スコッチと三日月
案内された部屋はまだ入ったことがなかった。ここは石切丸さんにずっと止められていたしよく分からない札も貼られていた。気にならないと言ったら嘘になるが細かな条件も守れなかったらここに居させてもらえなくなる気がして律儀に守ってきた。札は見当たらずドアはいつも通りにそこにある。 小狐丸さんが3回ノックした。入っていいぞと声が聞こえた。落ち着いていて耳に残る声だった。扉を開かれて「どうぞ」と執事みたいなことをされた。突然自分が身分を高くされたみたいで気恥ずかしくなりながら中に入った。男はソファに座って待っていた。今まで見た中で一番の美男子だった。自分もまあまあモテていたし、後ろに来た小狐丸も美しい顔立ちだったがそれをはるかに超える美しさだ。まるで人間じゃないみたいだ、と思ったところで彼らは刀剣男士という生き物であることを思い出す。 「はっはっは、そんなに顔を見つめられても何も出せんぞ。そこな突っ立っていないでこちらに座ったらどうだ?」 ハッとした諸伏はいそいそとソファに向かった。小狐丸は横に設置された1人がけにその体を押し込めた。一見窮屈そうに見えるのに前かがみに座るとかなりフィットしていた。現実と理想が目の前で一気に再現された気がする。 「俺の名は三日月宗近。人間の名は三条宗近という」 はあ…と呆けた返事をした諸伏に小狐丸はんっんんっと咳払いをする。三日月はニコニコとしていたが自分の名乗りを待っているのかと気づいて恥ずかしくなった。諸伏景光です、と小さな声で喋る。三日月の方は「そうか、そなたが景光だったのか」と嬉しそうであった。小狐丸が言葉を続ける。 「まだ会ったことはないでしょうが刀剣にはカゲミツという名を冠した者たちがいるのです。同じ漢字ですので何らかの縁もありましょう」 「うむ。名は大事だからな」 「はい……」 おっかなびっくりした返事をしてしまった。人間、美しいものの前では言葉をなくすと誰かが言っていた。その通りだった。美しいものの前に言葉がなかった。ちらりと顔ではなく服に目を向ける。青ベースでチェック柄のスーツに紺色のネクタイ、ネクタイピンは月をモチーフに飾りがついていた。あまり服に頓着しない自分にも分かるくらいに高価で、それでいて彼の美しさを際立たせる衣装だった。 「……。それで、そなたにはスコッチという名があると聞いたのだが?」 「え、ええ。それがコードネームでした」 「うむ、合っているな」 三日月はテーブルに置かれていた瓶と諸伏を見比べた。頷いた後にっこりと微笑みながらその手を横に払った。ごろりと倒れた瓶はヒビが入ったようだ。とくとくと机にスコッチウイスキーが広がっていく。絨毯に染み込むとかそういう常識的なことを気に留めない勢いと自分に向けた圧力が体を襲った。 「なに、ちょっとした八つ当たりだからな。気にしないでくれ」 快活に笑ってみせた三日月はやっぱり綺麗だった。だがその綺麗さが逆に気持ち悪さを助長させた。小狐丸は息をついてから落ちた瓶のかけらを持って部屋を出ていってしまう。追い縋る諸伏の視線は無視された。部屋には諸伏と三日月の2人だけとなってしまった。 「人を妬むとな、鬼になるらしい」 「……伝奇の類ですか」 「そのようなものだ。鬼になると斬られてしまうが、妬まないということも難しい。才能だけならば天命と諦めることも出来るのだがなあ」 三日月宗近はその名の通り三日月を目に携えていた。それが微笑むとぐっと奥に消えて薄暗くみえる青が映る。月が見えなくなるだけなのにそれがとても怖かった。 「好いた男を取られるかと思った」 「……」 待って欲しい。今、聞き捨てならないことを言われた気がする。黒の組織関連かと思っていたのだ。沖野という男と関係もあるらしい、と。それがまさか恋のライバルだと? 笑っていいのか困ればいいのか。いや、死んでいる自分にライバルなんておかしな話なのだが。 