって「よかった、」と言い終わる前に泣き始めてしまった。 「お、おい雁夜!」 「す、すみまぜ…!」 そう言いながらもやっぱり泣き始めた雁夜を俺は宥めながら刀剣男士にもこんなことしてた気がするなあと思った。背中を叩きながら「よしよし。よく頑張ってきたなあ」とあやすとさらに泣き始めてしまった。 どうしたんだろう、とこっちの様子を見に来た葵たちを遠くにいるようにおしとめた。さすがに泣いてる姿を人妻とはいえ女性に見せるのは可哀想だ。ひとしきり泣いて雁夜は鼻水をたらした姿のまま「ぼんどうにずみまぜん」とぐすぐすしたまま頭を下げた。やはり雰囲気が鶴丸国永に似ている。 「構わんさ、もう世祖に泣かれた後だ」 「あの、世祖ちゃんって……もしかして、」 「ん?」 「何か……あるん、ですか? えっと、自閉症とか…」 「ああ、うん。サヴァン症候群なんだ。自閉症も患ってたんだけど、今は割と軽度になってる」 「ああ、そうなんですね……。俺、ルポライターやってるんですけどこの前障害児を集めた学校について書いたんでそうかなって」 「へえー、ルポライターか。俺は文字を書くのが苦手だからなあ、羨ましいよ」 「……そんなに、すごい事じゃないんですけどね」 「いいんだよ、魔術師の家の出で社会に出てやれるってのはスゲー事なんだから。沖野さんにも俺は魔術師じゃなくて普通の一般人と同じように暮らすように常識とか諸々叩き込まれたし」 だから今時臣の家にいるんだけど結構これが大変なんだ、と笑うと雁夜は何を思ったのか「じゃあ俺の家に来ますか?」と笑いかけてきた。この男が将来特殊詐欺に引っかからないか困るところだ。