灰原哀と

 「哀」とその人は呼ぶ。私が江戸川君のようにクスリで小さくなってることに気づいてるみたいだけど何も言わずに「哀」と呼ぶ。宮野、とか志保とか呼ばれたことは無い。  その声は私がまだ組織にいた頃によく癒しのようなそんなものを求めてわざとスプリッツァーに電話をかけていたものだった。ベルモットみたいな実行部隊に所属していない人とよく組んでいたスプリッツァー。  江戸川君から聞かされて納得した。指貫世祖はそのスプリッツァーだった。世祖から情報を聞き出せれば1番よかったけれど彼女は組織の中でもかなり浮いた存在。その過激さのせいで本当に困った時にしかジンも連絡しなかった徹底ぶり。  一部ではリーサンツェイという名で指名手配までされていたと聞く。偽名を使っていたので世祖は今もここにいるみたいだけど、実際のところ小さくなってからの戸籍もなぜか江戸川君の分だけでなく私の分まで用意されてるから組織ではないどこからか力が働いてるんだろう。  スプリッツァーは味方も敵も関係ない。気に入らないデータは破損されるし、ボスへ嘘とか隠蔽とかする気はないらしくて自分で見たことをそのまますべて言ってしまうのでミスした組織員はすぐさま殺されてしまう。質の悪いことにスプリッツァーはそれを悪いと思ってないし、顔は表舞台に出さないから探すことも出来ない存在だった。  ラムのように本当に陰に隠れていて1部では都市伝説でもあった。1度だけ会ったという男は私が組織で動いている間にノックとして殺されてしまった。スプリッツァーが告発したのだ、とまことしやかに囁かれた。  APTX4869が江戸川君に使われたすぐの日にスプリッツァーは組織をやめた、という噂がたった。ジンやほかの幹部たちも「殺すべき」といったけどボスに止められて、強硬したテネシーはボスに殺されてしまった。  そのせいでスプリッツァーを捜すことは組織員の死になると言われるようになった。その特別待遇にスプリッツァーはボスの妻だとか親だとか実は旦那だとか子供とか根も葉もない噂が一緒にたったけどボスは何も言わないし根拠もなかったのですぐにおさまった。 「哀、これ食べてみてくれ」 「……ちょっとしょっぱくない?」 「まじか? んー、じゃあもう少し水足すか……」  #名前1##名前2#。私が偶然にも聞いた声の人。スプリッツァーはその喋り方からずっと女性だと言われていたし、ベルモットも「彼女」と言うので依頼に出てくる電話の相手はずっとスプリッツァー本人だと思っていた。 「はい、もしもし? キュラソーか?」 「!?」 「……。、ん? あ、やべ。……あー、……」 「スプリッツァー、じゃないの?」 「俺はスプリッツァーの代理人、だな。えーと、この声は確かシェリーだったか?」 「ええ。リキュールに依頼があるんだけど、」 「今はジンたちの方で手一杯なんだが…まあ聞いておこう」 「………。あなた、随分と不用心なのね?」 「んだよ」 「いいえ、なんでもないわ。誰かがAPTX4869のデータを書き換えたそうなのよ。マウスの臨床実験のところだと思うんだけど、元になったデータは全部消されたの。スプリッツァーの方にないかしら?」 「ああ、確かあったような気がする。んじゃあ、スプリッツァーに言ってそいつをフロッピーディスクに入れて運ばせればいいんだな? 運び屋は?」 「沼淵がいいわ」 「オーケー、了解した」  スプリッツァーの代理人。ボイスチェンジャーで声を変えていたし、しゃべり方もわざと女性らしさをアピールしていたらしい。仲良くなるにはやけに早くて、代理人と名乗る男は宮野志保にいとも簡単に入り込んできた。自分の情報はほとんど漏らさない代理人は組織とは一応何の関連もなく、あるのはスプリッツァー本人だそうだ。監視などもついておらず、普通に学校へと通っていたとも教えてくれた。 「あの、」 「ん?」 「私の、姉と……」 「姉?」 「宮野明美。南洋大学の大学生なの。お願い、私は勝手に会いにはいけないの。だから、」 「お姉さんの彼氏が不審な動きをしてるから気をつけろって言えばいいのか?」 「!? わかってたの?」 「スプリッツァーが前にジンに調べさせられてたの見てたんだよ。ライが怪しいってなー。明美さんのことについてはわりと外見俺のタイプだったけど恋人いるって言われてめちゃくちゃショックだったし」  なんだ、男って。そんなものなのか。  哀はなんとなく面白くない、と思っていた。電話でしか知らない男をいつの間にか好きになっていたのかもしれない。 「まあ、俺は今んとこスプリッツァーの世話で忙しくて恋人なんか作る暇ないんだけどな。そーゆー高嶺みたいな花ってほしくなるだろ? あの人そんな感じしたんだよなー。……あー、目だな」 「目?」 「おお。目だよ。目。やっぱさ、何があっても輝く目っていいよなあ。かっこいいよなあ。俺、そーゆー人間好きになんだよなあ」  その電話が今じゃ1番記憶に残っているのはなぜなのだろう。気づいてる理由に知らないふりを決め込んで哀はよそわれた味噌汁を手に取って机へと戻る。  最後にした電話では「志保、どうしよう! スプリッツァーのGPSが途切れた!」という連絡だった。  とりあえずスプリッツァーのスマートフォンについた発信機を追いかけろと返して、電話を切った。ショートメールでスプリッツァーが見つかったと来たっきり彼らたちとは連絡が取れなくなった。世祖が薬を飲んだので組織から完全に抜けたのだ。  世祖たちは組織の壊滅を目論んでいるわけでもなく、どちらかと言うと組織に対しては関わらないようにしているみたい。逃げるのではなく、その存在を無視している。#名前1##名前2#と指貫世祖はまだ謎だらけだ。