「……#名前2#はいつからか、そなたの話ばかりになった。情報の持たない俺達はおいてけぼりだ……。スコッチという名前はいつからか大嫌いになっていた」 自嘲気味に笑った三日月に諸伏は喜んでいいのか悲しめばいいのか分からなかった。何の感情を見せて欲しいのだろう。人に見せるための感情というのもおかしな話なのにその不自然さに諸伏は気づけなかった。 「それを言ったら、あなただってずるい」 ぽつりと考えてなかった言葉が出てきた。三日月は何も言わずに薄く微笑む。さっきまでの恐怖は消えていた。そのままするすると言葉は糸のように紡がれる。 「#名前2#の心には貴方がいたんだ。……俺達が出会う前、はるか前からずっと。勝てるわけないって分かってたんだ。たくさんの障害があって俺はもう諦めてたんだ」 「……。そんなもの、壊せばよかっただろう。同じ人間同士が」 「壊す? それをあんたが言うのか? 壊せるもんかよ! 俺からしたらアンタの方がずるいんだ……。#名前2#は月をモチーフにした何かを持ってた。何でだって理由を聞いてもはぐらかすだけだったし。会えるのは時間もまちまちだったけど、よく……月を見てた。綺麗な月だなって呟いてたけど、でもその目は月を見てたんじゃなかった…」 本当は勝ち目のない勝負になんか挑みたくなかった。好きにならなれければよかったし、自覚したのならさっさと忘れられればよかった。幽霊になった後だって会ったりしなければよかった。降谷のことも割り切れればよかったのに。 後悔してるのに彼に会う度に胸が高鳴り大好きだと心が割れそうになる。今まであんなに我慢してきたことが無駄になった。まだ幼い自分が笑って言うのだ。「早く欲しいっていえば良かったのに」と。色んなことを我慢して我慢して警察官になるという夢を叶えたと思ったのに、欲張って犯罪者かもしれない男を好きになった。欲張っても良い事はないと知っていたのに。 「俺は……」 「……。そなたは#名前2#を好いているか?」 涙がこぼれそうな瞳をぐっと堪えて力強く頷いた。三日月は「そうか、俺もだ」と笑った。好きという気持ちは相手に届けられなければとてもじゃないが重すぎて誰かに分けることも出来ん。ずっと持っていたら鎖になって雁字搦めになってしまう。今のそなたは軽くなったか? 「……。ああ、軽いよ。羽のようだ」 「うむ、ならよいのだ」 三日月は笑って日本酒をどこからか持ってきた。本当の手品を見たような気持ちだった。ぽん、と瓶が切られる。何かがキラリと輝いた気がするのに何があったのか見えない。絨毯には蓋のついた瓶の口が落ちていた。 「これをやるとごみ捨てが面倒なのだがここに人を呼ぶ方が野暮というもの」 水と月なら月を選ぶ方が良いだろうと三日月は笑った。さっきのは本当にただの八つ当たりだったらしい。気持ちはスッキリしたんだろうか。こちらもスッキリしたから良かったものの普段からこれなら周りにいるのは大変だ。三日月は瓶を掴むと口をつけずに1口飲んだ。あ、あれ野球部たちがやるような飲み方だなとそんなことを考えた。投げ渡されたものを思わず手を伸ばした。キャッチできないと渡されてから気づいたがそれは受け取ることが出来た。 「……さっきのもだけど、これってどういう原理なんだ?」 「考えるな、感じろというやつだ。文字通りな」 「文字通り、ねえ」 酒も飲めるのかと鋭い切り口のそれを口に持ってきた。斜めにするとべしゃりと酒が口に当たった。何で三日月はあんなに上手く飲めるんだろうか。 「ふっはははは! 初めてでやろうとしても無理だろう。俺も次郎太刀に教わったのだ」 「ごめん、ソファー濡らしたみたいだ」 「構わん。買い換えるのを予定していた」 謝罪を受け取らない理由がかっこいい。降谷などもうまい切り返しがあるだろうが見た目と雰囲気とセリフと全てがマッチしているのが三日月だった。 「#名前2#には告白しないのか?」 諸伏の言葉に三日月は微笑んだ。美しいかんばせが眉を顰めるというのはこんなにも迫力があった。黒く相手を蹴落とす圧ではなく……なんと言えばいいのか、よく分からない波に飲まれた気分になった。 「俺が告白したところであの男は受けないだろう」 「そうかあ?」 あんなに好きあってるのにか、と僻んだ言葉が出そうになる。情けない男にはなりたくなくて必死に飲み込んだ。 「あの男は人間で俺は刀剣男士だ。そんな関係で恋仲になろうなどと馬鹿な真似はしない。俺はな、あいつの傍に居られたらそれだけでいいのだ。時間の許す限りに傍で仕えたい。共に生きてあいつが死ぬ時には横で笑ってやりたい。ジジイと言いながらもずっと好きだったんだぞ、と。心配しなくともお前しか見てなかったと胸を張りたい。それが叶うなら他に何もいらない」 「………。それは、#名前2#がもし誰かと付き合うことになってもか?」 「よい。舐めるなよ、人間。俺達は流れる時が違うのだ」 即答だった。そして断言した。この男の愛情は人間の持っているそれよりも恐ろしい。彼らはやっぱり物としての感覚なのだろうか。使われて本望。傍に居られたら至高。100年をたった一瞬だと笑ってみせる。 敵わない。そう思った時にふと「なんで勝負みたいに考えてるんだ」と上司の言葉を思い出した。視点を変えることを覚えろと言われたのだ。 「……じゃあ俺は#名前2#が死ぬのを待つか」 「ほう?」 「幽霊になった向こうの世界で#名前2#を待ってる。そこまではお前も来ないだろ?」 「ふっふふふ! そうだな! そこには俺達も入れまい!」 「やった」 「だがお前も聞いている通り生きている世界はここから少しばかり…約200年は過ぎているところだぞ?」 「ああ。でも、いいよ。三日月は振り向かなくてもいいって言いながらその数百年をそばに居るんだろう? それぐらい俺も待つさ」 諸伏は熱にうかされてそんな言葉を吐いた。三日月はそれも分かっていたが心の奥底の本音が出てきているのも気づいていた。ならば、それを笑うことは失礼だろうと思った。 「愛執の罪のなんと重いことか。…頑張れよ」 たった一言。それなのに重みが鉛のように伴っている。どろりと溶けたそれは心に絡みついて重みをつけた。 「……ああ」 諸伏は頷きまた酒を煽った。斜めにいき過ぎないように平行状態から少しだけ傾けた。舌でちょろちょろと垂れてきたそれを受け取る。 「ふっふふ、上手いな」 「さすがにもう汚せないだろ」 「三日月殿? 話は終わりましたか?」 「ああ。小狐丸、聞いてくれ。この男は俺たちの予想を遥かに超えてきたのだ」 「ほう? ぜひお聞きしたいものですな」 「やめてくれ、恥ずかしい……」 「#名前2#は死後まで約束されてるらしい。あいつが生まれ変わってくる日は何時になるのだろうな。先に俺が神社に祭られる方が早いのではないか」 三日月は笑いながら小狐丸と共に部屋を出ていく。それについて行こうとして瓶に戻ってきた。スコッチの瓶の蓋を手に取ろうとするがすり抜けてしまう。瓶の方もどうかと思ったがこちらもダメだった。 「何でなんだ……」 「諸伏、まだここにいたのか。早く来ないと石切丸に怒られるぞ?」 「小狐丸、すまん!」 ドアをすり抜けて後ろをふよふよとついていく。前よりも気楽に動けるようになったのは嬉しいが何だか釈然としない気持ちに今は襲われている。さっきの手に触れられる物とはなんなのだろうか。 「………。どうなってんのか。聞いちゃいけないんだろうなあ」 呟いた言葉は小狐丸に聞こえたんだろうか。ちらりと視線をやられてすぐに前を向かれた。一緒に暮らしているほかの2人はどこにいるんだろうか。さっきの疑問点は消すようにぐりぐりと違うもので塗りつぶした。それでいいのだ、と心に言い聞かせながら。 水と月→水は野暮なこと、月は粋なことの例え。本来は遊郭遊びで使われる言葉ですがかっこいいので採用。